石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を出来る限り拓本を採りながら行っています。投稿は、実名でお願いいたします。

今日は、宇都宮市の碑(いしぶみ)を作製しています

2011年06月26日 | Weblog

 製本までの全工程を手作業でしているのだが、パソコンプリンターが旧式なので速度が遅く、一冊が出来上がるまでに半日がかりです。それでも、昨日からなので数冊が出来上がりました。
さて、内容は別HPに掲載した内容を整理したものですが、88頁となりそれなりに冊子らしい仕上げになりました。最大で10冊位は作りたいと思っていますが、この調子では先が思いやられます。そして今回のは正編として、ゆくゆくはそこに氏名の出てくる人たちの解説を加えた続編として新たに調査した碑(いしぶみ)を加えたのを作りたいと思っています。なにしろまだまだ、調査したい碑がたくさんありますので…。
 今回の冊子作りが終了したら、今度は宇都宮市の宝篋印陀羅尼経の刻まれているのを主とした、近世宝篋印塔を調査したのを纏めたいと思っています。ただし、それにはどうしも手拓をして解読しなければならないのが一基あるので、その再調査が先ですが…。全く、夢ばかり多くてこまります。ホントッ。
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2011年6月23日、 毎日暑いですね!

2011年06月23日 | Weblog
 前回、6月18日は宇都宮の碑の手拓取りで一日を過ごしました。もちろん既に調査済みの個人宅にある碑なのですが、どうしても手拓が欲しくなって風も穏やかなのを幸いと出かけました。調査する必要が無くのんびり手拓だけに専念しましたので、それなりに文字を読むだけ以上の良い拓本が取れました。そんな出来上がった手拓を見たご主人が、その手拓に惚れ込み、庭に立っている石碑よりも良いと、変なほめ方をされてしまい、「その拓本、どうしても欲しい!」」となり、気の弱い?私はとうとうそれを手放すことになってしまいました。軸物にしたいそうなので、まあ私が見たいときは現物ともどもいつでも見られるので、それも良いかなと変な納得です。ついでだからと、碑陰にある多数の交名も手拓してそれも差し上げました。尤も、しっかりとその画像だけは撮影して記録としましたが…。
 今週は、そんな宇都宮の碑を最終的に校正し、文字とニラメッコしながら纏めています。多分今度の休みは石仏巡りに出かけず、それらの印刷に入ろうと思っています。出来上がったら、いつも行っている図書館に一冊位は差し上げようかと思っていますが、何しろ全てが手作りなので飽きっぽい私には何冊出来るか分かりません。良くて10冊でしょう!。それでも、宇都宮の碑(いしぶみ)調査報告書として、真面目?に編集した冊子はこれが初めてだけに価値はあるだろうと自画自賛です。そしてその冊子を見た人は、再度私の向こうを張ってそれらの調査にトライする勇気は生まれないでしょうと、一人で笑っています。
 それにしても、歩くには平気なのに、石碑の前に立つと相変わらず腰が痛くて困ったものです。手拓に伺ったご主人にも、そんなに真剣に碑の前に何時間も立ち続けていては、腰が痛くなるでしょうと同情される有様で、そうか、そんな石碑調査が腰の痛さが直らぬ原因かと、変に納得しました。
 嗚呼、それにしても暑い。今年はクーラーは絶対に使用しないと家内に誓っただけに、この先が思いやられます。
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2011年6月12日、 ついに宇都宮市の碑調査終了

2011年06月13日 | Weblog

 6月11日土曜日は、宇都宮市城址公園にある戸田忠恕公の大きな碑(いしぶみ)調査等が午前中で終了。続いて、前週に調査した二荒山神社へ行き、校正をしてきました。
 そして昨日12日は、最後まで残っていた大谷観音寺の大谷石に関する碑を調査して、当初の目的としていた宇都宮市内の碑(いしぶみ)は全て調査が完了しました。上記に掲載した写真が、大谷観音寺にある当該碑です。ここでも既存の書籍にある碑文での大きな間違い文字を確認することが出来ました。それは「郷紳」とするべきところを「郷神」としていました。意味を知っていれば、間違えるはずもないのですが…。
 いずれにしても約三ヶ月、よくぞこんなつまらぬ調査に没頭できたと自分ながら呆れています。当然ながら、まだまだ調査したい碑はあるのですが、それらはこれからのんびりと調査することにして今回で一応の区切りと致します。
 それにしても些か疲れました。腰が相変わらず痛く、調子が出ないのも加わっているので、次回以降の調査目標は白紙のままです。多分、ぐずぐずしたその場しのぎの石仏巡りになるでしょう。それよりも、せっかくの宇都宮市の碑(いしぶみ)調査に目鼻がついたので、この辺で中間報告として一冊の冊子に纏めようと考えています。と言いつつ、これもまた大変な作業になりますが…。まあ、自分の趣味として、楽しくやりましょう。
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ようやく本日、宇都宮市二荒山神社の碑を掲載しました

2011年06月08日 | Weblog
 土曜、4日に調査してきた宇都宮市二荒山神社にある五基の碑(いしぶみ)を、前回ご案内した別HPの方に追加掲載しました。特に「贈四位蒲生君平之碑」には、多くの時間をかけて作製しました。それでも、これまで報告されている多くの文献とは些か内容が異なるところがあり、次回にはまたその部分を再確認してこようと思います。特に「礦」とある箇所が、他の文献等では「壙」となっています。意味的に「墓」を表しているのでしょうが、やはり文字的には気になるなるところです。その他、今までに見たこの碑の碑文で、今回わたしが記録したのと同じ物はありませんでした。結局のところ、今まで誰も本気になって読んでいないことになります。私のような、素人碑文調査の面白みはこんなところにもあります。といっても、それは重箱の隅の話で、大意が伝われば良いのでしょうが、私的には「それでは撰文者に申し訳ない」と、これからもしつこく文字を舐め続けることにします。そんな訳で、次回も二荒山神社から最出発です。ホントッ、少しも先へ進めません。
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2011年6月04日、宇都宮市二荒山神社碑調査

2011年06月06日 | Weblog

 ついに、宇都宮市の碑(いしぶみ)調査も二荒山神社まで来ました。特にここへ掲載した「贈正四位蒲生秀實(君平)碑」は、どの書籍を見ても完全なものがなかっただけに慎重を期し、朝から午前中一杯をかけて一文字ずつ舐めるようにして調査しました。そしてそれを今度は清書するのに、昨日一日を要してどうにか纏めました。しかし、もう一度の再確認が必要で、次回もまたこの碑の前に立ちたいと思っている。何しろ、蒲生君平の碑で重野安繹先生の撰文とあらば、何としても筆記間違いのないものにしたいからです。なお、これが宮亀年の刻字です。また書が、巖谷修(一六)先生なので、この点でも一文字ずつの細心の注意が必要でした。それにしても疲れました。その他、境内にある他の四基も同時に調査出来ました。そんな訳で、今回はこの二荒山神社だけで一日を費やし、クタクタになって帰宅しました。次回の目標は、今回の再校正と宇都宮城址公園にある戸田忠恕の調査です。宇都宮市の碑としては、これが一番文字数が多い碑となっているので、またまた疲れそうです。それでも宇都宮市の碑(いしぶみ)調査ももう少し。頑張りどころと気合を入れなおして行く予定です。
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