Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

8月のBGM

2012-08-31 | 音楽
2012年8月に聴いていた愛すべき音楽たち。

■Spending All My Time/Perfume
Spending all my time (初回限定盤)(DVD付)
なんと実験的な新曲。タイトルをひたすら唱え続ける歌詞にビックリ。「Game」のTake Me Take Meをシングルカットすろようなもの。しかし、身を委ねたくなる心地よいダンスビートにもはや中毒状態の私…。

■Miku No Pop/初音ミクオーケストラ
MIKU NO POP(ラバーストラップ&特製イラストクリアファイル同梱)
今月ファミマを賑わせた初音ミクフェアで、限定盤として店頭とネットで販売されたHMO作品。細野センセイの「ハイスクールララバイ」とミカバンドの「タイムマシーンにお願い」を含む6曲入り。入手をあきらめてたら、立ち寄ったファミマに1枚だけ在庫が!今回も80年代育ちキーボード弾きの心をくすぐってくれる仕上がり。

■Music Time Machine VII [1979-1982]/various
91年にリリースされたSONYレーベルのコンピ盤。「クリスタル族はウォークマンを聴きながらテニスに行く」と80年代初めの空気を感じさせるサブタイトル付き…僕は中学生だったけどねw。totoやEW&F、メン・アット・ワークなどおなじみの大御所ぞろい。フィービー・ケイツのParadiseが欲しくて中古盤を入手。

■歌うたい15SINGLES BEST/斉藤和義
歌うたい15 SINGLES BEST 1993~2007
昔から興味はあったんだけど、なかなか本腰入れて聴けてなかった斉藤和義。今月シングルベストを聴いて思ったのは、アルバムにもいい曲がたくさんあるアーティストなんだということ。配偶者アミダラMが「歌うたいのバラッド」が好きで、昔から「あんたはカラオケでこれを歌うべき。」と主張してたっけ。やっと最近その気になった。

■100 Classics/various
100曲クラシック=ベストが10枚3000円=
エイベックスがリリースした格安クラシックコンピ盤。バッハ編をクリスマスの時期に聴いたり、ピアノ曲をよく聴いたり。夏休みの宿題で、長男ルークがクラシック音楽を聴いて感想を書くレポートが出ていて、モーツァルトベストをここ数日パワープレイ中。モーツァルトの楽曲は長調が多い。映画「アマデウス」観たくなったなー、「マドモアゼル・モーツァルト」聴きたいなぁー(結局小室哲哉か)。

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すてきな片思い

2012-08-27 | 映画(さ行)
■「すてきな片想い/Sixteen Candles」(1984年・アメリカ)

監督=ジョン・ヒューズ
主演=モリー・リングウォルド アンソニー・マイケル・ホール マイケル・シェフリング

 ジョン・ヒューズの監督デビュー作。今改めて観て思うのは、80年代の空気を懐かしく感じても、話自体を古いとは感じない、ということ。それは主人公たちが抱える思いは、いつの時代にもその年代なら共感できるものであるからだ。私は16歳になったのに全然大人じゃないだの、家族が自分の誕生日に気づいてくれないだの、男の子たちは性についてばかり関心が高かったり。僕は誠に不勉強なことにジョン・ヒューズの”学園もの”をあまり観ていない。「プリティ・イン・ピンク」くらいだろう。でも”学園ものはこの映画から始まった”という世間の評価は納得。モリー・リングウォルド、改めて観るとかわいいよねぇ。弟役は「クレイマー・クレイマー」の名子役、ジャスティン・ヘンリー!。まぁなんとも小憎らしいガキに成長しちゃってさぁ!。ジョン・キューザックもアンソニー・マイケル・ホールの友達役で出演してます。

 それにしてもアメリカの高校生活ってすごく楽しくお気楽に見える。体育館でのパーティ(チークタイムはスパンダー・バレエの ♪True だもんね)だの、親のいぬ間のどんちゃん騒ぎだの。ティーンエンジャーの頃に観ると、ますますそう思うだろうな。もちろん、そういう面からしか描かれていないから当然なんんだけど。「性意識調査」なる紙切れにエッチしたい相手の名前書くと願いが通ずる、とかすごいよね(笑)。絶対真似できないっすよ。

