Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

素晴らしきヒコーキ野郎

2024-09-24 | 映画(さ行)


◼️「素晴らしきヒコーキ野郎/Those Magnificent Men in Their Flying Machines or How I Flew from London to Paris in 25 Hours and 11 Minutes」(1965年・アメリカ)

監督=ケン・アナキン
主演=スチュアート・ホイットマン ジェームズ・フォックス サラ・マイルズ 石原裕次郎

高校時代、吹奏楽部でこの映画の主題曲を演奏したことがある。日頃は主旋律少なめで、音を厚くするために下支え、時々うるさがられるのは、僕を含むトロンボーン部隊。この主題曲は、スライドを派手に動かす部分も、かっちょいい主旋律もあって、これ以上あろうかという大活躍ができるマーチの名曲。ラジオ番組で聴いて映画音楽だとは知っていたけれど、本編を観たことがなくて。あれからウン十年経って初めて映画を観た。

飛行機が誕生してまだ間もない1910年代。各国の飛行機乗りが集まって、ロンドンーパリ間の飛行を競う大会が、イギリスの新聞社主催で開催されることになった。主催者の娘と恋仲であるイギリス軍人、アリゾナからやってきたワイルドなアメリカ人、女ったらしのフランス人、子だくさんでオシャレなイタリア人、堅物ドイツ人、技術にすぐれた日本人。各国から選りすぐりの強豪が集まってくる。

レースが始まるのは上映時間の半分過ぎたあたりで、そこまでは様々な飛行機が登場して、多彩なエピソードが散りばめられ飽きさせない。しかも133分の上映時間なのに、レース場面前にはインターミッション(休憩時間)まで挟まる。ファミリーでも楽しめる娯楽作品としての配慮なのかな。近頃の長いばっかりのハリウッド映画とはえらい違いだ。今どきの製作陣に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。

物語の主軸はお転婆ヒロインがイギリス代表とアメリカ代表の間で揺れる三角関係。兄エドワードに似たイケメン英国人ジェームズ・フォックス、西部劇や戦争映画で活躍したスチュワート・ホイットマン。ちと地味な印象の主人公二人に、ヒロインは「ライアンの娘」のサラ・マイルズ。

妨害工作をする悪党がいたり、常に反目するドイツとフランスが決闘騒ぎを起こしたり、颯爽と登場するニッポンの美男子(石原裕次郎)にヨーロッパ人が騒いだり、フランス代表はレースの最中に恋にも真剣だったり。気楽に楽しめる。

ドイツ将校を演ずるのは「007/ゴールドフィンガー」の悪役ゲルト・フレーべ。当時の英米映画ではドイツは悪役として扱われがち。しかも本作では頭の堅いマニュアル野郎役で、コメディ演技を見せる奮闘ぶり。ステレオタイプに描かれることは不愉快な部分もあったに違いないが、そうした役をこの時代にこなしてくれた彼は、貴重な存在なのだと再認識。

レース場面はクライマックスこそ緊迫感があるものの、クラシックな飛行機がイギリスの田舎や海辺の古城がある風景を飛ぶ姿は切り取りたい美しさ。



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コードネームはファルコン

2024-09-22 | 映画(か行)


◼️「コードネームはファルコン/The Falcon And The Snowman」(1985年・アメリカ)

監督=ジョン・シュレシンジャー
主演=ティモシー・ハットン ショーン・ペン リチャード・ダイサート デビッド・スーシェ

神学校を退学した主人公クリスは、元FBIの父親から軍需産業関連の会社を紹介された。やがて国家機密に関わる通信部に配属された彼は、他国に働きかけるアメリカという大国のエゴを日々目にして疑問を抱くようになる。彼は麻薬密売に手を染めたことのある幼なじみドールトンを経由して、ソビエトに情報を売ることを思いつく。

スパイサスペンスと紹介されるが、主人公2人は別にCIAみたいな組織の人間ではない。弱い国いじめのような状況を憂えての気持ちから、極秘情報の横流しを思いついただけの者。それが「金をとればプロだよ」とソビエト大使館員から凄まれてしまう。東西冷戦時代の対立の怖さ。

