風薫海航空翔

カゼカオル・ウミワタル・ソラカケル Presented by 柊(syu)

NEXT GENERATIONじゃない、きっと

2012-05-20 10:14:21 | Weblog
もはや不定期更新になってしまいました、ウチのブログ…。ははは。
にもかかわらず、ご訪問ありがとうございますm(__)m。


ちょっと前の話ですが。
NHKの「SONGS」でやってた尾崎豊特集を録画して観ました。
没後20年…。
もうそんなに経つんだなぁ、とビックリ。

信者と呼ぶかどうかは置いておいて、私も10代の頃よく聞いていました。
CDも「十七歳の地図」「回帰線」「壊れた扉から」を持っていたし。
よくコピーしてギターで弾いてたなぁ。

ちょうどプロモーションビデオと呼ばれるものが、日本のミュージックシーンで始まった時代。
平日の夕方からやってた「MUSIC TOMATO JAPAN」だったっけ?。
アレを部活さぼって観てたものです。

その中で当時とてもインパクトに残ったのが、尾崎豊の「卒業」。
水の中でもがくシーンや松葉杖の不自由な姿、ラストで鏡の中の自分をギターで叩き割る演出が
見事に歌詞とマッチしていて強烈なインパクトを与えられたもんです。

私自身もかなり多感な時代。
今考えてみても、あまり社会性育成に役立つとは思えない校則や
軍隊みたいな規律を強いられる学校生活に、沢山不満を抱えていたもんですわ…。

大人になって、実際子供育てていると思うんですが。
周囲に自己肯定感をキチンと育んでくれる大人がいれば、きっとそういう苛立ちとか不信感とかっていう感情は自然消滅したんだろうって。
でもそうじゃなかった環境にいると、やっぱりOZAKIは自分たちの代弁者だったんですよね。
信じられぬ大人しかいないと。

彼が麻薬で逮捕された事件のときもよく覚えているし、
彼が早すぎる死を迎えた日のことも、今でもよく覚えています。
その衝撃とか、人が死ぬって一体何なんだろう、って思ったこととか。

今この年齢で改めて尾崎豊の歌を聞くと
そのメッセージ性よりも、散りばめられた歌詞の素晴らしさに驚かされました。
人生経験の少ない高校生が書ける歌詞じゃないよ。
これを10代で書いたとは…。
やっぱこの人、天才だったんやねぇ。


同じ時期によく聞いてたチェッカーズの歌で、「NEXT GENERATION」っていうのがあって。
(正しくはチェッカーズじゃなくて、Cute Beat Club Bandですが。中身は同じ人たち)。
その歌詞の中に「僕らはいつもその後の世代」っていうのがあんですわ。

偉大なるビートルズもオールディーズもウッドストックも。
様々な時代を動かした音楽全て、それが自分たちの世代より上のひとたちだけが経験して
自分たちの世代は「いつもその後の世代」っていう意味なんだけど。
それって私も10代の頃、いつも感じていたジレンマでした。

音楽を好きになって、洋邦問わず聴き漁るようになったんだけど。
でも結局素晴らしい楽曲は全て、自分が生まれる前だったり興味を持つ前だったりして。
本当はその時代に共に生きて、共に感動を味わってみたかった。

余談ですが、ウチのお舅さんはビートルズの来日公演に参加した観客のひとりでして。
その話聞いたときにゃ、羨ましくて羨ましくて…。
(でも感想は一言「テレビの方がよく観えた」にズッコケましたが)。
いわゆる時代の生き証人ってヤツです。

そういう「僕らはいつもその後の世代」感が、10代のときが私の中にずっとあったのは事実。

でもね、今回のOZAKIの特集を観て。
「ああ、私はもうその後の世代なんかじゃないんやなぁ」って思えたんです。

後にも先にも、尾崎豊というカリスマは彼以外もう存在しない。
あの時代だったからこそ、存在したひと。
その始まりと終焉を、同じ時代で見届けたっていう感覚が私にもある。

OZAKIだけじゃなくて、ソニーミュージックの台頭とかバンドブームとか小室哲也とか。
もっともっと沢山、その時代にしか存在しなかった素晴らしい音楽シーンをいっぱい観てきたんやな、私、って。

私の時代にビートルズはいなかったけど。
それでも確実にそこに伝説の音楽はあったんやなぁ、なんて。
だから「その後の世代」じゃない、きっと。

最近オッサンホイホイ的なYouTubeばかり観てしまうオバサン世代ですが
あの頃しっかり良い音楽沢山聞いてて良かった、と思うこの頃です。



越後のミケランジェロを巡る旅・後編

2012-02-18 10:20:14 | 旅たびたび
浦佐駅を魚沼市の無料シャトルバスで出発。
この午後1便の終点が温泉。石川雲蝶の作品見たらそのまま温泉でも浸かりに行こうかなー♪。
なんて考えていました。