 ★

その年代に観ておくべき映画って必ずある。大人目線になるから共感できなくなっちゃうからだ。80年代の青春映画を代表するジョン・ヒューズ監督の作品で言えば、「フェリスはある朝突然に」は、最近観て特にそう思った。だがそれ以外のヒューズ関連作品は、今観ても色あせないと心底思える。そして、あの時代だからこそ撮れた映画だとも思うのだ。

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アーティスト

2012-08-26 | 映画(あ行)

■「アーティスト/The Artist」(2011年・フランス)

●2011年アカデミー賞 作品賞・監督賞・主演男優賞・作曲賞・衣装デザイン賞
●2011年カンヌ映画祭 男優賞
●2011年ゴールデングローブ賞 作品賞・男優賞・音楽賞

監督=ミシェル・アザナヴィシアス
主演=ジャン・デュジャルダン ベレニス・ベジョ ジョン・グッドマン ジェームズ・クロムウェル

今年はハリウッドが誕生して125周年、ユニバーサルピクチャーズとパラマウントピクチャーズが100周年というメモリアルイヤーである。その年に授賞式が行われるアカデミー賞を征したのがこの「アーティスト」。サイレントでモノクロのフランス映画だ。時は1920年代。ジョージ・ヴァレンティンはハリウッドの大スタア。彼に憧れる女優志願の娘ペピー・ミラーは、彼の主演作でダンサーとして出演することになった。新聞に載った写真のハプニングで出会った二人。ジョージはペピーに女優として生き残っていくためにアドバイスをしてあげる。ペピーは次々と役を得て、一躍人気者になっていく。ハリウッドはサイレントからトーキー映画へ移行する時期。サイレントにこだわるジョージは、映画会社の忠告を無視して私費を投じて新作を撮る。一方でペピー主演作はトーキー映画として製作され、同じ公開日を迎える。興行成績は歴然・・・観客が求めるものは変わっていたのだ。仕事も失っていくジョージ。そんなジョージを救おうとするペピーの思い。その行方は・・・。

世の中では賛否両論あるようだ。クラシック映画を観たこともない人にとっても、斬新と思う人もいれば抵抗がある人もいる。僕も仕事で関わっていた学生にチャップリンの「モダンタイムス」をみせたことがある(「映画授業」)が、サイレントで台詞が文字で表現されることに露骨に嫌な反応をされました。しかも「社会的に適応できない人を笑いのネタにするのは納得いかない」との感想まで。一方で誰にでもわかるギャグの数々は評判がよかったですけど。だから「アーティスト」に対する世間の反応は納得がいく。また、あれこれ映画を観ている目の肥えた人にとっても、CG全盛の今何故今サイレントで撮らねばならないのかと思う人もいれば、サイレントで撮ることに映画への敬意と愛を感じる人もいる。”映画は映像で語るものである”という淀川長治センセイの教えに共感する僕としては、後者の人たちの意見に共感できる。僕の友人はクラシック映画を好んで観る人なので同じサイレントという表現でもっとすごい映画はいっぱいあると言う。それはそれでわかるけど。

サイレントだから面白い点はいくつかある。例えば演ずる役者の表情の素晴らしさ。台詞がないだけに誰しもがわかるような映像でなければならない。それだけにオーバーアクトになるから、舞台を観ているようで仰々しく感じる人もいるかもしれないが。演ずる上での工夫も面白い。ジョージの楽屋に入り込んだペピーが彼の上着に手を通して、一人で抱き合う男女を演じてみせる場面。これはひとつの芸であるが、こういう見せ方や面白がらせ方の工夫がある。昔の映画にはこういう役者の芸や演技があった。CGの後処理で面白がらせる今とはまったく違う。ジョージが拳銃自殺をしようとする場面、画面にでてきた「BANG!」の文字。ところが次の画面でその音は家の外で車がぶつかった音だとわかる。これもサイレントならではの場面。また、音がない映画なのに音を使うことで、主人公の不安な気持ちをうまく表現しているのも素晴らしい場面だ。チャップリンが「モダンタイムス」を撮影した当時は既にトーキーの時代。されどサイレントにこだわって、音は歌とギャグの道具として用いていたっけ。