この映画が面白いのは、情報をめぐるかけ引きだけでなく、日常の人間関係が崩壊していく様子が丁寧に描かれていることだ。それだけにラストで母親が回想するわずかなシーンがグッとくる。実話に基づく話ではあるし、それを知らずとも最後にはバレて2人が窮地に立たされる結末は想像がつく。金持ちのお坊っちゃまなドールトンが見ていて危なっかしくて仕方ない。次第に家族の信頼を失っていくのが痛々しい。80年代のショーン・ペンはこういうチャラけた役がイメージ通り。一方クリスは情報を売ることで結局何を成し遂げたいのか、観ていて彼の気持ちが掴みきれない。父親への反抗心、アメリカ裏政治への怒りが背景にあるのだろうが踏み込めていない。秘密厳守を貫けないのならば、告解で秘密を打ち明けられる神父なんてそもそも無理だったのかもしれないな、と思った。

ティモシー・ハットンのファッションが気になった。企業で働き始めた場面のブラックデニムにカジュアルシャツ、細めのタイと黒ベストのコーデ。次の面接シーンではカーキ色のパンツに落ち着いた色のジャケットと赤い派手めのネクタイの合わせ。あーこれ好き。真似したい😏

ソビエト大使館員はヒゲのないデビッド・スーシェが演じる。ポワロとは違ったずる賢さを見せて貫禄の演技。「フットルース」のロリー・シンガーがティモシーの相手役。特に目立つ場面もなくストーリー上でも添え物なのが残念。

音楽担当はギタリストのパット・メセニー。主題歌This Is Not Americaを歌うのはデビッド・ボウイ。通信部でのゆるーい仕事場面では、アヴェレージ・ホワイトバンドのPick Up The Piecesが流れる。オフィスのシュレッダーでカクテル🍸を混ぜ合わせるのはびっくり🫢





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華麗なるアリバイ

2024-09-20 | 映画(か行)


◼️「華麗なるアリバイ/Le Grand Alibi」(2007年・フランス)

監督=パスカル・ボニゼール
主演=ミュウミュウ ランバール・ウィルソン ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ アンヌ・コンシニ

アガサ・クリスティの「ホロー荘の殺人」の映画化で、ジャック・リヴェット作品などで知られる脚本家パスカル・ボニゼールが監督を務めた作品。原作は名探偵ポワロシリーズの一つで、週末を過ごしにある屋敷に集まった人々の間で起こった殺人事件と、その裏にある愛憎劇を描く。

クリスティはこのストーリーにポワロは合わなかったと後に語っていたそうだ(Wiki参照)。そのせいなのか本作ではポワロは登場しない。さらに殺されたピエールに登場人物の誰もが何らかの恨みや因縁がある設定となっており、「オリエント急行」や「ナイルに死す」同様に観客の疑いの矛先が定まらない改変がなされ、物語の幕切れも原作とは異なる。本作については、確かに名探偵に観客をリードしてもらうよりも、登場人物それぞれのアリバイに観客が惑わされ、そうだったのか!と騙される方がスッキリするように思えた。

されど、邦題のような華麗なアリバイとは思えなかったのだが。

キャストはヨーロッパ映画で活躍するメンバーだが、他のクリスティ有名作の映画化と比べるとどうしても地味。被害者ピエールを演じたランベール・ウィルソンはほんっと口先だけの男で、「9人の翻訳家」同様の憎まれ役。屋敷の奥様ミュウミュウは事件に怯えている割にどこか軽さがあってちょっと物足りなかった。ピエールの愛人でもある芸術家エステルは、フランソワ・オゾン映画でもちょくちょく見かけるヴァレリア・ブルーニ・テデスキ。事件を引っかきまわすお色気ムンムンのイタリア女優には、「007/カジノロワイアル」にも出演していたカテリーナ・ムリーノ。女たちの間でフラフラしながら事件の核心にたどり着く冴えない作家が「カンフー・マスター!」の少年だったマチュー・ドミ。