雪深い、というより雪が私の背丈以上に積もっている道を走りながら目的地・永林寺に到着。
シャトルバスはここで20分停車して、お客さんを観光させてくれるシステム。
さ、20分後の出発まで堪能するかーっ。見たら再び乗車してめざせ温泉。
拝観料を払ってお堂の中へ。
待っていたのは…「美」の世界。

今にも動きだしそうな鮮やかな孔雀の欄間。

100年前に造られたとは思えない、迫力の龍の顔。

御本尊の上部に施された「カリョウビンカ」と呼ばれる、上半身が菩薩で下半身が鳥の2対の彫り物。
今にもフワフワと宙を優雅に舞いそうで…。
(写真撮影禁止だったので、紹介出来ないのが残念)。

そして。
ある欄間にワタシは声を失った。



(↑観光パンフより)

あああああっ写真じゃ全然伝わらない!!悔しいぃぃぃっ!!。
この天女の欄間が、美しすぎてボー然としてしまった。

どぉーーーん、と天女が太鼓を鳴らし。
豊かな和音の笙の音が、美しい唇から放たれて。
白魚のようなその指で、高い音色の笛がなる・・・。

天女の欄間を凝視していると、まるでその演奏が聞こえてきそうになった。
うつくしい。うつくしすぎる!!。
見上げたワタシはぽかーんと口を開けて、しばらく動けなかった。
「心を奪われる」というのは、きっとこういう状態なんや。

どれぐらい時間がたったのか、足音がしてお寺のひとがやってきた。
「バス出ますよ」と言われた。
もう20分たったのか!?。
いやいや、もっと見ていたいっ。離れたくない。
シャトルバスの人に声をかけて、ここで下車させてもらうことにした。
温泉も行きたかったが、今はこのままでいたい。
お寺の人に「あとはタクシーしか足ないですよ」と言われたけど、今はこの天女をとにかく見たい。


誰もいなくなったお堂で、ザックを下して天女の欄間をひとり占め。
斜め下から天女の横顔を覗くと、憂いを秘めたその表情にうっとりする。
貴婦人の手のように美しく、なおかつ生命力がその指に溢れていた。
動いてもいい。むしろ、動いて欲しい。
ワタシは完全に、この天女たちに恋をした。同性ながら。

もうひとつの天女の欄間は、裏側から見るとなんと天女の背中が露わになっている!!。
帰宅してから調べたら、こういう肌をみせた天女というのはすごく珍しいらしい。
でもね・・・この背中。決して美女の背中じゃなかったんですよ。
どちらかというと、母親の背中だった。
それが、ものすごーく印象的で。
正面から見た天女は、まぎれもなく美しい飛翔でありながら。
後ろ姿が母親という。
いやいや、何度表裏と移動しながら見たことか。


感動の波に溺れながら、しかし身体はどんどん冷え切っていく。
西福寺同様、お堂の中って凄まじく底冷えする。
もう足の裏の感覚はない。
でも、でも。帰りたくない。この目に焼き付けたい。
こうな感情は久しぶりだった。

そのとき。ふと、廊下に永林寺の写真集が置いてあるのをみてパラパラと手にとった。
おー、買って帰ろう。と写真集を閉じたときのこと。

お堂の奥の扉が…スーッと開いた。
ん??。んんんん????。誰か…来た??。足音しなかったよ。
そろ~っと扉を覗きこんだが。誰もいない。
き、気のせいよな??。

もう一度写真集に目を向けると、またわずかに風が吹き込んですーっと扉が開いた。
ザザザザ…と血の気が引く。
そう言えば、さっきから何回も堂内に置いてある豆の袋が落ちた。
「気のせい、気のせい」と呟いてみるも、ゾワゾワしてきた。
開いた扉がパタン、と閉じたとき。超特急で床のザックを拾い上げて、写真集を抱えて一目散に堂内から走り出した!!。

すいませーんっ!!すいませーんっ!!。
大声で拝観料を払った入口で叫び、ようやく出てきたお寺のご婦人に写真集代を手渡した。
「あ、あのあのっ!!奥の扉が…勝手に開いたんですけどっ…」
たぶんこのときメッチャてんぱった顔してたぞ、ワタシ。
「ああ」とお寺の方。
「風で開くんですよ」。
な、なんだ…そうだったのか…。良かった~。ははは。ははは。

後で考えると、まあそうだったのかもしれへんけど。
天女のいたずらだったのかも、と思った方がなんだかロマンチックかも。


この旅は石川雲蝶と出会い、石川雲蝶に魅せられた旅でした。
これだから旅は素晴らしい♪。
西福寺開山堂の天井彫刻の迫力も、永林寺の天女たちも。
ワタシの中では宝石のように輝きつづけ、きっと年老いた日にも鮮やかにこの感動を思い出せる。
旅人で本当に良かったよ。
そして自分の旅力が衰えていなかったことに、ホッとしました。

帰ってから石川雲蝶の本を図書館で借りたら、新潟県内に雲蝶の作品がまだまだ沢山あるらしい!!。
み、みたい~っ!!。全て見たい!!。
今度は雪のない季節に西福寺の山門の彫刻だって見たいし
何時間も天女たちと一緒にいたい。