この映画が訴えているのは、ハリウッドがこれまで生み出してきた映画の数々へのリスペクトとオマージュ。サイレント時代のスタアの多くはトーキーに変わる時代に行き場を失ってしまった。この映画のジョージのようにミュージカルスタアとして活路があったのはやはり芸あってのこと。一時期過去の人と言われていて復活したフレッド・アステアあたりがイメージされているのだろうか。「サンセット大通り」や「イヴの総て」も頭をよぎるし、大スタアとの新人女優の恋・・・とくれば「雨に唄えば」あたり。いずれにせよ、僕らを魅了してきたハリウッドの名作たちだ。「アーティスト」からはこうした映画に対する愛がにじみでている。

だけど、残念なことがある。こうした過去の映画遺産への敬意や愛を示した作品が、ご当地であるハリウッドで製作されていないこと。それをリュミエール兄弟が映画を発明した”映画発祥の地”フランス映画が成し遂げたことは偉業だが、本家ハリウッドでこうした企画があがらないのはどうしてだろう。映画は見世物でもある。評価が分かれるような古風な映画を撮るよりも、観ている間だけは楽しいけど、見終わって何も残らない映画(「ミッドナイト・イン・パリ」でウディ・アレンがそう表現してたよね)の方が稼げるからに他ならない。アメコミのヒーローを共演させるという試みの映画ポスターが目につく今年の夏。それだって決して新しい訳じゃない。「マジンガーZ対ゲッターロボ」とか東映まんがまつりで既にニッポンはやっている。過去の良作に学び、その良さを今に活かせるような映画が今アメリカ映画に欲しい。「アーティスト」のエンドクレジットをながめて思ったのは、そんな寂しさでもあった。

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8月25日のメフィラス星人

2012-08-25 | Weblog

地球人諸君。メフィラスだ。
随分ご無沙汰してしまったな。

私はこのちょいヲタなユーザー氏の住処に身を潜め、地球征服の機会をうかがっている。
この国は今国境近くの島をめぐって隣国と嫌な雰囲気になりつつあるな。
日本海にある島に隣国の首脳が突然現れたり、南の島には隣国の領土と主張する人々が赤い旗を持って上陸したり。
政府もこれに抗議して親書を送ったが、突き返されたり。
自分のものだと主張することも、自分のものを守ることもそれはたいへんなことだ。
私もこの星を我がものにするためにやってきたが、これまでもさまざまな者に阻まれてきた。
娘のテリトリーにいる白いヤツとか、日本でいちばん人気があるという黒いヤツとか。
だが私はあきらめないぞ。誰かが「地球をあげるよ」と言うまで。
ふははははは。

・・・それにしてもご無沙汰したな。
実はこのブログを念入りに調べていたのだ。

すると、今から6年前の記事に驚くべきものを見つけた。
ルークの怪獣図鑑(18)
なんとわがメフィラス星人についての記事だ。

この記事に使われたこの画像は、ユーザー氏の息子が7歳の頃に描いたものらしい。
うーむ。
しかも息子は私が登場したエピソード「禁じられた言葉」が気に入っているというではないか。

この家をまず侵略の第一歩と考えていたのだが、ことは既に進行していた。
この記事が書かれた当時、円谷プロのHPに存在した「六星人占い」についての記述だ。
これはウルトラシリーズに登場する6星人のどれに近いかを占うもの。
このユーザー氏一家の結果が記されていた。
なんと、配偶者氏を除いて、ユーザー氏、息子、娘はメフィラス星人という占いの結果が出ている。

ふははははははははは。
もう地球はもらったようなものだぞ。
また会おう諸君。

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桐島、部活やめるってよ

2012-08-21 | 映画(か行)

■「桐島、部活やめるってよ」(2012年・日本)

