takatoriasia

2013年4月、ホーチミンへ移住
2020年6月、ハノイへ移住
 2022年1月、永久帰国

かすかな希望の光

2021年07月31日 | ハノイ生活

 7月30日、現地大使館から以下のメール連絡がありました。

 

1 日本人のワクチン接種希望について、ハノイ市在勤者又は在住者であって、50歳以上の人数を把握するため調査します。

2 ハノイ市当局は、当館の要請に基づき、ハノイ中央病院において日本人のワクチン接種を行う方向で調整しています。

3 しかし、同病院では、ワクチン接種を希望する日本人を一度にお受けするのが難しい状況です。このため、日本国大使館は、同病院との調整を迅速に進めるために今回の調査を行います。

 以上の内容です。

 ワクチン接種に向けて、現地大使館がハノイ市当局に働きかけている状況が理解でき嬉しいです。

 ワクチン接種は、他人に感染させない、また、他人から感染しないため極めて大切です。大切な家族のため、大切な友人達のために

 しかし、接種率が全国レベルでは今だに1%の現状ですから、私達日本人の優先順位は低そうです。

 先が長そうですが一歩前進です。気長に待ちましょう。


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ハノイ・・厳しい!

2021年07月30日 | ハノイ生活

 

 ハノイ市当局は7月29日、新型コロナウイルスの感染防止違反行為に対する罰則を公表しました。


 主な違反行為に対する罰則・罰金は次の通りです。

1 新型コロナに関するデマを流した場合:最大7年の禁固刑

2 健康申告をしないことにより他者の感染を引き起こした場合:最大12年の禁固刑

3 隔離施設からの脱走および隔離逃れ:これにより他者の感染を引き起こした場合は最大12年の禁固刑

4 公共の場でマスクを着用しない 最大100万VND(約4810円)

5 不要不急の外出:最大300万VND(約1万4400円)

6 使用済みマスクを歩道や路上に捨てる:最大200万VND(約9620円)

 どうですか! 日本では考えられないほど厳しい規制ですね。こんな厳しい措置をしても連日5,000人を超える新規感染者が発生しています。

 報道によれば、主な感染源は、隣国が現地で生産している工場における集団感染のようです。

 自由に生活することができません。しかたない、今は我慢の時なんだ。

 


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これは何でしょう

2021年07月27日 | ハノイ生活

 

 今日の夕方、部屋で焼酎を飲んでいると部屋をノックする音がしました。

 急いで着替えて外へ出るとベトナム人の女性教師でした。3か月ぶりに会いました。手にはお土産を持っています。

 

 容器は6リットル入りのペットボトルです。その先生は私が酒好きなのを知っています。

 昨年6月、この会社で働き始めた時にも、この先生から「父がうちで作ったお酒です」と自家製造酒を頂きました。たぶん、ベトナムでは日本の酒税法のような法律はないんでしょう。好きな人は各家庭でお酒を造っているようです。

 そして、酒の肴もいただきました。ツナ缶です。

 

 この先生は、他の先生20数人と同様に、5月初めから自宅待機が続いています。でも現況は悪化するばかりでこの3か月給料はありません。

 でも、止まない雨はない! 

 


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初めて飛行機に乗ったのは・・

2021年07月26日 | ハノイ生活

 

 コロナ禍でハノイは7月24日から外出がさらに厳しく制限されました。私が勤めている会社は政府の指示どおり必要最小限の社員だけ出社しています。

 私は何もすることがないので、いつものように早朝4時に起きて、4、5時間「VOICE OF AMERICA」を聞き、その後、昼ご飯を食べた後、YOUTUBEを見ながら焼酎を飲むのが楽しみの一つです。

 今日、2004お台場明石城を見ていると、初めて飛行機に乗ったトークがありました。

 そこで、初めて飛行機に乗ったのはいつだったかな?と思い浮かべると・・

 最初の赴任地は昭和57年福岡です。翌58年鹿児島に赴任しました。その58年に当時の所長と一緒に沖永良部島へ出張させてもらいました。

 

 初めて飛行機に乗って感動しました。その機種はYS11です。滑走路を離陸するときのあの感動・・体が背もたれにひきこまれるようあの感動。忘れることができません。

 沖永良部空港に着くと、役場の総務課の人が出迎えに来てくれました。

 沖永良部島はゆり栽培が有名です。 

acs-map.png

  時は過ぎ、平成13年4月、沖縄に転勤しました。沖縄は2度目の勤務でした。もう一度沖永良部島に行きたいと思い、休みを利用して一人で那覇泊港から沖永良部に旅行に行きました。

 レンタカーを借りて島を一周し、夜は一人酒場で焼酎を飲んだ。一人旅もいいもんだ。

 


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М田に会いたい

2021年07月24日 | ハノイ生活

 М田は大学時代のワンゲル同期です。

 大学3年の夏合宿では、同期のSや下級生達と信州へ行き、サイクリングと八ヶ岳、南アルプス登山をしました。

 大学卒業後、М田の故郷、島根県松江市での結婚式には、同期S、H、先輩Оさんと4人で馳せ参じました。

 М田は、東京で就職し奥さんと新宿で新居を構えました。

 その後、М田から「今度、会社のスキー旅行があるので、都合がつくなら来ないか?」という連絡がありました。

 当時、私は勤め始めて3年目で、鹿児島に赴任していました。

 鹿児島から東京へ行き、М田の新居のアパートに泊めてもらいました。

 翌日、М田の会社の人達と一緒に、新潟県上越国際スキー場へ向かいました。

 東京から新潟へ向かう特急の中は、凄まじいものだったと記憶しています。

 会社の人が大量のビール、焼酎、日本酒を持ち込んで酒盛りが始まりました。

 上越国際に着いた頃には完全に出来上がっていました。

 その後、時は流れ、53歳で早期退職し、ベトナムで生活している私は、毎年2回一時帰国していました。

 数年前、一時帰国した時に、О先輩が、「私がМ田に会いたい」ということを知って、М田に連絡してくださり30数年ぶりに博多で再会しました。

 М田にもう一度会いたい。この夢かなうかな。

 


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