嗚呼、また旅に出るときは行き先新潟で決まりやな(笑)。

越後のミケランジェロを巡る旅・前編

2012-02-16 10:25:10 | 旅たびたび
先日、約4年ぶりにひとり旅に出ました!!。

いや~やっとこの日が来た来た。ホンマ嬉しかったっすよ。
根っからの旅人なんよな。
旅人復帰戦、2泊3日で向かった先は…新潟。
一度でいいから雪国を旅してみたかったんですわ。
数年前それを期待して冬の青森に行ったら、何十年かぶりの暖冬で見事に雪ナシ。
かなりガッカリして是非リベンジを果たしたかった。

ニュースでみていた通り、上越新幹線で越後湯沢あたりから豪雪でした。
新潟市内も半端ない雪だったけど、どちらかと言えば長岡や魚沼とか内陸のほうがすごかった…。
もうゲップがでぐらい雪みた、触った、感じたって具合で。
当初の目的は十分果たしましたよ。

初日は新潟市内をウロウロして、翌日の朝「在来線全線、雪のため運休中」という事態に遭遇。



ははは・・・わははははっ。
新潟駅の改札前で、ウィークエンドパス片手にもう笑うしかなかった!!。
どこも行かれへんやーーーーんっ!!。
でもこんな旅の緊急事態が、これまたすごく嬉しくて(←変態)。
なんかねぇ~。「嗚呼、ワタシ旅してるなぁ」と実感しちゃうんです。

幸い新幹線は動いていたので、バビューンと浦佐駅へ。
実は前日、風景印巡りで立ち寄った新潟県庁の観光課でもらったパンフレットの中に、それはそれは心惹かれるお寺が掲載されていたんですわ。

それが「西福寺」。
この小さなお寺にある「開山堂」というものの中に、幕末の彫刻家・石川雲蝶という人の作品があるんですわ。
知ってます?石川雲蝶って人。
ワタシは全然知らなかったんですが、なんでも「越後のミケランジェロ」と呼ばれているらしい。
それぐらい作品が素晴らしいんだとか。
パンフレットで一目見て「ぬぉぉぉぉぉっ!!コレ生で観たい観たい観たい!!」と、前夜ビジホのベットの上で叫んだぐらい。
なもんで、浦佐駅からタクシーで西福寺へ。

堂内写真撮影禁止だったので、お見せ出来ないのが残念。
なので観光パンフレットから。

        

天井一面、四方の上部に張り巡らされた彫刻の数々。
さほど大きなお堂ではない。
恐怖で足がすくんで動かなくなる!!。
ナマで観るともう…言葉が追いつかない、感動・感動・感動・・・。
怖いんだけど、あまりの素晴らしさに感動の嵐。
「これ本当に木の彫り物?。粘土で作ったんじゃないの?」と思うぐらい、緻密で生命力が生半可なものじゃあありません。
圧倒されて吹き飛ばされそうな威圧感。
今にも動き出しそうな、龍や虎や動物たち。
ギロリとこちらを睨みつけて威嚇してそうな僧侶の彫刻。

真冬のお寺の中って極寒。足の裏が痛くなってくる。
でも動けない。素晴らしすぎて。もっと観ていたい、もっと感じていたい。

大人になってから欄間が好きになって、松島の瑞巌寺や柴又帝釈天の彫刻に惚れましたが。
もうその上をはるかに超えて魂揺さぶられるシロモノ。
この感動、言葉に出来ないのが歯がゆすぎるんですが。
越後の田舎町に凄すぎる芸術作品があっただなんて。
嗚呼、旅ってやっぱり素晴らしい…。
石川雲蝶、出会えてよかった。

夏は海外からの観光客も訪れるらしい、この西福寺。
雪に閉ざされるこの時期だからか、このとき観光客はワタシひとりでした。
あの雰囲気、感動をひとり占めできて幸せやったなぁ…。

この開山堂は外観も雲蝶の彫刻がほどこされているらしく、是非みたいな~と外へ。



雪に埋もれてみえませーん(笑)。
うぬ~、この季節は厳しいな。
とか思いつつ、雪の隙間から何とか見えないか背伸びしてたら。
「おねえさん、そこ危ないよ~。」とお寺のひとに声をかけられた。
振り向くとワタシが立っていた場所には「立ち入り禁止」の札が…。
雪がいつ雪崩れてくるかわからないから、だそうで。スイマセン、全然見えてませんでした(汗)。
「バス今来てたけど乗るの?」とお寺の方。は??バスですか??バス通ってるの??。
聞くと魚沼市が土日限定で無料シャトルバスを運行していて、今ちょうどお寺の前に止まっているらしい。
おおおおっ!!乗りますよ、乗ります!!。
タクシーだと2000円弱かかって痛かったのよ~。

