瀧澤龍雄の栃木県内石仏巡り日誌

栃木県内限定で、石仏を見て歩いた内容です。なお、コメントは、必ず実名を使用して下さい。内容により削除することもあります。

2012年4月15日は栃木県の東部地区に位置する茂木町の石仏巡り!

2012年04月16日 10時04分23秒 | Weblog


 桜が満開に咲いている中、田舎道を快適に運転して宇都宮市内から約1時間10分。今回は、佐野市在住の山口氏から碑塔所在地をご教示賜っていた茂木町の石仏めぐりである。それだけに今回は、石仏巡りに専念して石碑やお寺さん巡りはしないことにし、教えていただいていた道路沿いの碑塔群から始まる。しかし、石仏巡り途上でご教示いただいた碑塔以外も目に入ってしまい、以前に調査していないものに出会うと見逃す訳にはいかずついつい寄り道してしまう。そうこうして、上記に掲載した写真の場所である、河井地区に入ったのはお昼を過ぎていた。
 この場所が、今回山口氏よりご教示賜っていた本日最大のポイント。そこには、この写真にも写っている、一猿庚申塔があり、しかもその猿は滅多に見られない合掌している猿の姿だった。予定では、この場所で昼食のつもりだったが、直接にこの庚申塔と向かいあえば昼食などどうでも良くなり、早速に調査開始。この笠付四角柱庚申塔の主銘文は、「バン ウン タラーク アク カン ダ」の種子。これだけでもはるばる茂木町までやってきた甲斐があるというのだ。しかも山口氏が「確かに一猿だった」というように、そこには間違いなく合掌している一猿がいた。そして紀年銘も元禄九年という、当地の庚申塔としては古い方に入るもの。また、両側面には蓮の葉がデザインされていた。つくづくと、山口氏のご教示に感謝しつつ時間をかけて眺め、調査する。
 さて、眺めつくしてからその裏に重なるようにして置いてあるのは、そこにも山口氏のご教示通りの青面金剛像だった。それは、いわゆるバンザイ型の青面金剛像。しかも、普通は日月だけを捧げ持っているのに、ここでは瑞運までも一緒に捧げ持っている優れもの。更にその下部を見てまた驚く。それが下記の画像である。

 そう、ここにも合掌した猿がいた!。しかも両脇にいる猿は、いわゆる塞ぎ猿ではなく明らかに拝侍姿である。この拝侍猿に合掌猿が一緒になっての三猿は、今までの記憶の中に見た覚えがないもの。しかもその上部にいる雌雄の鶏はまるで鬼さんを蹴飛ばしているような姿であった。とにかく驚きの連続である。本当に今日は素晴らしい庚申塔を拝見できたと、時計を見ればまもなく三時。ここに、優に2時間半以上は居たことになる。もちろん、空腹感などどこかへ飛んでしまって全く感じなかった。
 それからもまた、石仏を求めての場所移動となったが太陽の光線が逆光となって写真どころか、銘文を読むにも一苦労する有様。しかも二十三夜塔王国らしい茂木町のこととあって、それらのほとんどが自然石に文字が刻まれて二十三夜塔だった。先程までの興奮が冷め遣らぬ中にあっては今ひとつ面白くなく、調査せずに碑塔所在地をメモしたままでその場を去り帰路についてしまった。
 夜は、その写真を眺めながらまたしてもその素晴らしさに酔っている。本当に、山口様には感謝申し上げます。山口さん、ありがとう!と。さて次回は、多分宇都宮市街地へ出向いての手拓採りとなるでしょう。季節も良くなったことだし…。