クリスティ作品のバリエーションとして楽しむにはよろしいかと。「名探偵ポワロ」シリーズの「ホロー荘の殺人」でポワロが加わるものと比べるのもよき。




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はなればなれに

2024-09-17 | 映画(は行)


◼️「はなればなれに/Bande à part」(1962年・フランス)

監督=ジャン・リュック・ゴダール
主演=サミー・フレイ アンナ・カリーナ クロード・ブラッスール

以前から観たかった「はなればなれに」。ゴダール監督作としての興味、アンナ・カリーナ目当てはもちろん。さらにクェンティン・タランティーノのお気に入り映画で自分の会社名を本作のタイトルにしたこと、ベルトリッチが引用したことなど、この映画が影響を及ぼしたという周辺知識が、さらに興味をそそったのだ。配信が始まったので、優先順位に割り込みっ。

ちょっと期待が高すぎたのかもしれない。エンドマークの「FIN」を眺めながら思った。そもそもゴダールなんだから、そう簡単に受け入れられる映画のはずがないじゃない。冷静になればそうだよな。好きな場面とそうでないことが心の中でとっ散らかっている。

オープニング好き。タイトルやクレジットの表示も変なこだわり。ミシェル・ルグランに"最後の映画音楽"みたいな表記。実際ゴダールと組むのはこれが最後になったと聞く。「勝手にしやがれ」みたいに音楽をズタズタにするんじゃないよな?💢といきなり不安になる。

ガールフレンドであるオディールの家に隠されている大金を盗み出そうという計画を、セーヌ川河畔で車を走らせながら話し合うフランツとアルチュール。「無理だよぉ」と言うオディールだが、ちょっとワイルドなアルチュールに惹かれたのか、無謀な計画を受け入れてしまう。3人がプランを話し合う場面、席を取っ替え引っ替えして落ち着かない。役者の顔をちゃんと撮るため?さらに「1分間の沈黙は長い。やってみるか」と言い出して、実際に映画も無音になる。奔放なゴダールのお遊びなんだろうけど、無駄にしか思えない。

されどここで登場するのが、噂に聞いたマジソンダンスの場面。フランツの帽子を被ったオディールを真ん中に3人が並んで踊る。なんだこの楽しさ、一緒に踊り出したくなる。ナレーションが途中で何度も挟まり、その度にルグランの華麗なジャズが切り取られる。ゴダールまたやりやがったな💢。しかし、映画全体では劇伴が綺麗に使われていて好印象。

ルーヴル美術館を疾走する場面。ゲリラ撮影だったらしい。申し訳ないがちっともいいと思えなかった。これが自由?いやいや迷惑千万だろ。そこから先の犯罪シーンも無鉄砲な行動に結局イライラしてしまった。いい歳こいた自分は、危うい若者の行動を映画で楽しめなくなってるのかも。それでも割と映画の印象がいいのは、セーヌ川周辺の風景が楽しかったから。パリ五輪開会式でじっくり見たばかりだったし。それでも幕切れの先を匂わすエンディングは嫌いではないかな。



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死刑台のエレベーター

2024-09-15 | 映画(さ行)


◼️「死刑台のエレベーター」(2010年・日本)

監督=緒方明
主演=吉瀬美智子 阿部寛 玉山鉄二 北川景子

「死刑台のエレベーター」邦画リメイクに挑むの巻。ルイ・マル監督のオリジナルはサスペンスの秀作。学生の頃に初めて観た時は音楽と、短い上映時間に凝縮した面白さに夢中になった。大人になって改めて再鑑賞、雨の中をさまようジャンヌ・モローに、これは愛の映画だという感想を持った(「死刑台のエレベーター」のレビュー参照)。

一方でオリジナルは、多くの方の感想にもあるように、サスペンス映画としての物足りなさや納得できない部分もあれこれ。このリメイク版の緒方明監督らスタッフも同じ思いだったのか、様々な要素を盛り込んでいる。オリジナルでモーリス・ロネが回収し損ねたロープは、本作ではちゃんと回収される。警備員に笹野高史を配したユーモラスな味付け、裏社会のダーティなエピソード、舞台となる横浜を印象づける国際色。