車内でチラシを頂いてみたら、ナルホド魚沼市が観光客を呼ぶためにやっている企画なんだとか。
温泉地や観光地を無料で運行しているシャトルバス。
なーんも下調べしないままココに来てしまったので、全然知らなかった。
これぞ旅の神のお導き♪。

ワタシが乗りこんだバスは、そのまま終点・浦佐駅へ。
30分後にこのバスは再び浦佐駅を出発して、主要駅を経由しながら今度は「永林寺」というお寺にも寄るコース。
その永林寺にも石川雲蝶の作品がある、とのこと。

よっしゃー。永林寺にも行ってみるかー。
浦佐駅内の立ち食い蕎麦屋で山菜蕎麦をすすり(これが予想以上に美味しかったのよ。店のおばあちゃんも可愛かった♪)。
もう一度、無料観光バスへ。

そして、ワタシは天女に恋をしてしまったのだ…。

(つづく)。

名曲喫茶

2012-01-06 16:09:58 | TOKYO生活
遅ばせながら、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

正月早々、チビ助が熱を出しまして。
ようやく解熱したもんで、旦那にチビ助を預けてワタシが半年毎に通院してる表参道の病院を受診してきました。
その帰りに渋谷へ。
かねてから行きたかった場所へ寄り道してきましたよ~。

目的地は「名曲喫茶ライオン」。

我々世代には馴染みが薄いんだけど
クラシックを素晴らしい音響で聴かせてくれるのが、「名曲喫茶」というもの。
かつて大流行したらしい。

ここ最近、すっかりクラシック好きが再燃して
もっぱらウォークマンでクラシック聴いているもんで行きたかったんですわ♪。

実は昨年末に以前から気になっていた「名曲喫茶」と看板のかかった某店に行ったんですが、期待はずれ…。
てっきりクラシックが流れるええ雰囲気の喫茶店やと思いきや。
普通にマライアキャリーが流れ、しかもスピーカーが故障してたのかブツブツ音が切れる。
うぬ~っ。てっきり「相棒Season2」の「消えた死体」で右京さんがお茶してるような店かと思ったのにぃぃっ。
こりゃリベンジ果たさねば!。
と勝手に燃え上がり、下調べしました。

     

図書館で借りたこの本↑「散歩の達人ブックス・東京クラシック地図」が結構役に立ちましたよ。
都内に沢山あるのね、名曲喫茶(しかも中央線沿線多し)。
この本で紹介されていたのが、今回訪れた「名曲喫茶ライオン」。

渋谷駅から道玄坂をのぼり、小道に入る。
なぁ~んかイカガワシイお店が並ぶ中を歩いていくと
左側にあるのが「名曲喫茶ライオン」でした。

      

なんかね…外観からして歴史を感じる風貌。

「店内写真撮影お断り」の文字を見ながら扉を開けると。

…時間が止まってました。

もう歴史が刻まれ止まったままのアンティークな内装。
昼なのに薄暗くて、蛍光灯も青白い。
椅子は昔の新幹線の座席みたいな、背もたれに白い帽子を被っているものだし。
ガスストーブのオレンジの灯りがノスタルジック感醸し出してるし。

喫茶店というそのものだけで一見の価値あり。
ここが渋谷であることを忘れました。

そして壁には大きなスピーカーがかかっていて
もう見ることが珍しくなったレコードでクラシックの名曲が店内に流れている。
今かけられているアルバムのジャケットが、うやうやしく棚の一番高い位置に置いてあって。
曲の合間にわずかに聞こえてくる、パチパチというレコード特有の音(針を落としたときの音とか)が
ものすご~く懐かしくて。
店員さんにオーダーする声や
タバコに火をつけるライターの音さえはばかれるような
そんなクラシックの音符だけが支配する空気。

う~ん、この雰囲気。
これよコレ!ワタシが求めていた名曲喫茶そのもの!。
素敵だわ~。嗚呼、感動感動!!。

ゆったりとミルクティー飲みながら、クラシックに包まれる。
素敵な時間じゃないですか~。
クラシック好きで良かったなぁ。

このお店、お客さんからのリクエスト受け付けてくれていて
いろんな曲が流れていましたよ。
モーツァルト交響曲25番みたいなメジャーな曲もリクエストされていて
なんかホッとしました。
ワタシも最近お気に入りの曲をリクエストしたかったんですが
なんか根性なくて(汗)。
また次回に宿題ですな。

客層はご婦人やオジサマ、と年齢層高めでした。
メニューは飲み物しかありません。
(昼ご飯どきに行ってしまい、何か食べてから寄れば良かったかなとプチ後悔)。

渋谷はナニかと疲れる街で苦手でしたが
こんな素敵な店あるならええなぁ♪と。うんうん。
「おとな時間」を楽しむためにまた来ようっと。

五島うどん

2011-12-28 22:03:58 | 旅たびたび
年の瀬ですね~。
今日でワタシは仕事納めで、明日から1週間保育園もお休み。
チビ助と過ごす毎日が始まります。
今夜は旦那が忘年会で不在なもんで、こんな手抜き晩御飯↓。

          

