●本邦初公開(10)! 19世紀後半作製朝鮮図「八道全図」:対馬は日本領、于山島=竹嶼≠独島
●19世紀後半作製『道里図標』所収「八道全図」
●所蔵:嶺南大学校博物館
●嶺南大学校博物館編『韓国の古地図 図版篇』所収
●注目点
この朝鮮地図「八道全図」は19世紀後半に作製された『道里図標』に収録さ
れたものである。「八道全図」のほかに、各道の主要地点間の距離が書かれている。
「八道全図」には、朝鮮半島の南側にわが国の対馬が「対馬島」と書かれて
いる。韓国側は、各種の八道図に対馬島が記載されていることをもって、
対馬がかつて朝鮮に属していたと主張している。しかしながら、この地図に
おいては、対馬島の北に「日本界」とある。つまり、対馬と朝鮮半島の間に
国境があることが分かる。したがって、対馬は日本に属していたことは、朝
鮮側で作製された地図でも明白に確認できるのであり、八道図の記載をもっ
て、対馬が朝鮮に属するという主張は全く根拠がないことが確認できる。
また、朝鮮半島の東側に2島描かれている。
そのうち西の島には、鬱陵島であり、東の島は于山島とある。
韓国側は、この于山島こそ、独島であると主張しているが、
その位置をみると、鬱陵島に近接していることから、鬱陵島
の東に隣接する竹嶼(韓国名竹島=チクトウ)であること
は明白である。鬱陵島から90km南東に離れた独島は描かれ
ていないのである。つまり、独島は朝鮮王朝の領域には属
していなかったのである。
なお、鬱陵島の下には、鬱陵島の説明が記載され、かつて
于山国であったことなどが記されているが、独島のことは
一言も触れられていない。つまり、独島は地理的に認識し
ていないのである。
したがって、この地図から、対馬島も独島も朝鮮領でないこ
とが明らかであり、両島を朝鮮領とする主張は、完全に間違
いであるといえる。
●19世紀後半作製『道里図標』所収「八道全図」
●所蔵:嶺南大学校博物館
●嶺南大学校博物館編『韓国の古地図 図版篇』所収
●注目点
この朝鮮地図「八道全図」は19世紀後半に作製された『道里図標』に収録さ
れたものである。「八道全図」のほかに、各道の主要地点間の距離が書かれている。
「八道全図」には、朝鮮半島の南側にわが国の対馬が「対馬島」と書かれて
いる。韓国側は、各種の八道図に対馬島が記載されていることをもって、
対馬がかつて朝鮮に属していたと主張している。しかしながら、この地図に
おいては、対馬島の北に「日本界」とある。つまり、対馬と朝鮮半島の間に
国境があることが分かる。したがって、対馬は日本に属していたことは、朝
鮮側で作製された地図でも明白に確認できるのであり、八道図の記載をもっ
て、対馬が朝鮮に属するという主張は全く根拠がないことが確認できる。
また、朝鮮半島の東側に2島描かれている。
そのうち西の島には、鬱陵島であり、東の島は于山島とある。
韓国側は、この于山島こそ、独島であると主張しているが、
その位置をみると、鬱陵島に近接していることから、鬱陵島
の東に隣接する竹嶼(韓国名竹島=チクトウ)であること
は明白である。鬱陵島から90km南東に離れた独島は描かれ
ていないのである。つまり、独島は朝鮮王朝の領域には属
していなかったのである。
なお、鬱陵島の下には、鬱陵島の説明が記載され、かつて
于山国であったことなどが記されているが、独島のことは
一言も触れられていない。つまり、独島は地理的に認識し
ていないのである。
したがって、この地図から、対馬島も独島も朝鮮領でないこ
とが明らかであり、両島を朝鮮領とする主張は、完全に間違
いであるといえる。