監督=吉田大八
主演=神木隆之介 橋本愛 大後寿々花 東出昌大 清水くるみ

「腑抜けども、悲しみの愛をみせろ」の吉田大八監督最新作。金曜日の放課後に学校を駆け抜けた、バレー部のエース桐島が部活をやめたという噂。その情報は、そんな兆しすら感じなかった桐島と親しい男子学生たち、桐島の彼女とその友人たちを戸惑わせる。彼が所属するバレー部はただならぬ雰囲気に。この事件の後、それまでのつきあいの中で抑えられていたそれぞれの気持ちや本音が少しずつ表面化していく。そして特に桐島と接点をもたない映画部の面々までも突き動かしていくことになる・・・。予備知識もなくストーリーだけ読んでも「だからどうなる?」としか思えないことだろう。僕はこの映画の予告編に何か感ずるものがあった。力強い歌声が流れる中、叫び、つぶやき、駆け抜ける高校生たち。それはここ数年日本映画が描いてきた陰湿で屈折した学園の姿ではない。もっと心の違うところに突き刺さるような・・・そう、これは自分の過去に向き合わされて痛みを感じる映画。

「○○さんの友達」であることで周りから見下されずに済んだという経験、あなたにはないだろうか。クラスの中心人物や人気者ととりあえず仲良くしていれば、つまはじきにされることもないし、時にはよいこともある。その○○さんがこの映画の桐島だ。劇中、桐島という男子学生は一切登場しない。屋上にいた男子が桐島だ、と誰かが言い出して全員が屋上に走るクライマックスにも登場しない。登場人物たちは桐島を経由してつながっている存在だ。桐島の親友と周囲が認めている宏樹(野球部)は、桐島に次いでスポーツもできて、モテる男子学生。だが、なにかモヤモヤしたものを感じて野球にも打ち込めずにいる。だが彼は桐島の退部を知らされもしなかったし、彼の存在の陰でいい目に遭ってきただけの存在だと気づかされる。宏樹と放課後バスケ興じる帰宅部たちも桐島の存在を欠くと、学校に残ってバスケをする意味すら失ってしまう。桐島の彼女とされる梨紗も彼と連絡がとれないことで次第に周りともうまくいかなくなっていく。そんな梨紗と仲良くしていたバトミントン部のかすみと実果も、梨紗たち帰宅部の前では理解されない、とバトミントンへの思い入れは口に出さずに抑え込んでいる。そして密かに宏樹に恋心を抱く吹奏楽部の亜矢。それぞれが心に秘めていた気持ちが少しずつ口に出され、歯車が狂い始める。だが、それは自分が初めて自分と向かい合わなければならない瞬間。

吉田大八監督はこの群像劇を見事にまとめている。繰り返される金曜日の描写は、偏りなく彼ら彼女らの表情を追い続ける。そしてそれらがクライマックスの屋上の場面に集約されていく。映画部の前田がカメラ片手に思いを語る場面。それまで自信にあふれていた宏樹の涙。動揺しながらも合奏を終えて、少しだけ亜矢が笑顔を取り戻すラスト。スクリーンに向かう僕らは、この映画の中に共感できる誰かを見つけられるだろう。運動部だった人は、桐島の存在を失って焦るバレー部、自分の限界をわかっていながらもポジションの穴を埋めようとする男子、ドラフトまでは引退しないという野球部キャプテンに。文化部だった人は吹奏楽部の亜矢に、体育会系の部活から格下に扱われる映画部の面々に。そして僕らは、彼らを通じて高校時代の自分と向かい合う。あの頃口に出来なかったこと、本音、友人に言いたくても言えなかったこと。自分が好きなことに打ち込んでいたこと、逆に好きなことを好きと言えなかったこと。実は惰性やつき合いで続けていた友人関係。バカばっかりやって過ごして楽しかったけど、反面感じていた焦り。高校時代が薔薇色なんて大嘘だし、本人が楽しいと思うかどうかにかぎらず、それはとてもとても"かっこ悪いもの"だ。そんな痛みと向かい合い、高橋優が叫ぶ主題歌を聴くと胸の片隅が痛くなる。この映画でそんな気持ちになれない・・・ならば、それはあなたがまだ自分を客観的に見ることができてないか、青春まっただ中だから。それとも自分こそが桐島だと胸を張っておられるか、だろうね。これはいい映画だ。



