石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を出来る限り拓本を採りながら行っています。投稿は、実名でお願いいたします。

現時点で、私の最も気に入った栃木県での石碑の篆額文字

2024年06月02日 | Weblog

ここの所の栃木県内石碑調査において、私の最も篆額で気に入っている画像をご紹介します。
それは、栃木県さくら市にある、篆額で、「金子小七郎先生墓碑銘」とあるものです。揮ごう者は「亀田 英」です。特に私が気に入っているのは「金子」の文字の「子」そして次いで「生」に「郎」にと、とにかくすべての部分です。訳もなく、とにかく私は気に入っています。

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今回は、2022年暮れに通った道沿いの百番巡礼塔の脇を通ったので、今度こそはと拓本採りましたが、少しも面白くないです。

2024年04月19日 | Weblog

昔ならいざ知らず、この頃では全くと言って良いほど銘文のない石塔には全く関心がなくなりまして困ったものです。その上に、今回のように石塔の表裏が分からなかったと言えばそれまでだが、本来は裏面に当たる面を正面に据え付けていれば猶更のこと、写真も撮れないので通過してしまう。しかしそれも、最近では珍しく同じ個所を通過道として通ったのも何かの縁と、立ち寄って改めて裏側になっている面を見れば、そこに「男體山」の文字が目に入る。いつかは、栃木県内の「男體山」の文字塔を纏めてみたいと思っているので見逃すわけにはいかなくなってしまった。しかし、その資格柱には4面に文字が彫ってあるので、それを全部拓本に採るとなると結構な時間を要することになる。そこで、今回も調査はパスして3回目に出会った時こそ調査しようと一瞬考えたが、この地区の調査は石碑を含めて既に用のなくなった地域。多分、今度こそここへは再度訪れることはないだろうと思う。そこで、今日のこれからの予定を変更して、「ここで出会ったが何年目!」と、覚悟を決めて拓本を採ることにした。
そして作業を進めたが、碑表と碑裏はあっさりと片付いたが、左右の二面が問題である。石面が剥離始まっていて、この地区の地名と氏名が幾つも刻まれているが、それが簡単には読めない状態。拓本を採る者にとっての悩ましい状態である。拓本を採っても、それが読めないことには、採らなかったことと何ら変わりはないのと同じことであるから。ここからが、私の本気モードにスイッチが入って、本気になって作業に入る。一枚採るのに一時間半掛かり、結局は2枚で3時間、最初の2枚と合わせると何だかんだと6時間をここで費やしてしまう。終わった頃には腰痛も加わりだしたので、本日の作業はここまでで終わりと午後も2時半になったのを潮時と、本来の訪れる場所を通過して早めの帰宅となる。そうそう、台座にもこの百番塔内容の本人お二人様と考えられる氏名がありますので記録をお忘れわきよう。!

これが本来の裏面で、ご覧のように本来の碑表は隙間がなくて写真撮影は出来ず。
そこで、次はその全体像が分かるように調査用紙を先に掲載しましょう。
これが、全体の銘文です。左右面にある村名や氏名などは、よほどのこうした類の銘文調査経験を積まないと、まあ、読めないでしょうね。「いや、私ならもっと確実に読める」とおっしゃるご仁もいることでしょうが、ぜひそういう方はこの前に立って解読に挑戦してみてください。拓本画像を「碑表」と「左側面」の画像を次に掲載しておきますので。
ただし。読めたからと言っても「ただ、それだけです」が。まあ、私以上に暇でしたらどうぞお楽しみ下さい。

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二カ月以上も、無言で過ごしてしまいました。一基だけですが掲載しました。