さらに登場人物それぞれのキャラクター描写が色濃くなっている。社長夫人と社員、若いバカップルの2組の男女。それ以外の情報が乏しくて話に集中できたオリジナルに対してかなり情報過多。阿部寛の過去は長々と語られ、北川景子演ずる美容師の純真さ、付け加えられた暴力団組長と情婦の関係性など、人間ドラマ部分が手厚くなっている。吉瀬美智子演ずるヒロインの心理描写に至っては特撮も駆使する手の混みようw

オリジナルでは出番の少ない刑事は、柄本明演ずる古参刑事に。職場のデスクには折り紙が並び、窓際族のような印象を与える。その頼りなさそうな印象がラストでキリッとして、黙って立っている吉瀬美智子の心情や、愛し合う二人が映った写真の意味まで克明に解説してくれる。あーっ柄本刑事、それよ!僕がオリジナルを愛の映画だと思った理由。よくぞ言ってくれました。でも、それをここまで語ってしまったら解釈や感想の押し付けになっちゃうのでは。

ところが、玉山鉄二演ずる警察官(バカップルの男)の行動や感情が最初から最後まで意味不明。「何にもできねぇんなら権力の犬でいりゃいいんだよ」と組長に諭される始末。組長の情婦との過去も唐突でよくわからない。

オリジナルへの愛着は感じられるが、話を盛って心理描写まで説明し尽くして、観客を受け身にしてしまったのが残念。「あの人と一緒にいないのに、私は老けていくのね」と繰り返されるラスト。その悲しい気持ちはわかるけど、吉瀬美智子の絶望した表情と、「二人の写真が欲しい」という台詞で十分ではなかろうか。

とにかく台詞が聞き取れない。テレビのボリューム上げまくって、ボソボソ喋る阿部寛の台詞を拾ったら、次の場面では平泉成が怒鳴る👂⚡️。どうにかならないもんか。

👇オリジナルはこちら

死刑台のエレベーター - Some Like It Hot

■「死刑台のエレベーター/AscenseurPourL'Echafaud」(1957年・フランス)監督=ルイ・マル主演=ジャンヌ・モロ-モーリス・ロネジョルジュ・プールジュリイリノ...

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きみの色

2024-09-13 | 映画(か行)


◼️「きみの色」(2024年・日本)

監督=山田尚子
声の出演=鈴川紗由 髙石あかり 木戸大聖 やす子 悠木碧 寿美菜子 戸田恵子 新垣結衣

監督山田尚子×脚本吉田玲子のアニメーションは「けいおん!」以来お気に入りだ。そのコンビの新作は、青春と音楽の物語。

人がそれぞれの色で見えるトツ子。ミッション系の女子校に通う彼女は、ある日の体育の授業中、きみちゃんの放つ青い色に魅せられる。ところがきみちゃんは予告もなしに退学。商店街近くの古書店で働くきみちゃんに声をかけたトツ子は、その店に来ていたメガネ男子のルイとともに勢いでバンドを結成することに。練習場所は離島にある教会跡地。3人はそれぞれが抱える悩みや秘密を共有するようになる。

全体的なほんわかとしたムードと優しい世界の上映時間100分は、慌ただしい日常をしばし忘れさせてくれる。結果として周囲の大人に対して嘘や隠し事をしてしまう3人だが、自作曲を持ち寄ることでだんだんと自分の心に素直になっていく。頑なだった心を解きほぐしてくれたのは音楽の力。

この監督脚本コンビである秀作「聲の形」や「リズと青い鳥」の、感情が心の器から溢れ出すような強い感情表現とは違う。それぞれの不器用さからうまく言葉にできないながらも、ジワジワと高まっていく3人の気持ちが観ていて心地よい。でもそれは周囲の大人たちの気持ちを描くことをスパッと切り捨てたからに他ならない。きみちゃんのお婆ちゃんが彼女に期待する気持ちは裏切られたし、ルイの母親にも言い分はあっただろう。クライマックスの学園祭ライブで、そんな不器用な子供たちを認めるひと言も出てこない。