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音楽の課題。

2012-08-19 | うちの子に御用?
長男ルークの夏休みの課題。クラシックや民族音楽系など音楽を聴いて感じた楽しさをレポートに書いて提出しろ、というもの。えー!?しかもロック、ポップス(もちろんルーク得意のアニソンも)禁止。本人も何やろうか迷っている。僕も配偶者アミダラMもダテにあれこれ聴いてきた訳じゃない。連日アイディアを出し合う。
「和太鼓のやつとか?」
「太鼓だったらマーチングの「ドラムライン」とかは?すげぇよ、あの演奏。」
ドラムライン [DVD]
「あんたは吹奏楽部だったから面白いかもしれないけど・・・」
「お前にゃわからん」
「東儀秀樹とか」
風と光の軌跡~Best of TOGISM~
「ヒーリングミュージックか。だったら姫神とか喜太郎とか」
「あんたはキーボード弾きだからそんなこと言うのよ」
「なんかオレの音楽ルーツを否定してない?」
・・・親ばかりが盛り上がっておるのです。教育テレビのクラシック番組でも見ればよいのだろうが。まぁ東儀秀樹は教科書に載ってる雅楽から出てきた人だからレポートのネタとしては面白いかもねぇ。

今日はルークと歯医者に行ったので、帰りにTSUTAYAの音楽DVDコーナーを物色。
「ロックばっかりやん」
「そうだね」
「ジャズ・・・わかるかなぁ」
「無理」

とりあえず見てみようと借りたのは押尾コータロー。うーん、やっぱり子供にゃわからんかな。3rd Album「So Happy」のレコーディング風景のドキュメントと、超絶ギターテクを自ら解説した映像、それにライブを収めたDVD。すげー。一人で感激してしまった。ギタリストに憧れるキーボード弾きである僕としては、たまらん内容でした。左手のタッピングであんなに音が出る?タッピングでハーモニクス!一人でほんとに弾いてるの?曲はこれまでも聴いていたけど演奏を改めて見るとすごいわ。というかこのDVDはギター弾きのためのものだね。ルーク、わかんないだろうなぁ。それとも見て目覚めたりしてw

押尾コータロー kotaro oshio - Merry Christmas Mr.Lawrence


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ヘルタースケルター

2012-08-18 | 映画(は行)

■「ヘルタースケルター」(2012年・日本)

監督=蜷川実花
主演=沢尻エリカ 大森南朋 寺島しのぶ 水原希子 桃井かおり

エリカ様と蜷川実花のコラボで完成した映画は、とびきり刺激的な極彩色のエンターテイメントだった。主人公は、芸能界で抜群の人気のリリコ。誰もが羨むその美貌。しかし、それは全身整形によるものだという秘密があった。美しさを維持する為に重ねられる再手術、薬剤投与。体に異常を感じ始めていた頃、同じ芸能事務所に天性の美しさを持つ新人がやってくる。リリコは次第に精神面でも追い詰められていく…というお話。

まるでナタリー・ポートマンの「ブラックスワン」を観ているようだ。鑑賞後にどーっと疲れるダメージ感も同じ。気晴らしに観る類の映画ではない。快楽を貪り、マネージャーをいたぶり、薬に頼る。常軌を逸して堕ちていく様は観ていて痛い程だ。このリリコというキャラクター、傲慢でありながら、醜い芸能界の被害者でもある。こんな役柄、沢尻エリカ以外の誰がキャスティング可能だろうか。あの「別に」発言以来定着してしまったパブリックイメージは、観る側は少なからず念頭にあるだろう。故にリリコの役柄をきっと抵抗なく受け入れられたはず。一方でボロボロになっていくリリコの姿を通じて、結局消耗品でしかない芸能人たちに思いを馳せる。実際、この撮影でエリカ様はキツイ役柄に精神的にもダメージがあったと聞く。確かにこんな映画史に残る強烈なキャラを毎日熱演する日々…いくら度胸のあるエリカ様だって重い仕事だったのは想像できる。