2024年03月15日 | Weblog

今回も、栃木県佐野市田沼町の石碑です。昔に調査や拓本もありながら、今更ながらに再度拓本を採とましたので、掲載いたします。と言っても、今回の拓本は約一カ月前の2月15日に採ったものです。何しろ只今は、寒くて拓本が採れない時期なので、既にち調査報告書まで作ってあるものを含めて何度目かの校正を毎日行っているのですが、少しも減りません。中には、一基を仕上げるのに一週間かかって校正するものまで出てくる始末で、特にその銘文に誤字が無いかに神経を使いすぎていることは分かっているのですが、こおれも性分で諦めつつ一基づつもう少しやろうと思っています(拓本が採れる季節になるのももう少しですので、それまでですが)。

明日はどうやら拓本が採れそうな陽気になるというので、石碑の裏面にある交名を調査してこようと、先ほど車に道具一式を詰め込みました。願わくば、明日は風のない穏やかな天候でありますよう、願っているところです。

 

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2023年最後の石碑紹介は、佐野市田沼町・一瓶塚神社境内の加藤欽古先生碑です

2023年12月30日 | Weblog

今年も残すは明日大晦日だけです。今年一年も、私なりに過ごせた一年と感謝しています。
さて、そんな今年最後のブログ掲載としまして、12月に佐野市田沼町・一瓶塚神社境内に所在する「加藤欽古翁碑」をご紹介いたします。もちろん、この石碑はこれまでに何度も眺めては、一部分の拓本は採っているのですが、その石碑全景はまだ採っていませんでした。そこで今回は、碑隂の交名を含めて二日間の予定を立ててお伺いし、この成果をここへ最終的にご案内することが出来ました。特に欽古翁の画像には神経を使いながら手拓しました。

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今回は、佐野市田沼町の「林真治郎先生之碑」の再登場です。

2023年12月11日 | Weblog

この石碑は、只今進行中の田沼町石碑の書籍を編集中に、何とも拓本が悪すぎるので再び拓本を過日採りに行きまして、なんとかこれで納得したのですが、問題はその台座にあり、その台座の筆子達の名前を調査する段階で今日は早くも午後の三時過ぎ。今は、一年で最も日の暮れるのが早い時期。このまま進めれば、調査が終わるころには真っ暗闇になってしまいます。何事もあきらめの早い私は、この作業をいつの日か、暇が出来たときにでも再訪問しようとあっさり諦めて帰宅しました。
そんな次第で、今回は交名を抜かしてのご紹介です。今回も、相変わらず読みを抜かしての全景写真、銘文に拓本画像の順にご紹介します。
それにしても、今年も早年末。年内に、拓本採りに行けるのもあと一回が良いところでしょう。田沼町だけでも再拓本をしたい石碑が沢山あるのに。何とも今年も短い一年でした。

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今回は、田沼町下彦間の「斎美翁碑」のご紹介。特に、取子の名前の多さにビックリです。

2023年11月28日 | Weblog

この石碑の最大の特徴は、裏面にある交名です。全部で100人余の名前が刻まれていますが、その半分以上が「取子」の名前となっています。これほど多くの取子の名前があるのは、県内では多分これが最高です。
「取子」って、何?と思う方はぜひ辞典を開いて下さい。
それでは今回もいつものように、全景・銘文・拓本・交名の順で画像を掲載しました。

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今回は、大川徳太郎翁の石碑調査報告です

2023年11月19日 | Weblog

調査したのは先月ですから少し出遅れ感があります。
今回の石碑は、綺麗に彫られているのですが少し浅い彫り込みなので、とくに墨入れに注意して作業しましたが、幾つかの文字に墨潰れが発生してしまいました。まだまだ、技術が甘いです。また、銘文作字に甘いところがありますが、お許しください。また、銘文読みは省略です。

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栃木県佐野市(田沼町を含む)当ブログでの記事は、今年8月に全て事情があり削除しました

