石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を出来る限り拓本を採りながら行っています。投稿は、実名でお願いいたします。

2010年9月26日も栃木県上河内町の石仏巡り

2010年09月27日 | Weblog

 先週で、宇都宮と合併された上河内町の石仏巡りは終了としたつもりだが、どうにも落ち着かない。それは、いつも行う最後の落穂拾いを実施していなかったからだ。そこで意を決し、石仏巡りには最高の条件となった秋日和ながらも、その石仏巡りとしては苦労多くして実りの少ない石仏落穂広いへと上河内町へ入ることにした。
 最初に訪れたのは、中里地区の道路沿いにあるという聖徳太子碑である。しかしこれまでに何度か探している碑なのでそう簡単に出てくるはずも無く、出会う地元の方たちを捕まえては聞き込み調査をしたが、一向にらちがあかない。困り果てていると、そういえば公民館の敷地端に石祠を移動した時に何かを持っていったことがるというので、その公民館へ行ってみると、そこには確かにさんざん探しあぐねた聖徳太子碑があった。
 これは幸先良いと、今度は冬室地区へ入る。それは、山の中に庚申塔があるというが、いつものように山中にある庚申塔探しはそう簡単に見つかるものではない。見つけるには、地元のご老人、しかも庚申講に加わっていた人を探し出すことが先決。そこで、田んぼで働いている中でもご老人を見つけて尋ねる作戦開始。その結果、偶然にも今でも年に一度の庚申講を開いているという方に巡り会えた。詳細な山の中の所在地を教わり、先ずは独りで探して、どうしても見つからない場合は案内してくれる約束を取り付ける。山林中の余り使われない林道へ車を乗り捨て、あとは徒歩での山中散策開始。行ったり来たりを繰り返していて、山の中に途中で折れた樹のような形を見つけたので走りよってみれば、それが何度も探して一度は諦めた青面金剛像であった。ただ、石文のありそうな基段石は深く土中に没していて諦めざるを得なかった。それでも、これで上河内町の庚申塔はほぼ完璧なまでに探し終えたと大満足し、山の中でしばし余韻に浸った。もちろん帰路は、教えてくれた方に車を止めてお礼に行ったことは当然である。
 その他、今回は地図などにも載っていない小さな神社(しかもそれは急な階段を登って行く)を訪ねる事にした。そこで何と予想だにしなかった狛犬ならぬ丸彫りの猪像に出会って大喜び。当然そこは愛宕山となるので、かぎの掛かっている小さな祠の中を覗いてみたら、そこには猪騎乗の将軍地蔵丸彫り像まで祀られていた。その他、あちこちで予想外の碑塔を見つけ出し、最後の落穂拾い石仏巡りとしては大なる成果が得られた。
 そうそう、ここへ掲載した写真は、暫くぶりに登った関白神社の山頂に祀られている、拝侍型二猿姿が浮き彫りされた石祠である。もちろん、その三面にはそれぞれに日輪、月輪に加えて三星も浮き彫りされている優れものだが、残念ながら現時点で肝心な紀年銘が見つからずにいる。
 来週は、秋に相応しい場所でふらりと出かけることにしよう!
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九月最後の土曜は台風ですね!

2010年09月25日 | Weblog
 前日から、今日は悪天候となるのが分かっていたので、昨夜から自分の石造物データベースを見、念仏に関する項目を調べました。そして今日、改めてその種類を書き出したところ、何ともまあ沢山の種類が出てきました。栃木県だけでも多様な念仏塔があるのですから、日本全国となるとその数は膨大なものになるのでしょうね。
 さて、そんな念仏塔の幾つかを下記に記しましたのでご笑覧あれ。
奥山念仏、茶湯念仏、権化念仏、彼岸念仏、戌念仏、冬念仏、高野山念仏、天念仏、日課念仏、釘念仏、定念仏、その他様々なものがありました。当然、月念仏や月並念仏、月次念仏に毎月念仏や八日念仏に十夜念仏などがあるのは当たり前です。
 いや~あ、今更ながらに念仏信仰の奥深さを実感しています。いつかは、そんな念仏塔の正体をご紹介したいと思いますが、別HPが閉鎖となるので当分は無理のようです。まあ、一人で楽しみましょう!。
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サボっていた九月の石仏巡り記を別HPへ掲載しました