リリコ以外もいいキャスト。特に事務所社長を演ずる桃井かおりの存在感。作られた美のリリコと対局である生まれ持つ美の代表を演じた水原希子。しかし演技がすごくいいというより、この人の顔みたら納得できるというものかもしれない。ある意味、この映画は出演している役者たちのパブリックイメージに頼っているとも思えるのだ。

蜷川実花監督の前作「さくらん」は、実はかなりお気に入りだった。遊郭の中でないと美しさを維持できない遊女たちを金魚にみたてたイメージショット、絢爛豪華な衣装に神々しさすら感じられる女優陣の艶姿。本作のリリコも芸能界にいるからこそ、その美貌を保つことができる金魚のようだ。それぞれの場面は、静止画としても美しい。ファッションも含めて、この映画で感じるのは色彩。クライマックス、衝撃の記者会見場面にしても台詞は一切なしで、イメージショットの積み重ねという大胆さ。だから全体の話にきちんと収拾つけるのに、大森南朋が説明役として重要。彼の存在がなければ美とエロスの長編PVになっていたかもしれない。

この映画の教訓は、何事も執着しすぎるのはよくない、ということ。それは身を滅ぼす。後味はよくない映画だけど、すげぇもの観た…という達成感は十分にある。WOWOWが製作に加わっているが、台詞や表現にキツイところが多いので完全版で放送されることはおそらく困難。ディスプレイの前で流れてくるのを待つな。半端なヴァージョンではこの映画は楽しめない。





コメント (2)
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カルマ

2012-08-17 | 映画(か行)

■「カルマ/異度空間」(2002年・香港)

監督=ロー・チーリャン
主演=レスリー・チャン カリーナ・ラム マギー・ブーン

 本作でレスリー・チャンが演ずるのは、幽霊を信じない現実主義者の精神科医。幽霊の出現に悩むカリーナ・ラムを救うのが前半のお話。後半はそんなレスリー・チャンが心霊現象を体験、救う側と救われる側が逆転する二段構えの脚本。起伏に富んだ展開で飽きさせることはない。時折挿入されるイメージショットが、カリーナ・ラムの回想シーンだと信じた人は裏切られる仕掛けも用意されていて、ホラー/スリラー嫌いの僕もしっかり楽しめた。

 別にパロディを狙ってるわけではないだろうが、近年のジャパン・ホラーや他の映画からの引用・影響とみられる場面が多い。映画ファンならそれらを次々に関連づけして楽しめることだろう。例えば後半出てくる女子中学生の霊は動きまで”貞子”そのもの。ジャパン・ホラー好きは吹き出しちゃうかもね。もう、やりすぎじゃん!と思った人はきっとヒロインの顔が奥菜恵似だと思えてくるはず。ここまで意識してるのかなぁ?。彼女が「私を助けて!(救我!)」とメールかチャットかにうち続ける場面は、ちょっと「シャイニング」を思わせたりするし、クライマックスの女子中学生の霊が群衆で主人公を追いつめるなんて、もう「ゾンビ」!。

 怖がらせ方はオーソドックス。前半は鏡やTV画面を使ったり、水道管から聞こえる声、電気チカチカ。後半は霊が登場するけれど、”貞子”じゃん!と一度思ったら怖さは半減。僕が一番ビビったのは、レスリー・チャンがおばさんにビンで殴られる場面、本当に腰が浮きました(笑)。ストーリーの根底にラブストーリーがあるから、ホラー苦手な人もオッケーではないだろか?。心の裏側を探るうちに恋に発展していく・・・なんてヒッチコックの「白い恐怖」みたいじゃない。不二家のミルキーを「薬、処方しました。副作用に注意。」って渡すレスリー・チャン、ここなんかスマートな恋愛映画みたい。世の男性ども、この手は使える。ジャパン・ホラーの亜流よりも、むしろスタッフは「シックス・センス」を狙っているようにも思えたのだが。