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2012年4月7日は宇都宮市内の手拓採りでした

2012年04月09日 09時23分47秒 | Weblog


 これは、先週に見つけた宇都宮唯一の女性頌徳碑(名前は「鈴木なべ」)です。しかもご覧のように、昭和5年の建立とはいえ肖像画つきです。彼女は天保四年に生まれて大正13年に亡くなるまでの92年間に産婦として活躍し、その取り上げた赤子の数は数千人という恐ろしい人数になるそうです。そんなすばらしい女性の石碑を今まで見逃していたとは、何とも恥ずかしい限りです。そんな訳で、その手拓が欲しくて前回は風が強くて無理だったので今日は朝からその目的だけで出かけました。しかし、低い踏み台しか持って行かなかったために碑の上部に刻まれている手拓作業には手こずりました。また、石工の技量が今ひとつで線彫りが細く、浅い部分もあり顔の表情の墨入れにも手こずりました。何しろ踏み台の上に乗り背伸びしやっと手の届く高さ。加えて石碑本体はぐらつくので寄りかかることもできず、いやあ苦労しました。これだけで午前中は終わり、もっともこの家の人に見せたいものがあると家の中へ招かれたのを断り切れず、長話をして昔の写真などを見せてもらったからでもありますが…。そんな訳で、午後から行く予定だったもう一箇所の手拓採りは、南からの強風が吹き出したので中止としてそのまま帰宅してしまいました。

さて、午後は仕方なく部屋に閉じ籠もっての製本作業を行いました。それは、印刷したまま放置していた「宇都宮市の近世寶篋印塔」の最終製本です。その調査した基数は62基と多いので、総ページ数が141ページという厚さになってしまいました。これが出来上がったのでやれやれ、これで暫くは近世寶篋印塔の纏め製本はなくなったと、ほっと一安心やら寂しいやらです。以下がその表紙画像です。

 やっと、今年の春の寒さも遠のいたので次回こそ必ず佐野市在住の山口氏から教わっていた栃木県茂木町へ石仏巡りに行こうと今から張り切っています。多分、優に60基を超える石仏調査になると思っているので、今からその覚悟をしています。何卒、今度の週末こそ張るらしい快晴と無風でありますよう願っているところです。

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2012年4月1日は宇都宮市内自宅周辺の石仏巡りでした

2012年04月03日 08時20分24秒 | Weblog


 毎週末になると、なぜか天候は不順。今回にしても土曜日は大荒れの天候で端から石仏巡りを断念。そして翌日曜日は4月1日となってしまったが、風は強い。心から春の陽気を楽しめる石仏巡りにはならないので、今回は自宅周辺の今までに見ていても未調査の石仏巡りとした。本来なら、散歩気分で歩けばよいのだろうがそれも面倒となって相変わらずの自転車での石仏巡りとなった。そんな中でも、今回始めてその存在に築いた碑等や、道路拡張工事にてどこかへ言ってしまった男体山碑等との再会もあり、まあそれなりに楽しい一日を過ごすことができた。
 上記に掲載した写真は、そんな自宅からそれほど遠くない宇都宮市下荒針町での石仏風景である。二基の如意輪観音様の間の奥にある自然石は庚申塔。そして左端の奥に石ころが見えるのは、横倒しになっている二十三夜塔です。ここへは過去にも来ているのだが、そのときと全く同じ風景。したがって昨年の地震にる転倒ではありません。前回もそうしたように、今回も何とか持ち上げて立て直してあげようと試みましたが、とてもとても重くてビクともしませんでした。
 嗚呼、早く春本番とならないかな〜と、小学校跡地にあるサクラの蕾が膨らんでいるのを眺めながら思いました。この日の石仏巡り案内記は別HPの方へ掲載済みですので、興味のある方はそちらもご笑覧ください。

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私のホームページをご覧になって、お問い合わせの皆様へ!

2012年04月02日 10時17分35秒 | Weblog

私のホームページ等をご覧になって、お問い合わせの皆様へ!

