石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を出来る限り拓本を採りながら行っています。投稿は、実名でお願いいたします。

今回は、栃木県上河内町(現・宇都宮市)にある、鬼怒川の治水碑です

2015年06月30日 | Weblog

今回は栃木県上河内町・宮山田地区の水神神社に建立されている「逆木治水紀功之碑」という石碑です。鬼怒川の治水堰として、昔から宇都宮藩では重要視されていた逆木地区の治水にまつわる話から始まり、後半は地元の二人とその子息人物の当にこの時代の人物の物語です。当然、鬼怒川の防災を語るには欠かせない石碑です。そして感心するのは、これが撰文されたのは大正13年という比較的新しいものなのですが、これを撰文した平塚広義という(当時の栃木県知事を務めた)人ですが、凄い漢文力です。この時代になっても、これだけの漢文が出来る人がいたことに感服しています。こういう碑文に出会えるのだから、まだまだ当分は石碑にこだわって調査して行こうと、心を新たにした次第です。それにしても、よくもまあ、こんな山の上にこんなにも大きな石碑を持ち上げて建てたものだと、変なところでも感心しきりです。

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今のところは、栃木県旧今市市の鬼怒川沿いの石碑巡りです。

2015年06月24日 | Weblog

今回は、旧今市市小林地区芝河原にある石碑ですが、現地を探し出すまでにはとにかく目標物が何も無いところなので余程の運がなければそれだけで半日は掛かります。
さて、今回のは篆額が(篆書体で揮毫されている)栃木県では意外と少ない勝海舟で、しかも題額でないところが良いです。主人公の斉藤輝信は、文化7年生まれで、没年は安政五年。享年49歳です。郷党のために、豊富にある木材を筏に組んで江戸まで水運を利用して送ったり、荒蕪地に水を引いて開墾するなどの活躍をしましたが、惜しくも早世してしまいました。それにしても、私にはこの銘文を揮毫した小島春なる人物と、石工の(彫刻師とある)柳真洲なる人物の経歴がわかりません。これを見ました方でお分かりの方は是非に御教示賜りますようお願い申し上げます。
ここの所、一ヶ月以上も栃木県の田沼地区石碑調査をサボっています。そろそろ、あの手拓採りの天敵である強風も収まった頃でしょうから出かけてみようかと思っているところです。

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今回は、栃木県今市市の嘉永の自然石碑の御紹介です

2015年06月08日 | Weblog

これは、過去に今市市の石仏調査の折に出会った碑文石です。その時は、石仏調査ということもあり調査に時間のかかるこの碑は記録だけにとどめていましたが、今回はそれを本気になって調査すべくやって来ました。まず、地元の方の調査と碑面掃除の了解を得てから持参したバケツ1杯に水を頂戴して調査を始めました。長年の泥などで碑文も読めない状態だったので、ご覧のように綺麗に磨き上げてから拓本を取り採りました。それから銘文手写をしましたが、目の前にある実物碑面と手拓したばかりの紙面を見比べしながら読んでも、どうしても一箇所だけ読めない文字が出てきてしまいました。意味的に、幾つかの文字を当てはめましたが漢字の素養がない身にとっては今一つ納得できる文字とはならず、「もう、私の能力では限界か」と半分諦めました。嗚呼、五月晴れの心地よい場所に座って眺めるだけで今度は部屋のなかで暫く格闘しようと思っています。。
それにしても今年は、週末に限らず嫌な風が強く吹いています。佐野市田沼町の石碑手拓は、当分お預け状態です。早く、週末には風と雨が無い梅雨空にならないかな~と、そんな自分勝手なことを考えながらこれを打ち込んでいます。
昨夜、本気になって銘文1文字に取り組んで、やはり「遂」にしました。「遂志」、それ以外に私では、読み下しが出来なかったからです。(笑)

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