 ★

この文章を書いたのは2003年。出張先の東京で時間ができたので、予備知識皆無で観たレスリー・チャンの遺作。ホラー映画を映画館で観たのは、「チャイルド・プレイ」以来だった(恥)。だって金を払って怖い思いをするなんておかしいだろw

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ミラノ、愛に生きる

2012-08-12 | 映画(ま行)

■「ミラノ、愛に生きる/Io Sono L'amore」(2009年・イタリア)

監督=ルカ・グァダニーノ
主演=ティルダ・スウィントン フラヴィオ・パレンティ エドアルド・ガブリエリーニ マリサ・ベレンソン

紡績業で財をなしたミラノの名家の奥方が、息子の友人と恋におちる愛憎劇・・・という予備知識しかもたず映画館へ。三角関係がフランス映画のお家芸なら、家族を描くことはイタリア映画の得意とするところだ。日本の昼ドラみたいな単なるよろめきドラマになるはずがない。そんな僕の期待はまさに的中した。この映画が語りたいのは色恋沙汰ではない。一人の人間が自分を抑さえていたものから解放されて、自分を取り戻すまでのドラマだ。

ミラノの大富豪レッキ家にロシアから嫁いだエンマ(ティルダ・スウィントン)。家長である義父(名優ガブリエル・フェルゼッティ)が引退を宣言、後継者にエンマの夫タンクレディと息子エドが指名される。そのパーティの席に、エドがボートレースで敗れた相手だというシェフ、アントニオ(エドアルド・ガブリエリーニ)がやってくる。義父の死後、家を固く縛っていたものが次第に解かれていく。夫は会社の売却を検討し、エドは恋人との結婚を控えていた。そんなとき、エンマは娘ベッタから同性の恋人がいることを打ち明けられる。それぞれの道に動き始めた家族。エンマからは母親という役割も解かれていくことになるのだ。ある日、エンマは義母とアントニオのレストランを訪れる。そこで口にした海鮮料理に彼女は得も言われぬ感覚を覚える。彼女はアントニオの料理から、次第に彼の人柄に好意を抱き始める・・・。

・・・とストーリーを文章で追うとやっぱりよろめきドラマぽくなってしまう。でもこの映画が俄然面白くなるのはここから先だ。エンマがレストランで(文字通り)味わった感動。映像だけで綺麗にみせている。エビが皿の上でつややかに光っている。口に運んだ後ののけぞるような動き。嗅覚も刺激されているように幸福そうな表情では鼻腔を撮らんばかりにクローズアップ。陳腐な台詞ではこの感動は表現できない。アントニオと自然の中で体を重ねる場面でも、カメラはひたすら二人に寄っていく。エンマが浮かべる至福の表情。アントニオの力強い腕。震えるような動きの体。風に揺れる草木。エンマの服を脱がしていく場面は、まるで調理の下ごしらえをするようにとても丁寧なのが印象的。小さなショットの積み重ねが心情と開放的な情景を見事に捉えている。官能の表現っていろんな映画でみるけれどこれは見事だ。気品すら感じる。

そしてエンマが秘めていた抑え込んでいたロシアへの郷愁とアイデンティティ。アントニオに惹かれたことからエンマはその呪縛から解かれていく。サンレモの町でアントニオに会う場所はロシア正教の教会前。うまい演出だ。まるで収集された骨董のようにミラノに連れてこられたこと、本当はロシア人としての名があるのに夫がエンマと呼んでいること。自分を取り戻していくエンマは、そんな自分の過去や思いをアントニオに打ち明ける。そしてロシア人である自分を理解し、愛してくれるのは息子のエドだけ。家族の中では二人だけがロシア語で話し、エドはロシアの家庭料理である魚のスープを好むこともアントニオに話す。そしてあるパーティでアントニオがそのスープを出したことから、エドが母親とアントニオに対してもっていた疑いは確信に変わる。
「裏切りだ。」
エドがエンマに告げるこの言葉の重さ。それは普通の母と子以上の信頼関係だったに違いない。そして起こる悲劇。

