本屋タカクラの日記

野良(放浪)書店員の日常 25年あちこちの書店で働いた元書店員で現在ライターのタカクラミエです。

RKBラジオで本の紹介をしています。

2016-09-13 02:37:41 | 
RKBラジオ「こだわりハーフタイム」で
サンセットライブラリーというコーナーを担当しています。

10分くらいのコーナーですが、この10分を語るために
いろんな本を読んで選書し、選んだ本の面白さや特徴を
およそ2000字の原稿に起こします。

2000字の原稿を書くのに2時間半くらいの時間が必要です。

その前段階で、お勧めする本を読むのに数十時間かかります。
もちろん、本を読むのは好きなことなので、このあたり
仕事なのか趣味なのか、その境目はあいまいです。

ラジオで本を紹介するにあたり、ワタクシが
どんな原稿を用意しているかを、ちょっと紹介したいと思います、
興味ない方は、もちろんのことスルーで、よろしくで、おねがいします。


2012年9月30日に放送した
「オーギー・レンのクリスマスストーリー」
の原稿です。

「オーギー・レンのクリスマスストーリー」
ポール・オースター 著
「スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス」
新潮文庫 所収

映画「スモーク」の原案となった小説です

映画のエンディングに流れる

トム・ウエイツの
「Innocent When You Dream」

アルバム「Frank's Wild Years」に入っています

今日は
ニューヨークに因んだ本ということで

ポール・オースターの小説
「オーギー・レンのクリスマスストーリー」
を紹介します。

この小説自体は13ページの短編なんですが
新潮文庫の
「スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス」
に収録されています。

映画好きな方なら、ちょっとここで
ひっかかりがあると思うんですが

これ「スモーク」と
「ブルー・イン・ザ・フェイス」

どちらも1995年に公開された映画で
ポール・オースターが脚本を
書いているんです

そして
映画「スモーク」
の原案となったのが

この
「オーギー・レンのクリスマスストーリー」
なんですね

ポール・オースター
と言えば
日本でもファンのたいへん多い
アメリカの作家なんですが
自身が済んでいるニューヨークを
舞台にした小説を多く書いています

日常に不思議なことがふわっと
起きるようなお話が多いのですが
そんな物語のなかでも
出て来る人々は非常にリアリティが
あると言いますか

お金持ちでもなく
清廉潔白でもなく
目の前の仕事を頑張って
ちょこっとずるいことしたり
ちょこっと親切をしたり

という、どこにでもいる
わたしたちのような
人々がきちんと
描かれている物語が多いんです

オーギーレンのクリスマスストーリーは

1990年のクリスマスに
ニューヨークタイムスに掲載された
短編小説で

「クリスマス特集の新聞に
原稿を頼まれた作家が、友人のタバコ屋の
店長に、クリスマすのなんか面白いエピソードは
ないかい?ときいて
あるとも、と言って、ある話を
きかせてくれた」

という内容なんです
どこまで実話でどこからが
小説なのかよくわからない作り
なんですね

そして、その短編を読んだ
映画監督のウエイン・ワンが
「この短編を映画にしたい!」
そして、この短編を書いた人
とはぜったいに友達になれるだろう
という予感のもとに
ポール・オースターに連絡をして
その予感通りに
親しい友人になって
5年後に映画が公開になります

最初は、このクリスマスストーリーを
原案に、別の人が脚本を書きかけて
いたんですが
オースターがアイデアを思いついて
ウエイン・ワンに連絡したところ
じゃあ、脚本まで買いてよ