でも、そこを期待した僕は、大人の目線でこの映画をちょっと冷ややかに観ていたのだろう。描かれるべきは世代間の関係修復ではなくて、3人がそれぞれの個性や自分自身を肯定する気持ちになっていく様子。それこそが"きみの色"なんだ。だから僕ら世代には、この映画はちょっと気恥ずかしくて、こそばゆい感覚がある。

ほんっと青いなお前ら。
でもそんな気持ちあったよ。
そんな感じ。

変則スリーピースバンド。ルイはプログラミングとキーボード。トツ子が弾くキーボードは、RolandのGO:PIANO88とはナイス👍。両手指一本で弾く場面がダサいめいた感想を見かけるけど、あれはシンセベースを弾いてる場面だから、アリだと思います。きみちゃんのギターがリッケンバッカーって、絵が映えるいいセレクト👍。さらにルイがソロ楽器としてテルミンを操るのが、電子楽器好きの僕には嬉しい誤算🤩。やるやん!しかもトツ子がバレエで踊りたかったという楽曲ジゼルをテルミンで演奏する場面は感激してしまった。

大昔に聴いていたラジオ番組で、個性を出せ、自分を出すことをためらうな、とリスナーを励ます言葉にをかけてくれたミュージシャンがいる。彼は言った。
「自分のプラカードは、自分の色で染めなきゃ!」
それからウン十年経ったけど、僕はいったいどんな色なんだろう。"青いなお前ら"と色で若い子を括ってしまった自分。色をなくしているのではないよな、と自分に問いかけた。




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春日太一講演会:松本清張に挑んだ脚本家橋本忍

2024-09-11 | 映画・ビデオ



松本清張記念館が毎年この時期に催す講演会。今年は脚本家橋本忍をテーマに、映画史研究家春日太一の講演。これは聴かねば!と思い、速攻で応募しました。

黒澤明作品の印象が強い橋本忍だが、根底にあるのは、自分ではどうしようもない状況に追い込まれてしまった人間の悲劇を描くこと。「羅生門」も「七人の侍」も、命令に従った兵士が戦犯として裁かれる「私は貝になりたい」もそうだ。そういう意味では、松本清張との相性はよかった。清張作品も、意に反して追い込まれた人が出てきて、そこに人間の業、欲、情が絡む。しかも橋本忍はそうした情にまつわる部分を観客に強く訴えて支持されてきた脚本家。

一方で、映像化にあたり、原作を改変することに躊躇はしない人だった。近頃もテレビドラマの原作改変で大きな悲劇を生んだ日本エンタメ業界だが、橋本忍は観客にウケる、映画として売れるためなら容赦なく原作にない要素を盛り込んでしまう人。「砂の器」を例に出して、有名な親子が旅するシーン(原作にはない)誕生の裏話が披露された。

橋本忍へのインタビュー、創作ノートの研究から紐解かれた、橋本忍の人柄や売れる作品にするための執念めいたエピソードが面白い。創価学会映画を手がけて関係を築いたのは、その後の新作のチケットを買ってもらうため。「砂の器」をどうしても撮りたくて独立プロを設立、野村芳太郎監督で撮るための交渉。

そして松本清張が自作を映像化する霧プロを設立した頃から袂を分つことになる。丹念な取材と映像作品の分析から語られる話は、興味をさらに高めてくれる。橋本忍評伝「鬼の筆」購入しました。挑んでみます。

そういえば、僕が「砂の器」を初めて観たのは、「愛の陽炎」と二本立て上映された1986年。えっ!?「愛の陽炎」も橋本忍の脚本じゃん!あれは"橋本忍二本立て"だったのか!…と今さらながら気づいた。自分を裏切った男を丑の刻参りで呪い殺すお話。でも最後は意外にも泣かせる展開が待っている。なるほど、あれも橋本忍節(言い方悪いな)だったということか。「砂の器」改めて観ようと思う。ついでに「幻の湖」も。

