■「ソーシャル・ネットワーク/The Social Network」(2010年・アメリカ)
監督=デビッド・フィンチャー
主演=ジェシー・アイゼンバーグ アンドリュー・ガーフィールド ジャスティン・ティンバーレイク
●2010年全米批評家協会賞 作品賞・主演男優賞・監督賞・脚本賞
●2010年ゴールデングローブ賞 作品賞・監督賞・脚本賞・音楽賞
●2010年NY批評家協会賞 作品賞・監督賞
●2010年LA批評家協会賞 作品賞・監督賞・脚本賞・音楽賞
SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)facebookが創業されるまでを記したノンフィクションを映画化した話題作。僕はfacebookを試したこともないし、そんなんでこの映画観て大丈夫か?まぁ、mixiの実名ヴァージョンと思えばいいのか?。それに近作こそ観ていないけどフィンチャー監督はおどろおどろしい映画が多いし・・・とあれこれ思案しながら劇場へ。しかしそれらはまったくの杞憂であった。専門用語が飛び交うこともなく、死体が転がることもない。この映画でサイバーゾーンのネットワークは重要な題材ではあるが、あくまでも監督の視点は現実世界。人間関係がいかにして崩壊していったのかに焦点があてられる。つまり”現実世界でのソーシャル・ネットワーク”がテーマなのである。
facebookを誕生させたのは、プログラマーであるハーバード大生マーク・ザッカーバーグ。映画冒頭から早口で彼女をまくし立てて不快な思いをさせる場面から始まる。振られた彼はブログに彼女の悪口を書き込み、大学中の女子の顔写真入り人気投票サイトを作ってしまう。しかも顔写真をハッキングして入手したことを問題視する大学側に、システムの脆弱さを指摘したんだから感謝しろ、とか言い放つ。才能はあるのだろうが、言ってしまえば性格破綻者。もうこの段階で天は二物を与えないのだ、何ていけ好かないヤツなんだ・・・と観ている側は思ってしまう。マークは大学の先輩にコミュニティサイトのアイディアを持ちかけられるが、友人のエドゥアルド・サベリンを誘ってもっと大きなネット上のコミュニケーションサイトを立ち上げていく。それはあっという間に登録者を増やし、拡大を続けることになる。しかし早く利益を出すことを目指すエドゥアルドと、技術者として突き進みたいマークと間で次第に考え方に違いが表面化してくる。音楽ダウンロードサイトをつくったショーンとの出会いからマークの思いはますますエスカレートしていく。
映画はエドゥアルドらに訴えられたマークをめぐる調停(?)を軸にしながら、証言される内容である過去の出来事が時系列で描かれるという演出だ。なぜ人間関係は崩壊してしまったのか。その謎を解くミステリーのような演出とも言えるかも。僕は心のどこかで(比べるのはどうかとも思うけれど)「市民ケーン」を重ねていた。野望に燃えて新聞社を次々と手中にする主人公オーソン・ウェルズと、彼を諫めようとする友人ジョセフ・コットン。ケーンは次々に人に去られて孤独に死を迎えることになる。マークはその才能ゆえに引く手あまたでとりあえず周りに人はいる。しかし、たった一人の女性にメッセージを送ることすらできないラスト。サイバーゾーンにネットワークを構築できた男が、現実世界ではつながりを結ぶことができない。天は二物を与えないのだ・・・と僕ら庶民は妙に安心させられる。最年少で富豪になるやつはやっぱり何かが欠けているんだって。映画のラストで弁護士に「あなたは本当はいい人。ただ人を不快にさせるように振る舞っているだけ。」と言われる。それは欠点の指摘でもあり、一方でマークに誰も意見を言わない中で唯一彼に向けられたアドバイス。やっぱりこの映画は題材こそ新しいけれど古典的なテーマなのだ。
映画のエンドクレジットに重なってくるのはビートルズの Baby, You're Rich Man。金持ちになった人々に「どんな気分だい?」と語りかけるこの曲は、当時新たな価値観をもったヒッピーに向けた言葉だったとも言われるが、この若き富豪の伝記映画に使ったとは何ともいいセンス。思うに、フィンチャー監督が抱いたマーク・ザッカーバーグ像はやっぱり得体の知れない者なのではないだろうか。それは「セブン」のケビン・スペイシーだったり、「ファイトクラブ」のブラッド・ピットだったり、常識を超えた感性を持ち合わせた人物たちと同じように。