●独島紛争端緒はサンフランシスコ条約?
アメリカが独島問題に中立立場を表明するようになった端緒として1951年締結されたサンフランシスコ講和条約(Treaty of Peace with Japan)が指摘されている。
「対日講和条約」とも呼ばれるサンフランシスコ講和条約は最初 2次世界大戦戦勝承国家である連合国が日本と戦後処理方案に合議して恒久的平和を果たすために 1951年 9月 8日締結した。条約が締結された場所がサンフランシスコだ。
問題はこの平和条約の「第2章領土」部門にある第2条条項。日本の韓国に対する独立を認める内容のなかに韓国の領土関連規定があり、済州島と巨文島、鬱陵島は入っているのに実際に独島が抜けている。日本はこの条項を根拠として独島領有権を主張する。
しかしアメリカがその頃みられた立場を見れば行ったり来たりしたいくつかの点が続々と現われる。
実はアメリカは 1946年 1月連合国最高司令部が出た訓令 677号では済州島、鬱陵島はもちろん独島に対しても日本行政区域から排除すると明らかにした。当時配布した地図にも独島は韓国領に入っている。
しかしサンフランシスコ講和条約締結過程で立場が変わる。講和条約 5次下書までは独島が韓国領土と表示されてから日本政府抗議で 6次下書から日本領土と修正された。またわが政府の抗議で日本領土という表示さえ削除されて最終案に独島が初めから抜けてしまった。
以後もアメリカは 1954年韓・米防衛条約と 1965年韓・日協定を経ながら韓国と日本の立場を行ったり来たりする姿を見せた。
結局「中立」というアメリカの曖昧な立場が日本の独島領有権主張に言葉尻を提供したわけだ。
[ワシントン = ユン・ギョンホ特派員]
2008.07.30 09:50:41 入力
http://news.mk.co.kr/newsRead.php?sc=30000021&cm=%EC%A0%95%EC%B9%98%20%EC%A3%BC%EC%9A%94%EA%B8%B0%EC%82%AC&year=2008&no=473399&selFlag=&relatedcode=&wonNo=&sID=302
アメリカが独島問題に中立立場を表明するようになった端緒として1951年締結されたサンフランシスコ講和条約(Treaty of Peace with Japan)が指摘されている。
「対日講和条約」とも呼ばれるサンフランシスコ講和条約は最初 2次世界大戦戦勝承国家である連合国が日本と戦後処理方案に合議して恒久的平和を果たすために 1951年 9月 8日締結した。条約が締結された場所がサンフランシスコだ。
問題はこの平和条約の「第2章領土」部門にある第2条条項。日本の韓国に対する独立を認める内容のなかに韓国の領土関連規定があり、済州島と巨文島、鬱陵島は入っているのに実際に独島が抜けている。日本はこの条項を根拠として独島領有権を主張する。
しかしアメリカがその頃みられた立場を見れば行ったり来たりしたいくつかの点が続々と現われる。
実はアメリカは 1946年 1月連合国最高司令部が出た訓令 677号では済州島、鬱陵島はもちろん独島に対しても日本行政区域から排除すると明らかにした。当時配布した地図にも独島は韓国領に入っている。
しかしサンフランシスコ講和条約締結過程で立場が変わる。講和条約 5次下書までは独島が韓国領土と表示されてから日本政府抗議で 6次下書から日本領土と修正された。またわが政府の抗議で日本領土という表示さえ削除されて最終案に独島が初めから抜けてしまった。
以後もアメリカは 1954年韓・米防衛条約と 1965年韓・日協定を経ながら韓国と日本の立場を行ったり来たりする姿を見せた。
結局「中立」というアメリカの曖昧な立場が日本の独島領有権主張に言葉尻を提供したわけだ。
[ワシントン = ユン・ギョンホ特派員]
2008.07.30 09:50:41 入力
http://news.mk.co.kr/newsRead.php?sc=30000021&cm=%EC%A0%95%EC%B9%98%20%EC%A3%BC%EC%9A%94%EA%B8%B0%EC%82%AC&year=2008&no=473399&selFlag=&relatedcode=&wonNo=&sID=302