2023年11月10日 | Weblog

「ここのところ、栃木県佐野市地区の当ブログの記事が検索では出てくるのに、削除されていて読めません」とのご意見を度々聞くようになりました。
折角当ブログへご訪問頂いたのに、申し訳ないこととお詫び致します。
それは今年の8月に、私が手拓した拓本と一緒に筆写した銘文と私流の「読み」もを掲載したところ、その筆写した銘文2か所に誤りがあり(漢字文字を間違えたのですから、その読みも当然間違えました)、それを見つけた佐野市民からえらく叱られまして、それで気分が治らないと見えて佐野市の文化財課まで苦情が及び、とうとうその管轄長から「あなたのしている調査は信用ができない」。隣の大学の漢文の先生等と懇意にしているので、その方に私の方で再度調査してもらう」と、見え(見栄)を張られました。
確かに、私は学歴も社会的地位も名誉も、加えて私欲も何もありません。ただ単に石碑が大好きなだけの、佐野市地区以外に住んでいる一介の野老人です。それ故に、断りもなく勝手に佐野市地区の石碑調査をしていたと自分の思い上がりを振り返り、石碑調査の先き出しジャンケンを引っ込める意味でも、今までに当ブログで掲載していました該当記事全てを削除しました。そのような次第で、現在はこの10月から新たに掲載している佐野市田沼地区の石碑(現在、その石碑の纏めを執筆中で、疑問箇所の再度の調査をした、その結果報告です。他に何の意図もありません)を除いては、まったく見られなくしました。
ぜひ、諸事情をご賢察下さいましてご容赦下さいますようお願い申し上げます。それよりも何よりも、早く佐野市地区の石碑調査が、そのような深い学識を持つ先生による調査報告書として、その確証としての素晴らしい拓本と共に誰でも自由に拝見出来ます楽しみを、今は首を長くして待っている所です)。もっとも、私などには目に触れることもできない所へ、既に収録されているのでしょうか。それとも、一時のお怒りで、いわゆる「言必信 行必果」という意味を忘れてしまって未だに佐野市のその石碑調査は放置しているのでしょうか。その辺の所謂「役所言」も、私なりにケジメを付けたのですから年末までには文化財課に厚かましくも図図しく問合せをしたいと思っている所です。以上、文章に不適当な語彙がありましたらまともな文章も書けない無学者と再びご容赦ください。また、この内容に苦情が多くありましたら、「理解できない!」のか、と無言で削除いたします。

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栃木県佐野市の石碑調査 「岩上翁碑」

2023年11月05日 | Weblog

ここのところの調査した石碑の最終処理が終わっているのを、掲載します。
相変わらず、拓本を採る前の石碑調査に時間がかかってしまい、8時には現地に着いていたのだが、神社総代様への採拓お願いやらで時間が意外と掛かって作業開始は10時近くになってしまった。それから脚立を車から取り出して碑面掃除に入り、手拓を開始したのは11時を過ぎてしまった。相変わらず、ドン臭い作業で水張に意外と今回も時間がかかってしまったが、それ同様に墨入れにも時間が掛かってしまい、結局全ての作業が終わったのは午後2時を過ぎていた。通常状態の墨入れに時間が掛かりすぎたので、いつもの最後の締めの化粧墨入れは省略してしまったので、今回は少し甘い墨入れになってしまったが、まあ、普通に見るには耐えられると思ったからだが、帰宅して居間の掲示場所へ広げると、やはり少しばかり墨入れが甘かったと反省する。以下、前景写真+作字銘文拓本画像に裏面にある交名+私流銘文読みす。もし、間違いなどがありましたら、遠慮なくご教示給われたく思います。部落の人たちに見せたいというので、余りこれ以上の恥をかきたくない思いです(笑)
※掲載した「読み」の一部に誤りがありましたので、11月7日に訂正して入れ替えました。

 

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今回は、石碑調査の基礎さえ知らぬ誰かさんに。石碑調査の長文お苦言です。