長崎県五島列島の五島うどん。
出汁も五島列島のあごだし。
実はコレ、先月末に池袋で開催されたイベント「アイランダー」で購入したもの。

この「アイランダー」は毎年11月に池袋サンシャインシティで開催されているイベント。
日本各地の島々の人たちが、各ブースで島の紹介や名産品の販売・移住や島での就職案内…などなど、それぞれの持ち味を出している。
北は北海道から南は沖縄まで。
竹富島や屋久島・佐渡島といった超有名島から、
瀬戸内海の小さな島や「ここどこにあるの?」と思うような知名度の低い島まで。
かなり沢山の島々のブースがありまして。
旅好きな我々夫婦にとってはパラダイスのようなイベントで、3年連続で足を運んでます。

島の情報や名産品を試食したり購入出来るのも楽しいんだけど
一番の楽しみはブースにいる島の人とコミュニケーションがとれること。
一瞬旅に出た気分になれるんですわ~♪。

それに今まで全く知らなかった島を知り
島の情報を知って「是非行きたいなぁ~」と旅の宿題が作れるのも
旅人冥利に尽きる。
毎年「今年はどんな島に出会えるかな?」とワクワクして参加してるぐらい。

そんな「アイランダー」、今年ワタシが色々ブースで試食した中で
心をつかまれたのがこの五島うどん。

実はワタシの旅人デビュー戦が
何を隠そう五島列島だった。

かれこれ10年以上前、
訪れた五島列島の中通島の小さな食堂で食べた五島うどん。
あの懐かしい味。
集落にポツリポツリと佇む教会を訪ねる旅。
あの旅が全てのスタートで
あの旅が素晴らしかったから、今でも旅人を辞められないんよな…。

その思い出の五島うどんを購入。
(旦那は山口県の相島の「はぎ芋焼酎・あいしま」を購入。
 コチラも激うま~♪。行ってみたいな相島)。
今夜頂きました。

麺は細めで一般的なうどんに比べてチョイ短い。
つるりとした舌ざわりが心地よく、まろやか~。

トビウオからとれたあごだしは、優しい味。なんかホッとする。
チビ助も「おいしい!」を連呼し、出汁も全部飲んでましたがな~。
トビウオって有能な魚なんやね。
屋久島で食べたトビウオのさつま揚げも絶品やったし。

そんな懐かしい思い出の味を感じた夜でした。

答えは自分の中に必ず存在する・後編

2011-12-19 14:26:37 | 徒然なる日々
前編よりつづき。

「自分は幸せになってはいけない」という潜在意識での想い。
一見するとアホくさーい思い込みなんだが、これが自分の中に随分長い間真実として存在してきたことに今回初めて気付いた。
しかも「顕在意識」ではなく「潜在意識」に居座っていたもんだから、顕在意識で生きているとぜーんぜん気付かない。全く気づかないのだ。

その思い込みが語った存在理由。
それは。

・人は苦難の中でしか成長しない。成長し続けたいから幸せになっちゃダメ。
・自分は幸せになる価値なんてないから。
・幸せになると他人が妬み壊しにくる。
・ワタシが幸せでいると親は喜ばない。
・不幸なほうが他人はかまってくれる。
・幸せにしていると手抜きできない。

こうやって文字にすると「んなアホな~(笑)」的な理由なんだが(顕在意識下ではアホくさい理由)、ワタシはコレが真実だと潜在意識の中で信じて疑わなかった。

多分子供の頃や大人になるまでの過程の中で知った知識、経験したことを自分なりに解釈して「これが真実」と受け取ったからこそなんだと思う。
例えば「親は私の幸せを喜ばない」という理由は完全な思い込みであることを、今のワタシなら説明できる。
自分がみていた親の姿なんて断片でしかない。子供の親への無条件の愛から、親が不幸な側面を見せたときに「私が親より不幸になってあげないと…」という犠牲的な思いにかられることもよく聞く。
(今でもそうだが)自分の幸せを親に伝えると「よかったなー」の一言で済まされ、逆に困ったことや悩んでることになると親は饒舌になる。それを幼ければ「親は私の幸せを喜ばない」と謝って認識→思い込むかもしれない(事実自分はそうだった)。
でも実際に親は喜んでいない訳ではなくて、喜びの共感方法を知らないだけかもしれない。親だから困っているときのほうが助けたい一心で饒舌になるのかもしれない。

だけど。
幼い意識下ではそういう事情をわからないまま。「親は私の幸せを喜ばない」と解釈、そして耐えがたき事実として潜在意識に沈めてしまった。子供にとって親から愛されていない、という事実は耐えられない。だから傷つかないように傷すらも隠す。どこに?。潜在意識に。

潜在意識に沈められた思い込みは年月が過ぎれば過ぎるほど、表在化が困難となる。だから今みると「アホくさく幼稚な思い込み」であるんだが。親に愛されたくて、嫌われたくなくて。そのために潜在的に幸せをわざと遠ざけようとするようになる。