楽しくて、貴重なお話が聞けた講演会でした。




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サムライ

2024-09-10 | 映画(さ行)


◼️「サムライ/Le Samourai」(1964年・フランス)

監督=ジャン・ピエール・メルヴィル
主演=アラン・ドロン フランソワ・ペリエ ナタリー・ドロン カティ・ロジェ

アラン・ドロンの訃報で、いつか観ようと録画していた「サムライ」に手を出した。まだ若造だった頃に一度挑んでいるはずだが、冒頭の台詞なしの10分間に飽きたのか、ついて行くのに疲れたのか、親が観ていたのを断片的に観ていたのか、ともかくきちんと最後まで観るのは今回が初めて。あれ、もしかしてジャン・ピエール・メルヴィル監督作を観るのも初めてかも?

その冒頭10分間で心を掴まれた。殺風景な部屋には鳥カゴがひとつ。ベッドでタバコを吸う男が一人。彼はダブルのトレンチコートに中折れ帽を身につける。ジャケット写にある鏡の前で帽子のつばを整える。それらは武道家の型がある所作と同じように、裏社会の仕事に向かう前の儀式に見える。

かっけー😆

かつて「カサブランカ」でボギーのコート姿にイカれた過去がある僕。なんで「サムライ」を今まで観てなかったんだろ。グレーのスーツに細いタイをきちんと着こなし、映画後半は落ち着いた色調のチェスターコート。身なりをちゃんとする大人のカッコ良さ。近頃はなんちゃらビズのせいで、スーツをきちんと着る機会は少なくなったけど、こんなん観たら真似したくなる💦

一匹狼の殺し屋ジェフは、心を許せる相手がいない。「武士道」の一節とされる言葉のように言いようのない孤独だ。

クラブの経営者殺害後の取調べシーンから先、ずっと緊張が途切れない。殺害現場で鉢合わせしたジャズピアノ弾きの女性が「彼ではない」と嘘をついたことで難を逃れたジェフ。その理由が知りたかったジェフは再びクラブに向かう。警察はジェフを犯人と断定し、執拗な捜査網で追い詰めようとする。しかしパリの地下鉄を知り尽くしたジェフはその追手から逃れ続ける。この追いつ追われつだけでも面白いのに、ジェフが殺人を依頼したボスに迫ろうとする二重のサスペンス。よくできたサスペンス映画は、ただの追いかけっこでは終わらない。

メルヴィル監督作、他にも挑んでみようかな。今年はフランス映画に手が伸びるw




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スローガン

2024-09-07 | 映画(さ行)


◼️「スローガン/Slogan」(1968年・フランス)

監督=ピエール・グランブラ
主演=セルジュ・ゲンスブール ジェーン・バーキン アンドレシア・パリシー ジュリエット・ベルト

セルジュ・ゲンスブールを本格的に聴き始めたのは社会人になってから。ヨーロッパ音楽に中坊の頃から興味があったこと、初めて買ったFM雑誌の表紙がセルジュのアルバムだったこと、平成初めのシャルロット人気、などいろんなきっかけがあるが、少なくともピチカートファイブやカヒミ・カリィがゲンスブール作品を取り上げた頃には、コンプリートと題された9枚組CDセットが本棚のいちばん目立つところに鎮座していた。僕にとっては憧れの不良老人。それは今でも変わらない。

しかしながら出演作や音楽担当の映画に触れるのはその後。ジェーン・バーキンとセルジュの出会いとなった記念碑である本作、「スローガン」を初めて観たのは、1997年、WOWOWの放送だった。

感動するラブストーリーじゃない。むしろ呆れてしまいそうな話だ。CM監督セルジュが映画祭で訪れたベネチアで奔放なイギリス娘エヴリンと出会い恋をする。ギャーギャー騒ぎ立てるばっかりのエヴリンに振り回されるが困った顔するでもなく、生まれたばかりの子供と妻を放り出す無責任な中年男。