2010年09月20日 | Weblog
 今月も4日、11日、18日と三週連続で石仏巡りをしましたが、その巡り記を掲載しないままにしていました。そこで意を決し、本日3回分を纏めて掲載しました。その、今までのアドレスによる石仏巡り記掲載は今月末日をもって終了閉鎖いたしますので、ご覧になれるのはあと10日ばかりですが、お暇な方は最後の掲載としてご笑覧ください。
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2010年9月18日は、栃木県上河内町の石仏巡りで

2010年09月19日 | Weblog

今回は、当地の石仏巡りを終了させようと本気になって出かけ、午前8時には最初の調査を開始していました。特に今回は、平地の石仏巡りにつき夏場の暑い盛りでは些か閉口すると先延ばしにしていた場所ばかりなのだが、それだけにその多くは所在地が大体把握出来ていたので気が楽であった。しかし、上河内町のメイン道路といってもそのほとんどは道路沿いに車を止められないほど狭い道路ばかりなので、公民館などの駐車できるスペースを確保できるや、そこへ相変わらず自動車の窓は全開したまま放置して、後は歩いての石仏巡りとなった。それでもさすがに、共同墓地での1時間以上にも渡る調査を終えた時は、不法駐車で誰かに撤去されてしまっているのではないかと、急ぎ足で戻ったが、何の被害も無くそのまま放置されていたので安心した。
 そんなこんなで、午後3時半までに49基もの碑塔を調査できた。しかしそれでも、最後の最後になっての「愛染明王」文字塔探しには往生した。出会ったご老人に、昔は橋の袂に他の碑と共にあったと教えてもらったのだが、いくら探しても見つからないどころか、通りがかったオートバイを止めて尋ねても、少しもらちがあかない。こうなるといつもの意地となって、その地区を徹底的に巡りそして尋ねる苦労をして、最後にそれらの碑は、田んぼの中の農道沿いに移したということが分かった。その風景が、ここへ掲載した写真である。左から、天明八年銘の庚申塔。中央が探していた「愛染尊王」とある寛政四年銘、そして右端がこんなところで出会ったことに驚いた「録事尊」碑であった。これで栃木県内での「録事尊」碑は17基となった、喜ぶべき碑との出会いであった。これでもって、上河内町の碑塔巡りは一部の碑と、一部の地区の神社未訪問を残して終了したことになる。その上河内町碑塔総数に対する実見確率は間違いなく90パーセントを越えたので、あとは機会を見つけての訪問として今回で終了とする。
 特にこれからは石仏巡りには最適な季節となるので、これまでに溜めてしまった気になるあちこちの碑塔調査に出歩こうと思っている。日光、足利、矢板市などとその範囲は広いが、まあ秋の季節を愛でながらの石仏巡りとなるだろう。
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9月11日は暫くぶりに日光へ行きました