ってことで、オースターが
脚本を書いて
できあがった映画が
「スモーク」
なんですね

作家の役はウイリアム・ハート
タバコ屋の店長はハーヴェイ・カイテル

じつはこの映画が
めちゃめちゃよくて
映画の帰りに本屋さんに
よって原作を買い
CD屋さんに寄って
トム・ウエイツが歌った
主題歌の入ったCDを
買ったんです

映画は
この作家とタバコ屋の店長と
ブルックリンの人びとの日々を
描いたものなんですが

ラストの十数分で
「オーギー・レンのクリスマスストーリー」
が語られます

オーギー・レンは
タバコ屋の店長なんだけど
毎朝同じ時間
店の前の風景を
カメラで写すという
ことをもう14年も
続けているんです

そしてその写真をアルバムに
収めています
ある日作家はその
アルバムを見せて
貰うんですけど
同じ建物がうつってるだけで
何も変化がないような
4000枚もの写真を
見せられて困惑します

おんなじだけど……

オーギー・レンは
同じ様にみえるけど
違う
晴れた日
曇った日
寒い日
雨の日
そして歩く人々が
ある日表れた人が
常連になったり
またいなくなったり
誰かといたり
一人だったり

そして
その一人一人には
かけがえのない
その人だけの
物語があって
同じ写真など
一枚も無いと
作家は気づきます

そしてオーギー・レン
は話しだします
そのカメラを手に入れる
ことになったクリスマス
の日のことを

映画ではその
ラストシーンに
トム・ウエイツの
イノセント ウエン
ユー ドリーム
がかぶさるように流れて来て
あのだみ声と
画面に
まさに
眼から
鼻から
液体が噴出して
大変でした

本は若干手に入りにくく
なっているようですが
古書店めぐりをしてでも
手に入れる価値がありますので

できたら
映画「スモーク」
DVDもありますので
そちらを観てから
本をお買い求めください
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2000年1月 元旦のブログを再録してみる

2016-08-17 01:15:13 | 日常
【2000】

 2000年である。


 空から大王は来なかったが
放射線を浴びた大内氏は
凄惨な延命措置のあげく原発事故初の死者になった。


大王よりも

もっともっと手に負えないものを抱え込んでしまっている

2000年のワタクシたちである。

 週報という名の月報は年末ついに隔月化した。嗚呼。
 言い訳だが、本屋さんてのは、年末、鬼のように忙しい。

ことにコミックの担当は。
なぜかと言うと、年末年始は流通が止まるので
当然本が入ってこなくなる。
新刊の発売も止まる。
1日にウン百冊売れるコミックや文庫のようなジャンルは、
1週間流通が止まれば、数千冊の本が店から消えてゆくわけで、
その分の補充を年末に用意しておかなければならない。

年末年始にしっかりお休み遊ばす「出版社と問屋と運送会社」のために、
無休で働く地道な偉い正しい小売業「本屋」は

毎年12月に地獄を見るのであったよ。

とか言いながら、
年末は25日から(保育園の休みの都合上そうなったのだが)休みに入り
年明けは3日までのんびりした鬼畜のタカクラだ。
もう一人のコミック担当Nちゃんゴメン。
一番地獄だったのは彼女かもしれん。

 さて、京都に帰省するたびに、
どこかしら本屋にでかけるのが恒例になっているのだが、
今回は大阪は難波のコミック専門店「わんだーらんど」を訪ねてきた。
詳しくはいずれ本屋さんのコーナーで紹介するが、
30坪(目測)ほどの店内は、天井に届くほどの書棚がぎっしりと並び、
平日の昼間にもかかわらず、お客さんはひっきりなしにレジに並ぶ。
都会の専門書店のノウハウを、そっくりそのまま真似てどうなるモンでもないが、

お客さんに対し「こんな本《も》好きやろー」

と、コミック以外の書籍や雑誌を薦める姿勢がにじみでた棚づくりは

見習わなければいかん。

 というわけで、2000年もたかくら&みえぞう製作所をよろしくお願いいたします。
       タカクラ

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2011年1月11日のブログを再録 角田光代「対岸の彼女」文藝春秋

2016-07-05 01:30:03 | 走る
角田光代「対岸の彼女」文藝春秋
2011-01-11 13:14:16 | 本
直木賞受賞の本作をお正月に読んだ。
京都から博多への 新幹線の中で読み終えた。