2023年11月03日 | Weblog

毎週毎週石碑巡りをしているので、そうするとその調査資料は溜まるばかりで今ではその始末に手が回らなくなりました。そんな日々を過ごしているのですが、今回はそれを掲載する前に石碑調査をしている人たちに耳(いや目か)の痛い話です。
それは、栃木県だけに限っての話ではなく、全国的に言えることなのですが、石碑調査には、絶対条件としてその石碑の「拓本」が必要なのですが、全く無視されています。挙句の果てに、この頃ではスマホで撮影して文字を読もうという風潮がインターネットで騒がれているようですが、それは拓本を採れない者のたわごとに過ぎません。石碑の銘文はそんな手抜き作業で簡単に読める代物ではありません。「いや、見事に読んでいる」という方は、余程の条件の良い石碑に出会っただけに過ぎないのです。また、そうして読んだ銘文は、実際の石碑と同じサイズで現物提示できますか。いや、出来ないでしょう。拓本のように、一度採択した石碑拓本は、ごまかしようもなく皆で共有して読めるはずで、それも書史学的にも研究資料として実際に揮毫してある文字の細部まで詳細に利用できますか。
私などは、丁寧に丁寧に拓本を採っても、掃除もせぬ石碑の状態では読めぬ文字が出てくるのは当たり前の話。もちろん、手拓する前には管理者の了解を得て、それこそ舐めるようにして石碑を磨くことから始まります。その作業は、実際に墨入れ手拓するのと同様の、時にはそれ以上の時間を要すこともあります。それを毎回毎回根気よく作業して初めて手拓するのです。とにかく、自分が調査した石碑銘文の正しさを証明する唯一の確証物なのです。こうして調査した拓本は、もうその拓本さえあれば、転記した銘文など本来は不要なのです。なぜなら、石碑調査は、「拓本」が全てを語っているからです。今年の8月には、そんな拓本と転記した銘文の違い(転記した銘文の誤り)を、異常なまでの感情を込めて指摘されたのですが、私にしてはそんなのは問題外で、拓本にある文字が正しい文字であるから、「嗚呼、この人は転記した文字を間違えている」だけの問題で済む話なのです。それもこれも、拓本と一緒に掲載したから言えることで、拓本が掲載されていない、真剣に調査している人の石碑調査論考を一度も見たことがない人が大騒ぎするだけなのです。なんとなれば、一般の方で調べた銘文の確証として拓本を一緒に掲載している論文などに最近は出会ったことがありますか。無いはずです。なぜなら、それだけの拓本を採れる人が世の中からいなくなって来ているからです。
 兎に角、くどい話になりますが、石碑調査の基本は銘文の拓本にあります。観光地へ行って、「実に珍し風景に出会った」と言われても、それを証明する画像がなくてはそのまま信用出来ないのと同じで、石碑調査においてその石碑の拓本も掲載してない論考など、極言すれば私にとっては無価値なのです。なぜなら、「いくら私の学力を信用しろ」といわれても、これまでの石碑調査の論考のほとんどでは、実際にその調査された石碑を見に行くと、間違って転記している文字が必ずと言って良いほどどこかにあります。それに気づかないのは、その石碑について書かれた方と、それを感心して読む人とのレベルが同程度だからなのです。それが、所謂郷土歴史家等と肩書を付けた方々の調査なのです。試しに、市町村で調査した石碑銘文や郷土史に発表された石碑銘文の資料をを持って、現地へ行って一文字づつ当たって見てください。私の言っていることが正しいのが、すぐに分かると思います。
以上、今回はこの程度の内容だけの掲載にします。なお、私は「蛙鳴蝉騒」話が大嫌いなので、口を尖がらせて反論したい御仁もいることでしょうが、そういう方からの反論は全て無言で削除しますので、理性知性をもって、反論する方のコメントは歓迎しますが、実名で投稿下さい。なお、自分で読み返して言い過ぎていたら、全文を削除することもあります。なぜなら、私にとってはどうでも良いことだからですが、この頃の石碑調査記事をみて、つくづく考えるところがありましたので掲載しただけです。

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