ワタシのケースであれば。
欲しいものを極端に我慢する。
これが結構あったんだ…今まで。店頭で「かわいい♪」「これ欲しい!!」と思ってもなかなかレジに持っていけなかった。アタマの中では「他に安い店あるかも」とか「もっとええものあるかも」といった、一見前向きな思考が始まるんだけど再び探すことは皆無。結局買わないのだ…。
たとえ買えたとしても罪悪感がヒョコヒョコ出てくる。「もっと安くであったかもしれないのに…」「無駄遣いだったかも」と。
物を購入するというのは、それを自分のものにしたときの喜びや使うことによる満足感を得るための行動でもある。そういった幸せを「無意識に」妨害しようとしてきた。

健康にいいから、と始めたことがなぜか続かない。
自己肯定感が向上するから、と始めたことも続かない。
なぜか自分を粗末にする男性に惹かれた時期もあった。
過度に緊張するような思考にとりつかれたり。
楽しく過ごしていたら、過去の失敗や悲しいことが無意味にフラッシュバックする・・・。

そういう行動全てが「ワタシが幸せになると親は喜ばない。嫌われたくない、愛されたい。だから幸せにならないように頑張ろう」という目標のもとにやっていると言えば。すべて納得する。腑に落ちる。
まさに引き寄せてきたのだ、「幸せになってはいけない」という人生を。
思い込みの通りの「幸せにならない」人生が叶ってきたのだ。
いくら顕在意識で「幸せになるぞーっ!!」と思っていても、潜在意識がこんな状態であれば叶えることは困難極まりない。

おそるべし、思い込み。
おそるべし潜在意識。
顕在意識では気づかないから余計に。

「親に嫌われるから」という思い込み以外にも、前述したいくつかの理由が最強タッグを結成していたからそりゃもう凄まじい勢いがあるんですね。たとえば「ワタシは幸せになる価値はない」なんて理由は、自己肯定感が低いからこそだし。その極端な低さは子供の頃に受けてきたいじめの傷が癒えてないことが大きな要因だったり(それも実は思い込みが大半)。自分でわざわざ幸せ壊しに行く不思議な行動とっても仕方はない。理由もなしに自分を責めたり恐れを煽りに煽っていても仕方ない。
逆を言えば、ここまで総戦力でよってたかってやらないといけないぐらい、ホンマの自分には幸せになる能力が備わっている。という見方も出来るんですけどね。

幸せを感じられず、絶望の中で生きている。
そんな人生を作ってきたのにもちゃんと理由がありました。
人間、原因がわかれば楽になります。
ここまで自分の内側をみれたのであれば、あとは「それ違うでー。ただの思い込み。ホンマはな・・・」と思いこみを再インストールすること。
そして「ワタシは幸せになってもええんやなぁ」と自分に許しを与えること。
ものすごく簡単なことだけど、とおまわりしたり寄り道したり時には諦めたりしながら、今ようやくたどり着いた地点です。

「どんな感情にもメリットはある」
「向き合いたくない感情ほど宝物をもっている」
「本当の答えは自分の中に必ず存在している」
ワタシが数年前コーチングを受けたときにコーチに聞いて、以来自分の友としている言葉です。
この言葉たちも思い込みのひとつにすぎないのかもしれないけど。
それでも今日この場所まで伴走してくれた言葉ですわ。

随分長くなりました、最後まで読んで頂きありがとうございますm(__)m。

答えは自分の中に必ず存在する・前編

2011-12-19 08:57:52 | 徒然なる日々
今日はココロの話を書いてみようかと。

「ザ・シークレット」の発売前後から、日本でも「引き寄せの法則」関連の本が発売されていますね~。
内在化したものが現実として表在化する。
それをワタシもよく体験していますわ。
最近では「思い込みを変えれば幸せになれる」系の本もチョイチョイ増えてきたように思う。
コチラのほうがスピリチュアル色が少なくて、受け入れられる層も多くなるかな?。
どちらも根底では同じ、幸せも不幸せも自分の内側に舵取り棒が存在している、ということ。

願えば叶う、というのは真実だと自分の人生経験からなんとなーく感じる。
ワタシもいろんな書籍を読み漁り、いろんな情報をかき集めてふるいにかけては実践。
しかし「これだけ願ってるし努力もしているし、手に入ったことをイメージしているのになんで叶わない?」と
悩んだこともありました。
その答えが「潜在意識」にある、ということもいろんな知識から知ってはいたものの
なかなかそのターゲットに接触出来なくて悶々としたり。

ところがここ数年でいろんな形で取り組んだ結果、
人生を作るの核である「潜在意識」に随分スムーズに触れることが出来るようになりました。
(いや、決して怪しいことにお金を注いだ訳ではないんですよ。ごく普通の生活の中でごく普通のことをやり続けただけのハナシであって。このへんは長くなるのでこれはまた別の機会に)。
すると「願っても叶わない」のは当たり前なんやな~、と腑に落ちることが沢山あったのです。