昨年のブックオカのイベントでは
角田さんのトークライブが西南学院大学であったのだけれど、私は会場のロビーで本売り場の店番をしながら、漏れ聞こえて来る講演の内容に耳を澄ましていたのだった。

一緒に言った娘ムギ(仮名小3)は
開催されていた学園祭の出店で買った焼き鳥を喰ってた。
娘は、去年は西原さんの講演で受付をし
ちょっと大人扱いして貰えたのでそれが嬉しく
ブックオカのイベント、ときくと
ついてきて手伝いをしたがるのだった

それはさておき、その講演で一番印象に残っていた言葉
「それまでは、こういうことなんだろうな
と思う事を書いていたのだけれど
ある時から
こうなって欲しいな
という『希望』を書いてもいいんだと
気づいた。
そう気づいてから書いた作品を
久世光彦さんが評価して下さって
その書評を読んでお風呂で号泣した」
ちょっと細部や順番が違うかもしれないが
おおまかにはそのようなことだった

「八日目の蝉」
は、その事に気づいた後に書かれた作品なのだと
思った。
八日目の蝉の最後に描かれていたのは
確かに希望だったと、今ではハッキリわかる

そしてこの「対岸の彼女」もそうだ
過去の角田さんの作品は、現実がそうであるように
えっ、これからどうなるの!?
という終わり方が多かったように思う
そんなような終わり方にちょっと馴染めなくて
あまり読んで来なかったのだけれど
ちょっと視点を変えて過去の作品も読み直して
みたい

公園デビューに失敗した若い母親の憂鬱
いじめられて転校を余儀なくされた過去を持つ
女社長
この2人の過去と現在が交互に描写され
子供を保育園に預けて働き始めた母親に
ゆるやかな変化が訪れる

小さい子供を抱えて一見何不自由無い暮らしを
しているかに見える女性の閉塞感たるや!
女社長の高校時代の友人ナナコの
過酷な家庭事情とナナコの口癖
「そこにあたしの大切なものはなんにもないし」
だから学校でどんなにひどい目にあっても
無視されても平気だと言うのだ

もしも何か理不尽な目にあったりしたら
私もこれを思い出そうと思った
「平気平気、そこにあたしの大切なものは
1ミリもないからね」
って
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2010年7月の日記を公開してみます。大島真寿美「虹色天気雨」(小学館)など

2016-05-21 00:34:11 | 
大島真寿美「虹色天気雨」(小学館)
「ふじこさん」(講談社)読了。
ビターシュガーの前の物語なんだね。
また市子さんと三宅ちゃんに会えて嬉しかったよ。

辻房江がなかなか好きだよ。

旭はアンポンタンだ

「ふじこさん」夕暮れカメラ、春の手品師、全部壊れている家族の話だった。
その「壊れ具合」を認めたくなくて、あるいは何とか修復したくて子供がくたびれ果てている話だった。


家族はたいがい壊れているものだから別に修復しなくてもいいのです、とくたびれ果てている子供に伝えたい。

岸田秀先生の本に書いてあった
「毒の無い親はいません」
という言葉を
大島さんの小説に出て来る子供に
大島さんに
(たぶん、それは大島さんにはわかっている
ことだと思うのですが)
そして子供時代の自分に
伝えたいと思う

その壊れた家族は
ちっぽけな子供であるアンタが
どうかしようとしてどうかなるもんじゃないんだと

でも、もっと言いたい事は
壊れたまんまでも、まあまあイイじゃないかと
壊れた形を認めるところから関係を始めれば
イイんじゃないかと

だって、たいがいの家族は壊れてるのと同じように
たいがいの人は壊れてるのだから
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ダンボールでなんでも作る

2016-05-05 23:45:02 | 日常
ダンボールスマホ台


最初にダンボール工作をしたのは、本屋で働き始めたときのこと。

その本屋には棚の後ろ(店の入り口からみたら奥のことを、後ろって言ってた)
の作業台が、身長160cmのワタシには低すぎた。
ので、バックヤードに転がってる発泡スチロールやダンボールや棚板などを
工夫して、作業台に乗せる「タカクラ台」を作った。