 最近、私のホームページをご覧になっての問い合わせや資料請求等が多くなりました。中には失礼にもハガキでの資料請求もありました。宇都宮市等の碑(いしぶみ)を掲載した影響もあろうかと思いますが、それ以外にも本を出版するので石造物の写真をくれとかもあります。何か、近頃の石造物調査を為す人たちの質が極端に落ちた感じがします。特に碑(いしぶみ)の碑文は、他人に頼らず自分で調査してください。現に、その場所へ行けば誰でも見られるのですから。それを面倒だからと言って私の調査した碑文を欲しいというのは余りにも身勝手過ぎると言うものです。
 以下に、それらについては一切応じませんことをこれまでにもホームページにおいて掲載してありますので、再度その内容を併せて掲載しました。お気軽にお問い合わせする方は、必ずご一読くださいますようお願い申し上げます。お断りするのが面倒で面倒で、困っています。

「不憤 不啓 不誹 不發」※「誹」の文字は仮で実際はリッシンヘンに「非」です
 私は、個人的な趣味から栃木県に限定しての石仏巡りをしています。しかも、頑なまでのフィールドワーク主義者です。ところが近年は、見ず知らずの旁々から安易に石造物の所在地や私のホームページを見て、やれ詳細な所在地を教えろとか、データをくれというメールやハガキ(返信切手同封の封書ならまだ許せますが)で問い合わせをしてくる方がいます。
 しかし、私は石造物調査に関わる人達に対して「それで良いのか! 自分で苦労して探し、そして調査しないで良いのか!」と大いなる疑問を持っています。他人の調査した資料等で物を著す人々、いわゆる文献主義者とは相容れない昔気質の実践主義者です。
そこで私のホームページの始めには、下記のような注意事項が記されていますように、私は権門に縁なしとしてどなたであれ一切のお問い合わせ等を「面倒くさいが第一次の理由」としてしないことにしています。
 そんな事を顧慮して下さいまして、皆様のご希望にも添えません事ご容赦下さい。
なお下記に、その私のホームページに掲載していますお願い事項を記して置きますのでご一読下さい。
                                瀧澤龍雄拜

ご覧になってのお願い
1、ここに掲載しました石仏の所在地などについてのお問い合せはご遠慮下さい。
 野にある石仏は、自分で苦労して探してこそ価値のあるものです。それでも、どうしても訪ねたい方は、栃木県内の方はご自分で2回、県外の方は1回以上を探しても見つからず、それでもなお実見したい場合に限り、その探査地点などの報告内容と共にメールでお問い合せ下されば可能な場合があります。
1、また、資料請求などもご遠慮下さい。
  ----上記項目は、偏に面倒くさいが故にです。----

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宇都宮市の碑(いしぶみ)−前編 を最終的にアップしました。

2012年03月30日 15時23分45秒 | Weblog

 宇都宮市の碑(いしぶみ)調査の前編。最終的な校正が終了しましたので、今までの画像による碑文紹介から、大きく拡大しても文字が綺麗に読める方法に変更して最終アップしました。これにより、実際の石碑に刻まれている文字一文字ずつが正確に読めるようになりましたので、もし文字の間違い等がありましたら是非のご教示をお願いいたします。
なおいつものことですが、印刷や保存等はできません事ご了承ください。また、安易な質問やお問い合わせもご遠慮ください。同様に、資料配布も一切お断りいたしております。何しろ、この資料は百年二百年後の人々のために作成しましたので、そのHPを見て気になる方は(現世の方)は自分で見に行けば良いと思っていますので。

初めてアクセスする方のために…
下記の内容をコピーして検索に貼り付けてご覧ください。当然ながら、私の本HPの「栃木県の石仏公開データ」からもアクセス出来ます。
  栃木県の石仏資料集 宇都宮市の碑(いしぶみ)−前編

今度は、宇都宮市の碑(いしぶみ)−後編 の最終校正をしていきます。暫くの時間的余裕を戴きますが…。

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2012年3月25日も、宇都宮市内の碑手拓に出かけました