人は誰でも「幸せになりたい」と願う。
ワタシも例外なく願って生きてきた。
でもなぜか幸せになれない。
もっと具体的な言い方をすれば、「幸せを感じられない」のだ。
特に産後はその想いにとりつかれていて、ただひたすらゴールの見えないぬかるみの中を絶望を抱えて歩いている。
そんな毎日だった。
名作「ネバーエンディング・ストーリー」の中で主人公が『悲しみの沼』を歩いているシーンがあるんだけど
まさにあの場面そのものの中に自分がいるような。
ときどき友人と飲みにいったり遊んだり、プロレス観戦をして楽しい夜を過ごしても
なぜかすぐに「あー楽しかった」という感情が消えてしまい、また元の泥土を歩くような雰囲気になる。
幸せを願っても願っても、たとえ手にしたとしても、掌から砂がこぼれおちてしまうような。
ここ数年はそんな苦しみの中にいたことは事実。

でも。ポロリと殻が気持ち良く剥けたように。
ある日気づいた。

「ワタシは本心から自分の幸せを願っていない。
 むしろ幸せになることを強く強く拒んでいる。
 あえて不幸でいなければいけない、と願っている。
 それを実践しているだけだ。」

アホちゃうかーこの子!!。と笑われるかもしれんのやが、それがワタシの潜在意識から出た答えだった。
その答えだけでなく、この想いがワタシの中で真実として長年鎮座し、揺るぎない地位を確立してきた理由も一緒に表れてきて。ワタシはものすごーく腑に落ちた。
ナルホド、だからワタシはいつまでたっても幸せを感じることが出来なかったのか、と。


         (長くなるので後編につづく)

青空によく似合う

2011-12-09 21:57:07 | 徒然なる日々
先日「横浜でイチョウがきれいに色づいてるよ。行かない?」と相方に誘われて、家族で出掛けてきました。



今年はイチョウの色づきは遅い、とテレビで言ってたけど、なかなかキレイに色づいていましたよ♪。
(写真手前のほうは、まだそれほど黄色くなかったんですけど。)
快晴の空によく映えるんだなぁ、黄色く色づいたイチョウって。
相方オススメのこの通りは、電線が無いので空がとても広く感じてこれまた見事でした。
日曜日だったせいか、座って絵を描いている人がチラホラいましたね。
そう言えば何年か前に外苑前のイチョウ並木を見に行ったけど
あの場所も見事だったなぁ~。

色づいたイチョウをみるたびに「ああ本格的に冬が始まるなぁ」と毎年実感します。
冷え症にはツライ季節だけど(涙)。
すっかり遠い故郷になってしまったけれど、毎年御堂筋のイチョウで冬を感じてた時期もありました。
桜に年齢分だけ思い出があるように、イチョウにもいろんな過去の感情を呼び起こされる…。
歳とったんやなーワタシ。

舞い落ちる黄色い葉の下を、元気に走り回るチビ助の姿。
それもイチョウと共に記憶に刻まれていく。
平凡な週末だけど、有難いかもしれない。
今年は特にそう思わされた年でしたね…。

ミーハーも骨の髄まで

2011-12-08 13:57:00 | ハマリもの
週末、行ってきちゃいました。



全日本男子バレーボールW杯観戦。

ええ、また復活したんですよ男子パレーボール熱が。急に。
思い起こせば、2008年世界最終予選で16年ぶりにオリンピック出場を決めたあの試合。
伝説の植田監督大の字倒れのアレですよ、アレ。
あの試合を旅先の屋久島の宿で観てから、あの夏はどっぷりと男子バレーボールにハマったのでした。
しかし妊娠して尋常じゃないつわりに苦しめられて、北京オリンピックの試合はほとんど観れんかったなぁ。

あれから3年。
育児や家事に追われてすっかりバレーボールのことなんて忘れてたのですが。
先日たまたまつけたテレビで観て、再燃とはこのこと!!。
毒食らわば皿まで。ミーハーも骨の髄まで。
とうとう人生初のパレーボール観戦に赴いてしまった訳です。
この節操の無さ、ノーフィアー状態。

んな訳で国立代々木競技場ヘ。
意外なことに初めて行く体育館でして、プロレスもよくやってるんだけど行ったことなかったよなぁ。

若いお嬢さんのお客さんばかりかな?、と思ってたら、お客さんいろいろ。
若い男の子、年配のご夫婦やら子供、果ては赤ちゃん連れ。
対戦相手のブラジルの方々も沢山来てました。
さすがに女子トイレ長蛇の列でしたが。
一時期ジャニーズが試合前に踊ってましたが、あのときはチケットなかっただろーなー。

試合開始1時間前に会場到着。自由席2000円を購入し会場入り。
それでもスタンド2階の前から5列目中央寄りに座れました。
多分ひとり観戦だったから座りやすかったのかも…。
試合開始時にはお客さん9割は入ってたかな。

試合はブラジル相手に頑張ってましたが、ストレート負け。
当たり前の話だけど、テレビでみるほうがよく見えます。
じゃあなんでわざわざ生観戦かというと、やっぱ雰囲気味わいたかったんよね~。