そうしたらば、これまで、もう「勘弁してくださいよう」
と泣きが入っていた、書き物しごとが、うそのように楽になった。

タカクラと同じくらいの身長の後輩や、タカクラよりちょっとでかいアルバイトくん
などが、作業の効率化のために「タカクラ台」を借りにくるようになり
「タカクラ台」は、フツーに店の必需品になった。

そうこうしてるうちに、会社は、
しれっと作業台を、従来の作業台+タカクラ台、の高さに
修正してきたので
タカクラ台の時代は終焉を迎えたのだった。

という、ダンボールでなんでも作った時代のおはなし。
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「出産・育児ママのトリセツ」イラスト描いてます。

2016-02-27 23:54:50 | 走る


「出産・育児ママのトリセツ」山本ユキコ著 (忘羊社)

に、表紙&挿絵のイラストを描いております。

出産、育児期の母親は、もうそりゃ意味わかんないくらい
ぐらぐらと揺れています。

そりゃあ、そうです。

気持ち悪い、から始まって、体重は増えるわ、ダルイわ、
ワケのわからない不安感が押し寄せるわ、

本当は、仕事はやめたくなかったのに
なんていう封印していた愚痴までが
だだもれに漏れてきて
ヘトヘトです。

なのに、全方向からの祝福

もちろん、自分だって望んでたことなんだから祝福です。

でもね


辛い


辛いーーーーーーー

ということもあるのが出産育児です

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神様がやってきた

2016-01-03 13:17:31 | 日常
それは年末の慌ただしい時間の中でだった

リビングのiMacはだいたい立ち上げっぱなしに
なっており、Facebookも開きっぱなしだ

用事の合間に覗いたモニターから目に飛び込んできた
「伊勢」の文字

見てみると、知人が伊勢に初詣に行くという

知人というのは
ブックオカがらみの宴会の果てに
ワタシが泥酔して行き着くところで
なぜか遭遇する
カオリちゃんとワタちゃん夫妻のことだ
だいたいいつも泥酔してるので
何回も会ってるのに
ほとんど何を喋ったか覚えてない

で、その夫妻が
なんかわからないけど
地下足袋をはいて伊勢参りに行くらしい

伊勢のおはらい町には
高校時代の親友カンちゃんが
カフェをやっている

高校を卒業してからは
カンちゃんが九州までやってきたり
ワタシが伊勢に行ったり
カンちゃんのダンナのトノちゃんが
京都でライブをするのを
聴きに行ったり
で10年に1度くらいのペースで
しか会えてないのだけれど
大事な友達の一人なのだ

それでとっさにコメントを書き込んだ
「おはらい町にあるカフェカップジュビーは友人の店です
開いていたら寄ってみてください」

そしたらば
なんと、その翌日に
カップジュビーに行って
友人家族の写真を撮って
「いったよー」との返信が
FBを通じてカオリちゃんから
あったのだ
カンちゃんから預かり物をしたと言う

福岡に戻ったら届けるねー
なんてコメントをもらったけれど
同じ福岡市と言っても
歩いていける近所に住んでるワケじゃない
おたがい呑んだくれて会うだけ
(いや、呑んだくれてるのはワタシだけ)
なので、家を知ってるワケでもない

だから
福岡に戻ってきたカオリちゃんから
「もってくから住所教えて〜」
というメッセージが届いたときに

本当なら、ワタシがカオリちゃんところまで
取りに伺うのがスジなんだが
前回書いたような事情で
ポンと外出できる状況ではないので
本当に申し訳ないし失礼なのを承知で
着払いで送って欲しいと
メッセージの返信をした