2010年09月13日 | Weblog

 残暑が厳しい日が今日も続くと言うことなので、本来なら上河内町の平地の石仏巡りですが、自分の身体を休めるために少しでも涼しい思いが出来る日光へ行きました。
 朝8時半から11時半まで、みっちりと石屋町の志渡淵川の竜造寺墓地にある石造物調査を行いました。もちろんここへはこれまでに何度となく訪れている場所なのですが、墓地内の碑塔調査は完全に終わらせていなかったからです。特に十王像などは何度も写真を撮っていながら精査はしていませんでした。そこで今回はその背中にある銘文までも手拓しました。また、墓地内に散らばる碑塔も、偏に面倒が先になって同様の状態だったのです。さて、実際に始めてみると結構な重労働を要するものもありましたが、その中に寒念仏に関する碑塔が幾つか出てきてやはり精査をすればそれなりの成果があるものだと感じました。また、秋空にそびえる日光表連山を眺めながらの石仏調査は気分の良いものでした。そんな、墓地から眺めた山々の景色が、今回の写真です。
 一応の調査が終えたので、それから日光図書館へ行きました。実は、日光図書館の吉新館長様に、私がこれまで探してみ見つからない日光地区の庚申塔所在地を教えてもらえることになっていたのです。訪ねれば早速に事務所で、今日までの探索で分かった場所7箇所の地図を持って出迎えてくれました。それらの場所を丁寧に教えてもらって、午後からはそれらの庚申塔調査です。特に、憾満ヶ淵にある庚申塔には驚きもので、よくぞこんな場所にあるのを探してくれたと感激物ですが、残念ながらその内の1基は、鉄線が金網の上に張ってあって、ご丁寧にも立ち入り禁止の看板まで設置してある。そのため遠くから写真を撮るのが精一杯で銘文までは確認できませんでした。また、石屋町の金剛童子の場所は、絶対に余所者には分からない山中にありました。地元の方ならではの探索で見つけられた今回の庚申塔の数々、本当に感謝感謝の言葉しかありません。もっとも、その中には私の不注意で見逃していたものが数基ありましたが…。
そんな、地元の方でもそう簡単に見つかりそうも無い庚申塔探索を、喜んで引き受けてくれました館長さんには、ただ感謝するのみです。まだまだ、探索をお願いしている庚申塔がありますので、これからが楽しみです。
そんなこんなで、今回は一日で28基しか調査できませんでしたが、私にすれば長年捜し求めていたものが少しずつ実見でき、こんな嬉しい日光行きは中山さんと行って以来の暫くぶりでした。
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遅ればせながら、8月の石仏巡り記をアップしました

2010年09月06日 | Weblog
 先月8月も、今年の異常な暑さを乗り切って4回の石仏巡りが出来ました。しかし、その石仏巡り記は一度も掲載せぬまま、8月が終わってしまいました。
そこで、8月の石仏月報を作成したついでに、その中の8編を掲載しました。いつもと違う内容ですが、時にはこういうのもありかなと思っています。

それと、「栃木県の石造物データ」の見直し(特に年号と西暦年の単純な打ち間違い等)が終わったので、今までの内容を修正しようと思っているのですが、なかなかその気になれません。もう少し涼しい秋になりましたら修正アップしようと思っています。
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9月最初の4日は栃木県上河内町の石仏巡りです

2010年09月05日 | Weblog

 栃木県上河内町(現・宇都宮市)の石仏調査も佳境を向かえ、今回の調査で目鼻が付き、あと2回も行けば完了です。それにしても、既に9月になったと言うのに暑い日が続いていますネ。
さて今回の石仏巡りの前半は、高橋氏と一緒の行動で、半鐘と鰐口調査のお手伝いです。といっても、金工品調査は全く出来ないのでただ一緒に行っただけというのが実情で情けない話です。それでも、涼しい風が吹き抜ける境内でのんびりした半日は至福の時間でした。金工品調査のエキスパートである高橋氏と一緒なのに、その方法さえ学ぼうとしない自分に自分自身で半ば飽きれました。それもこれも、同境内にある丸彫り地蔵像の台座にある、何がなんだかサッパリわからない偈文が汚くなって刻まれていて、それを何とか読もうとしたのですが、結局はそれを読むにはエライ時間が掛かるので止めてしまいました。そんな自分に嫌気がさしたのも一因なのでしょう。
 午前中で高橋氏と別れ、午後からは上河内町の東部地区へ入りました。その多くは過去に調査済みだったり、今年8月に行ったばかりという所がほとんどでした。その中には、調査して写真を撮り忘れたものや、写真だけ撮って紀年銘を読んでいなかったという不始末の後処理のためだったりとう有様で、いつものような大喜びする新たな碑塔にはあまり出会えませんでした。午後四時になって、少しばかり暑さに疲れてきたのでここで終了。それでも午後だけで34基も調査できたのにはそれなりに満足な一日でした。
 そうそう、掲載した写真は8月21日に掲載した碑塔風景写真の反対側に並ぶ景色です。ここへは、近くの神社の狛犬にスズメバチが巣を作っていたのを地元の方に教えなかったので、これを教えに行ったついでに立ち寄って撮影したものです。
 次回も、引き続いて上河内町へ入りたいと思っているのですが、残っている調査場所は皆平地にある所ばかり。一休みの為の日陰がないと、本当に熱中症になって倒れてしまいそうなので、このままの暑さが続くようでしたら日光へ一旦避難しようとも思っているところです。
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