プロレス観戦は数あれど、ナショナルチームの試合ってどのジャンルでも観戦経験がなく。
ましてバレーボールってどんな雰囲気で試合してるのか、気になってました。

試合始まってみると、一番ビックリしたのはテレビで観るよりコートが狭く感じること。
あれだけデカイお兄さんたちがいるせいかな、
こんな狭いコートで闘ってるのかー、と感心しました。

そして、会場来てる人ってやっぱり心底バレーボール好きなんですねぇ。
「キャーッ!!」と奇声をあげて選手をアイドルかのように応援するおねぇちゃんたちもいれば
応援団がガンガン声援を送って盛り上げたり
(一度「ニッポン!!チャチャチャ!!」をやってみたかったのだ…)
いろいろ解説してる人もいたり。
試合前には応援団から選手ひとりひとりの応援の仕方(ひとりひとりお約束がある!)の前説があったり。
(このへんはメジャースポーツならでは?。)

テレビでは放送されないけど、試合前や後には選手たちはこんなことしてるのかー。
といった発見があったり。
コートの上を拭き拭きする人たちの職人のような仕事っぷりに感動してみたり。
そんな驚きや感動がいろいろあって、初の生観戦は行って良かった♪。

全バレーボールファンからタコ殴りにされそうなんですが…。
試合開始前からかなりの時間、植田監督ガン見モードでしたワタシ。
ええ、相変わらずどストライクで好きなんっすよ。
好みが服来て歩いてる、ちゅー感じで (汗)。
双眼鏡片手に穴開くんじゃないかと思うほど、見つめてしまいましたわい。
ナマ監督、カッコよかったよぉぉ♪。


あとこれはプロレスヲタクの戯言↓。
自由席2000円という金額は驚愕でした。
野球もそうだけど、低価で生観戦が出来る席がちゃんとある。
プロレスだって魅力的なジャンルだけど、チケット代が決して安くない。
メジャースポーツと比較すること自体おかしいのかもしれんのだが
もう少し門戸を広げて子供や初心者が観戦に足を運べるようになってくれれば、と。
だって生観戦は説得力あるんよ。どんなジャンルでも。
そうすればファンの裾野も広がりやすくなるのに…。
今のプロレスはいい試合を繰り広げているんだからさ。

今年の御褒美

2011-12-02 12:03:56 | グッジョブ!
買っちゃいましたよ~Panasonicの頭皮エステ。

        

散々テレビでやってて気にはなっていたのですが
一度店頭で試してみたら「おおっ!!こりゃ気持ちいいではないかぁー」とウットリ。
ここ数年四十路前のせいか、髪の毛が随分傷んでました。
去年まで授乳していたから「うんうん、きっと母乳に栄養とられているせいよ♪」なんて
気楽に考えていたのですが。
断乳後もぜんぜーんパサつきが治らない…。
この乾燥シーズンも手伝って、ヘアケア商品使ってもなかなか潤わないし。
髪の毛がパサつくと、なんか老けて見えるのはワタシだけ??。

きっと頭皮自体にも問題があるんじゃないか、と感じていたので
ちょうどいい、コレ使って元気に髪の毛に戻りたい~と思っていました。
これまたちょうどいいことに、相方からボーナスでたからとお小遣いをもらいまして
(ありがとうございます、感謝感謝)
これはきっと神様が「買いなはれ~」と言ってくれてるんだと思い込んで購入。
頭皮ケアに勤しんでいます。

使ってみての感想なんですが。

シャンプーしながら使うんですけど、キモチいいですわ~♪。
最初はLOWで使ってたけど、洗髪後にかゆみが多少残ってたので最近はHIGHで使用。
指でここまで丁寧に洗わないもんなぁ。
ただシャンプーがだらだら顔に垂れてくるので、目が開けれません。

効果は頭皮ケアなんで半年ぐらい先かな?、なんて思ってたら
チョットだけ髪が柔らかくなってきました。
今までワタシの洗い方が相当雑だったのかも(汗)。

店員さんに「頭皮だけでなく顔のリフトアップも出来る」と聞いたけど
コチラも半年ぐらい使わないとわからんかなぁー。

でもお風呂でリラックスするにはいいアイテムだと思います。
子供に壊されないよう注意は必要ですが、我が家の場合。
あと使用後は必ず洗って拭いて乾燥を、と取説に書いてあるのですが
ついつい忘れて風呂場に置きっぱなしにしがち。
お風呂から出ると子供の世話に追われるから忘れるんよなぁ。
子供より先に頭皮エステを出しておかねば。

効果も楽しみなんだけど、
こういう美容器具を使っているとキレイになろうと取り組む気持ちが出てきて
ソッチのほうがなんか嬉しい。
いろいろ追われていると、キレイをおざなりにしてしまい、
気付いたら全然ファンデーション減ってないとかあるし。
いくつになっても気持ちは持っていたいもんです。