「もう向かってるよ〜」
散歩の口実を作ってくれてありがとう
と、お礼まで添えて返事

カンちゃんからの
贈り物と

お伊勢さんで
カオリちゃんとワタちゃん夫妻が
ワタシと同居人のために買ってくれた
「月讀宮」と「月讀荒御魂宮」のお守りを

玄関先で頂戴した


「読むっていう字があったから」
と、選んでくれたお守り

カンちゃんがワタシの名前を
聞いたときの驚きようを身振りで
伝えてくれたワタちゃん(さん)

なにもかもが
神様の贈り物のようだ

などと利いた風なことを書きそうになるが

そうではなくて

カオリちゃんとワタちゃんが
カンちゃんを連れて
1月2日の我が家(の玄関先)に
やってきてくれた神様なのだった

神様など信じない
と、高校生のときに思ったのはワタクシですが
そのワタクシの横で
「なんか、ぜーんぶのものに何かがいてはる気がするわ」
と、ピアノや靴や草やペパーミントゼリーなどにも聖霊が
いるようなことをフツーに言ってたのがカンちゃんで
(ペパーミントゼリーとはカンちゃんがいろいろ作って
くれたお菓子のなかで、忘れられない逸品で
なぜ忘れられないかと言うと、それがゴムのように
硬かったからです。なので、そのゼリーには
神様はおらんやろ的なことを言って死ぬほど
怒られた。カンちゃんに。)

そんなカンちゃんは
神様だらけの伊勢に住み

神様など信じないタカクラは
「有り難いもの」に遭遇する日々に住んどります

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二日酔わない元旦

2016-01-01 08:25:51 | 家族
新年あけまして
おめでとうございます

2016年がやって参りました。
なんと
一切酔っ払わずに年越しをしまして
何十年ぶりかの
二日酔わない
元旦でございます

一昨年、2014年の11月10日
同居人こと夫が、脳梗塞の治療中に脳出血する
というおおごとになりまして
開頭血腫除去術という舌をかみそうな
ものすごい外科手術(4時間越え)を経て
生還いたしました

意識不明の重体から
入院加療リハビリを経て
昨年の6月末になんとか退院し
自宅療養(リハビリ)生活に入っています

さまざまな後遺症と格闘しながらの
リハビリ生活ではありますが
幸いにも(幸いにもなのか!?)
病気前の毒舌と俺様な
性格は全く変わっておらず
(言葉の発声ができないので
透明な文字盤を使って視線で
意思伝達しています)
文字盤で口げんかする
までに回復してきております

「あほか」
と自分を罵倒する言葉を
文字盤で読んであげる
という、人が見てたら
コントのような毎日です

というワケで
酔っ払って正体を無くしてたら
ちょっと洒落にならないような
事態を引き起こしかねないので
飲酒をやめております

書き始めたら
何週間も書いていられそうな
くらい、いっぱいいろんな体験を
させていただきました

たくさんの方に、ご心配ご迷惑を
おかけもいたしましたが
RKBラジオこだわりハーフタイムの
「サンセットライブラリー」
サンデー毎日の「私的本屋賞」
毎日新聞の「ちゃんとして 母ちゃん!」
は、いろいろご配慮を賜りながら
続けさせて頂いており
そうした
昨日と地続きの自分
世界と繋がっている自分
というものがあったればこそ
へし折れそうな日々も
へなへなしながら
やってこれたように思います

公には何もお知らせして
おりませんでしたが
お見舞い励ましを頂いたり
言葉を頂いたり
また、言葉にならない思いを
頂いたり

頂きっぱなしの1年でした

子らも、中1と高1という
なかなかの思春期でしたが
おそらくは大変な不安、心配と
戦いながらも、明るく楽しく何かと
気遣ってくれていて
それも本当に支えになりました

同居人の会社、同僚の方には
倒れたその日から
言葉に尽くせぬほど
手厚くしていただいており
これは同居人が回復して
自身が仕事という形で
お返しするよりほかにお礼のしようが
ないと思っています