2012年03月27日 14時15分14秒 | Weblog


 今回も、宇都宮市街地の碑(いしぶみ)調査に行ってきました。と言っても、全て過去に調査済みにつきその最終校正と手拓作業です。それにしても、北風が強かった一日でした。本当なら、3基の碑文を手拓する予定だったのですが、出来たのは上に掲載した写真の「戊辰役戦死記」だけでした。兎に角風が強く(本来なら後日に行いたかったが、お寺さんから手拓許可がおりただけにそのチャンスを逃すことができません)、手拓途中に何度も風に邪魔されて失敗を繰り返しながら約二時間半を掛けてどうにか拓本を物にしました。これは、宇都宮では唯一の浜村蔵六の揮毫碑であり、石工は彼の広瀬羣鶴です。また、撰文は縣六石というように、碑としては三拍子そろったものだけにどうしても拓本が欲しかったものです。多分、この拓本を持っているのは私だけだろうと少なからぬ喜びとなりました。将来的には栃木県立図書館へ納め置くことにしているので、その時はご覧ください。さて、手拓最後として篆額を取ったのですが、その手拓途中で風に煽られて剥がれ飛び、「こら〜、待て〜」と広い境内を追いかける始末には自分で笑ってしまいました。
 それにしても、碑文調査は難しい。帰宅してから以前に手写した碑文を見てみたら明らかな文字間違いがたくさん出てきてしまいました。尤も、石面に刻まれた文字通りの手写を基本としているので、一般の人にとっては問題のない本当に細かい箇所なのですが…。忸怩たる思いで、その修正作業に入らなければなりません。
 それでも、これで何とか宇都宮市内の碑文調査は基本的に終了することが出来ました。次回からは、季節も良くなったし以前のような気軽な石仏巡りに入ろうと思っています。ただ、宇都宮市の碑文調査が終わったとはいえ、今のうちに拓本を残しておかなければ後々後悔する石碑がまだまだあるから、その合間を縫ってのことに当分はなりそうです。今は、今年になって佐野市在住の山口氏よりご教示戴いている栃木県茂木町の石仏調査に行きたくてウズウズしているところです。特に、合掌1猿姿の庚申塔を早く見たくて仕方がありません。そんな石仏巡り記を次回はここへ書き込めることを願いつつ、それにしても毎週末は天候が不順なめぐり合わせの今年にウンザリしています。嗚呼、それにしても未だに足が痛い。朝から夕方まで立ち尽くして石碑と対面していたので、その疲れがドッと出てきてしまいました。何しろ帰宅への途上では、ママチャリを強風に逆らって漕いでいたので坂道ではケイレンを起こす始末でした。嗚呼、歳はとりたくない。というのが、この頃の実感です。

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2012年3月20日は、宇都宮市内の碑手拓出かけました

2012年03月21日 14時21分01秒 | Weblog



 今回は風もなく絶好の手拓日和ということで、宇都宮中心地に所在する碑(いしぶみ)の未手拓だったものを、暫くぶりにチャリンコで訪ねてきました。もちろん、それらは既に詳細に校正済みなのですが、どうしても手拓が欲しかったからです。特にここへ掲載した「古棺記」碑は、根府川石を使用しているために全体に剥離が始まり、やがては剥がれ落ちてしまいます。その前に、ぜひとも拓本として後世に残しておかなければと言う変な責任感を感じてです。その他にも、戸田香園揮毫の「戊辰役之戦死之碑」も拓本が欲しくてこれもその目的が完了しました。この二基だけで約五時間もの長時間をその前に立ち尽くすと言う始末で、帰りには、足と腰の疲れでペダルを踏むのも難儀なほど疲れ果ててしまいました。やはり、歳を実感です!
 もちろん、これだけでなく他にも気になっていた碑の碑文文字確認やらで帰宅したのは五時近くになってしまいました。それにしても陽が延びましたネ。これでもう少し温かさが増せば言うことなしです。
 多分、次回もそんな宇都宮中心地の拓本取りに出かけることになるでしょう。そして昨日もそうでしたが、二荒山神社にある巨碑を眺める度にそれらの手拓が欲しくなってしまいますが、二荒山神社の許可が得られたとしてもとうてい一人では無理。特に、蒲生君平の碑を眺めて出るのはため息ばかりです。