エンマはエドの葬儀の日に家を出て行く。オスカー衣装デザイン賞にノミネートされた豪華なスーツではなく、前半とは違うジャージ姿で。ここでもこの映画は台詞に過剰に頼ることはない。最後まで「奥様」と慕うメイド、自分の道を選ぼうとする母親に静かに微笑みかける娘、エドの子を宿した婚約者。女性たちは視線や笑顔、仕草でお互いを認め合う。崩壊していく家族なれど、それを見つめる視点はとても優しい。やっぱりイタリア映画には家族愛の伝統が生きている。雪に包まれたミラノの町並み、明るいサンレモの風景も美しい。

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映画は父を殺すためにある

2012-08-11 | 読書
これまでもいろんな映画評論を読んできたし、あれこれ観た今の年齢だからこそ評論を読むのは面白い。読んだ当時の僕に強烈なインパクトを与え、今でもそこに書かれていたことが映画を観る上での心構えや見方に影響を与えているものも多い。例えば畑中佳樹氏の「夢のあとで映画が始まる」では、「幸福な家庭に映画好きはいない。」という文章に衝撃を受けたし、別冊宝島のムック「映画の見方が変わる本」に収められた各界の人々の視点に驚かされた。淀川長治センセイや蓮見重彦センセイの著作にもいろいろ学んできた。

今回読んだのは「映画は父を殺すためにある」。何とも刺激的?なタイトルにちょっと引きつけられた。著者は宗教家の島田裕巳。ん?何か聞いたことがある。あ、オウム事件のときに名前を聞いた覚えがある。あの「映画の見方が変わる本」の中でもレビューを書いていた人。そんな訳で本屋で平積みされた文庫を手にした。

映画に"成長物語"はつきものだ。主人公が人間として成長する様は、いつも僕らを楽しませ、そして勇気づけてくれた。僕自身も映画の最初と最後でぜんぜん変わらない主人公の映画は好きでない。「マトリックス」はまさに救世主として成長するネオの物語で大好きだが、「海猿」の主人公仙崎は最初からデキるヤツなのでどうしても好きになれなかったものだ。島田裕巳氏は宗教学の立場から、この成長物語を"通過儀礼(イニシエーション)"と捉え、その視点から数々の映画を観た。そして、この本で「ローマの休日」「スタンド・バイ・ミー」「櫻の園」「いまを生きる」などを挙げて、通過儀礼の観点から詳細な分析をしている。

通過儀礼とは、かつてない経験、特にこれまでの自分(の価値観)を打ち消されるような経験をして、(人間的に)一歩成長すること。島田氏はアメリカ映画に通過儀礼として映画が作られているものが多いこと、そのキリスト教的な背景について考察している。強き父であることを求められる社会と、その父を越えるべき存在として意識する息子世代。父を越えること、自身が成長するために父を殺すこと。「スターウォーズ」はその典型だと言える。世界で受け入れられた黒澤映画は日本映画の中では珍しく通過儀礼の視点で描かれているという分析や、「男はつらいよ」の分析など興味深い。だが、1作品について詳しく掘り下げてかなりのページ数を費やしているだけにやや冗長な印象がある。その映画が好きなら読み込めるだろうけど、中原俊監督の「櫻の園」(名作!)を観ていなければこの章を読むのは辛いかも。

だが、最後に驚きが待っていた。この文庫の解説はあの町山智浩氏。僕の映画の視点を大きく変えた「映画の見方が変わる本」を編集した人物だ。町山氏は島田氏から教わった通過儀礼という視点で映画の見方が変わった。だが編集に関わった本で、島田氏にオウムについて記事を書いてもらったことが原因で、あの騒ぎになったという顛末にも触れていた。その後の二人の再会、交わした無言の握手。解説読んで涙腺がゆるんだ本は初めてかも。それは「映画の見方が変わる本」が僕にとって大きな存在だったからだろう。




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