なんの連絡もないまま
年賀新聞がぶつっと来なくなったなと
心配している方々に
少しく状況をお知らせしたく
書いてみた次第です

まだまだいろいろは続きます
思っていた後半生とは
違ったものになってきそうですが
これもまた人生

なのでありましょう

今年も
なにとぞよろしくお願いいたしまする

最後になりましたが
これを読みました皆様にとりまして
楽しきことの多い年でありますように
お祈り申し上げます

ま、祈るだけですけど
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福岡県 学校図書館協議会 学校司書部 の研修会で講演

2015-10-02 06:27:54 | 走る
「本との出会い方 ー本屋さんで働いてきたー」
というタイトルで、タイトルの通り
学校司書の皆さんの前で、90分お話をする
という仕事を頂いて、9月29日は高等学校の部
昨日10月1日は、小・中学校の部の研修会で
お話してきました。

2011年に、同じ研修会でお話したんですが
用意した原稿が長すぎて、本屋さんになってからの話は
殆どできなかったので、今回は「その続きを」
ということで行ってきました。

ツイッターに書いたんですが
やっぱり用意した原稿の方が多すぎて
最後は駆け足で、なおかつ小・中学校の部では
ちょっと時間を予定より短くしてほしいということで
さらに駆け足になってしまいました。
ためになったかどうかはわかりませんが
何人もの方に「面白かったです!」と言われたので
ほっとしました。

あと、あんまり「若さ信仰」は無いつもりだったけど
「50歳にはとても見えません」
と言われたことが嬉しかったことを
正直に付け加えておきます。

2011年のときは、話している側からの感触として
一番反応があったときのことを
当時のブログにこう書きました。


「一生のうちに
人を好きになる心が100あるとしたら
そのうちの50を使い果たすぐらい好きになった人に
高校3年生のときに、誕生日プレゼントとして
「家族八景」と「二十歳の原点」を贈った
という話をしたとき
会場から同情のような呆れたような失笑が
湧き上がりました。

会場のみんなの心が一つにまとまった瞬間でした


「そんな女を好きになる男はいない」


全員の頭に同じ言葉が浮かんだことでしょう」

今回も、何度か、そんな瞬間があって
それは
最初に就職した書店で出会ったものスゴイ先輩たちの
エピソードであるとか
スタートレックのフィギュアを売ったときに
取材にきた新聞記者さんの驚きの一言
などですが

一個だけ紹介しましょう

それは約30年前
文庫担当になりたての頃の話

氷室冴子さんの
「なんて素敵にジャパネスク」の新刊を
100冊注文したら
その注文短冊の「100」の数字が
赤い文字で、ペンっと「1」に修正されて
1冊しか入荷しなかった

ま、書店にありがちな
「ほしい本がは注文しても入らない」あるある
なんですが

で、売り場で
「100冊注文して1冊なら
100冊欲しいときは1000て書けばええんかい!?」
と叫んだんですが、そんなことには何の意味もありません

修正された赤い1の文字をじっと見つめて気づきます。
「この、数字を書きかえた
誰だかわからないけど集英社の人」が
1じゃなくて、100のままでいいよ
と思ってくれたら、欲しいだけの本が
入ってくるのだということに。

じゃあ、この集英社の人が
「いいよ」と思ってくれるにはどうしたらいいのか。
そこでワタシは、会場から失笑がもれる秘策を
実行するのですが

それはまた今度あらためて

ということで

学校図書館協議会学校司書部のみなさま
(学校の図書の先生がたですね)
こんなワタクシの話をきいてくださって
ありがとうございました。

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草枕 を 読む

2015-04-30 00:26:09 | 
夏目漱石って、すげえな。
なんか人生の全てがあるな。たったのこの一文に。

青空文庫より転載

 山路やまみちを登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束の間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降くだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊い。
 住みにくき世から、住みにくき煩わずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」、第3水準1-88-22)鏘きゅうそうの音おんは胸裏きょうりに起おこる。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自ずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得うれば足たる。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺※(「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17)せっけんなきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾がりしよくの覊絆きはんを掃蕩そうとうするの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いいよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支ささえている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足たらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
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