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2012年3月11日は、結局宇都宮市内の石仏巡りに出かけました

2012年03月11日 16時45分24秒 | Weblog


 朝起きると雨が降っている。家内が言うには、間違いなく晴れるというのと、今日は昨年の大惨事から一年ということなので石仏に逢ってきたらというのでその気になって出かけたが、現地に着いて9時半になるも雨はまだ止まない。その場所は、今から数十年前に来ていたが、今回来てみると農道は広い一直線の立派な道路となっているし、目印の墓地と薬師堂はどこにもなく広〜い住宅地となっている。雨が降っているのを幸いと、周辺を探し巡ってみたら、住宅地となっている一角に墓地共々移転していた。そして目的としていた寶篋印塔は、その敷地内に薬師堂とともに移転されている。ホッと一安心。早速、宇都宮市の近世寶篋印塔調査の60基目となるのを、雨が止むのと同時に調査した。そんな薬師堂には、古そうな鰐口が釣り下がっているが、裏を覗くと裏面剥奪で文字部分がない。おそらく、佐野市在住の高橋氏は見ていないだろうと思いつつも、これでは写真にとっても仕方ないと諦める。
 その後は、今日の最大も目的は達成したという安堵感から、いつもの石仏巡りとして隣の板戸町へ移動する。上記の写真は、そんな板戸町内鬼怒川縁にある馬頭観音群の一角風景である。三面六臂の馬頭観音像容塔もあるが、そちらは昨年の1月の時に紹介した覚えがあるので、この写真にした。
 部落内のあちこちで聞き込み調査開始。その一人の方が、そう言う石造物に詳しい人が反目(ソリノメ)地区に居ると言うのでその方の家を教えてもらって訪問。そして話を伺えば、自宅近くの山(藪)の中に寶篋印塔があったが昨年の地震で今はどうなっているか判らないと言う。予想以上の嬉しい話で、早速教えられた森の中へ入っていけば、昨年の今日の東日本大地震によって基壇の上から全てが地面に散乱している姿を発見。そのあまりにも酷い惨状に音を上げながら、それでも出来る限り拾い集めて組み立ててみたが、所詮一人では無理な話で、特に軸部と笠に宝輪などはどうしようもない。その軸部には、4面全てに寶篋印陀羅尼経からの梵字真言が刻まれているという優れもの。それからは昼食時間も忘れて手拓開始。一面を取り終えると重い軸部を転がして掃除して次の面へということを繰り返しながら結局は全てを取り終えるまでに2時間強もかかってしまった。紀年銘は宝暦年間、しかも梵字真言にほとんど傷はなく完璧なもの。この嬉しさ、皆様には判らないでしょう。今日で、宇都宮市内の近世寶篋印塔調査は一区切りとすることにしていたのに、思わぬお宝との出会いに笑いが止まらない。それが、下の正面部分の手拓画像です。どうです! 良いでしょう!

 時計はすでに3時。今日の石仏巡りは大豊作につきここで終了。そして宇都宮市街地へ戻り、そう言えばもう一箇所、市街地の未訪問寺院があることを思い出し、ついでに寄ってみると、そこにも墓地内に昭和40年台の造立ながらの寶篋印陀羅尼経梵字真言と出会う。昭和になってからの陀羅尼真言ということで、これも記録を取る。結局は、今日一日で3基の寶篋印塔を調査できたことになった。これで、今夜からまたしばらくはその梵字陀羅尼の照合に時間を取られると、うれしい悲鳴を上げながら帰宅した。
 さて次回は、早くも宇都宮市街地の碑(いしぶみ)再校正にママチャリで出かけることにしようと思っている。