常識的に観てたらイライラしそうなものだが、二人が一緒にイチャイチャする場面の無邪気さ、現実味のなさ、小洒落たインテリアやファッションにいつの間にかワクワクしている。「あなたは素敵、私も素敵」何言ってるの?お嬢さん😓でも、なんか憎めない。そして翌1969年を"エロの年"だと歌ったお騒がせカップルが実際にこの映画で出会ったという事実が役に重なって、ゲンスブール好きにはたまらない長編PVのような作品。

映画宣材もオシャレで、90年代のリバイバル、緑色のフライヤーが大好き。もしポスター持ってたらお気に入りのゴダールのポスター剥がして代わりに部屋に貼ってる。

2024年9月に宅配レンタルDVDで再鑑賞。離婚を切り出したセルジュに妻フランソワが諭す台詞が、今の自分の年齢で観るとチクリと痛い。
「40歳なんだから33歳に見せる必要ないでしょ」
若い女といることが自分を若返らせてくれると思っている男。気持ちはそうでも実際は違う。確かにそうだよ。うん。

セルジュ・ゲンスブールが手がけた主題歌スローガンの歌。不安定なのに印象に残る不思議なメロディ。様々にアレンジを変えて本編で流れるのも楽しい。


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サスペリア

2024-09-04 | 映画(さ行)


◼️「サスペリア/Suspiria」(2018年・アメリカ=イタリア)

監督=ルカ・グァダニーノ
主演=ティルダ・スウィントン ダコタ・ジョンソン ミア・ゴス クロエ・グレース・モレッツ

傑作「ミラノ、愛に生きる」に衝撃を受けて以来、ルカ・グァダニーノ監督は気になる存在。繊細な人間ドラマのイメージがあるだけに70年代ホラー「サスペリア」のリメイクを手がけたと聞いた時は驚いた。舞台は東西に分かれた時代のベルリン、クラシックバレエからコンテンポラリーダンスに様変わり。

ホラーは苦手だけど、オリジナル「サスペリア」には抗えない魅力を感じていた。それは鮮血の美学とも言うべき他では観られない映像と、ゴブリンのおどろおどろしい音楽(音楽室のピアノで「エクソシスト」とこれのメロディを弾いてた私w)。ストーリーの記憶はあやふやでも、それらは記憶にしっかりと刻まれていた。

バレエ団の陰に悪魔復活の野望が隠されている…という基軸のお話を、失踪した女性を追う精神科医を絡めて謎解きのような展開。しかしオリジナルでジェシカ・ハーパーが演じた主人公スージーはただひたすらに巻き込まれて怖い目に遭った人。本作ではアーミッシュ部族の出身との設定で、一般の人とは異なる風習の中生きてきた人物となっている。

本作では東西冷戦、分断された都市ベルリン、ドイツ赤軍のハイジャック事件、同じ宗教なのに少数派の人々…と何かと対立する存在が示される。それはバレエ団の裏に隠された魔女と人間界という関係にもつながる。ヒロイン、スージーはオリジナルと違って古参魔女の器となることを受け入れず、自ら魔力を手にする存在へとなっていく。それは彼女を縛り付けていた母親という存在からの離脱。ここでも実の母、新たな母として受け入れることを迫る魔女。ここでも相対する関係が見えてくる。オリジナルの怖い目に遭ったヒロインの話を念頭に観ていたら、予想の上をいく結末が待っている。

でもねー、これは期待した「サスペリア」じゃない。ショックシーンも、血みどろのクライマックスも、不気味なティルダ・スウィントンもいいけれど、美学とも評された毒々しい映像の個性は感じられない。レディオヘッドのトム・ヨークによる音楽は、映画を彩る重い空気を作ることには成功しているものの、身体に染み付くような、単調で呪文のようなゴブリンのメロディとは違う。あのメロディがあるから、オリジナルの「サスペリア」は悪夢から観客を目覚めさせない怖さがあった。「決して一人では観ないでください」とキャッチコピーとあの旋律は、ペアで僕らの心に刻まれたんだもの。

あ、クロエたん好きだから、出番があまりにも少なくて消化不良なんだろって?

はい、図星w




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