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「宇都宮市の輯録いしぶみ」が完成しました

2012年03月10日 17時01分28秒 | Weblog

 あいにくの悪天候となった今週の週末、仕方なく今日は朝からパソコンの前に座っていた。そして今は、約1時間の散歩を(散歩も今日は寒かった!)終えて、再びパソコンを起動してこれを打ち込んでいる。
 今回は、この一年間に渡って調査してきた「宇都宮市の輯録いしぶみ」を印刷し、製本まで一気に仕上げることにした。そして出来上がったのが上記に掲載したものです。B5判で200余ページになってしまった。しかし、これでもって宇都宮市の輯録いしぶみ調査が終了したかというとまだまだで、さらに数基の精査校正が残っている。多分、間違いはないだろうと思いつつも念には念を入れて、機会を見て実物と対面してきます。それと、手拓がどうしても欲しい碑もあるので、こちらももう少し暖かくなったら拓本取りに出かけようと思っている。
 さて、本当なら今日は宇都宮市内のまだ出会えぬ寶篋印塔を探に鬼怒川を超えた地域へ出かける予定だったのだが、やむなく中止。あと1基を確認すれば、宇都宮市の近世寶篋印塔は大台の60基になるのでそれを確認してから纏めと最後の製本に進もうと思ってる。いずれにしても、今のところはすることが山積していて、自分のHPの更新さえままならない情けない始末。誰か、余っている時間があったら譲ってくださいと言いたい所だが、こればかりは仕方のないこと。どうせなら、明日も外出が出来ないような悪天候になっても良いと、勝手なことを思っている。それもこれも、フィールドワークばかり続けてきたつけがここへ来て一気に噴出したようである。嗚呼忙しい!忙しいと騒いでいるばかりで先へ進まぬ自業自得である。

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2012年3月3日は宇都宮市の石仏巡り

2012年03月05日 08時32分01秒 | Weblog


 今回は、今年初めてのような感覚の石仏巡りでした。したがってその内容も豊富で、大きな石碑に宝篋印塔あり、さらに見事な彫りの三面八臂馬頭観音像容に狛犬等等で暫くぶりに楽しい石仏巡りが出来ました。特に今回は、宇都宮市の碑(いしぶみ)調査最後となる石碑調査を終了することが出来ました。しかも、一日で三基もの新たな宝篋印塔を調査できてもうこれだけで言うことなしなのですが、その他にも20数基の一般的な石仏も調査できて大満足な一日でした。
 上に掲載した狛犬は、宇都宮市若草3丁目の神社とも言えぬ場所に鎮座?している狛犬の中(全部で6〜7組の狛犬が並んでいる)の、面白い顔をした2基を掲載しました。多分、佐野市在住の山口氏ならここだけで半日以上は過ごしてしまうでしょう。それにしてもその状態は酷く、昨年のような大地震が再び襲ったら間違いなくその足は折れてしまうほどの傷みよう。それもこれも、以前は草むらの中に半ば放置された状態だったのでその影響かと思っています。
 さて、次回の週末はあれから1年! 今回もつくづくと感じたのですが、その後に出会う宝篋印塔の多くは九輪部分はもちろん笠が落下した状態のものはほとんど。以前に撮影しておいた宝篋印塔にしても、今回再訪してみると見事なまでに上部が落下している。やはり石造物調査にも「機」があり、それを逃してしまうと後で後悔することを思い知らされた、今回の石仏巡りでした。次回は、暖かだったら宇都宮市内の調査済み石碑の最終校正に行こうと思っています。
 ところで今回調査した宝篋印塔の中に、塔身の種子の代わりに文字で「寶篋印塔」とあるのは時々見られますが、「寶鏡印塔」と「篋」のところが「鏡」の文字となっているのに出会いました。もちろん栃木県内では初見です。県外の例で、このような例をご存知の方からの情報をお待ちしています。

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