庄司卓完全攻略ブログ

作家庄司卓のブログです。
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『ギルティクラウン』第22話

2012年03月27日 23時34分16秒 | Anime・特撮
「大作の魔法」という言葉があります。金と時間を掛ければ売れるだろうという事ですが、実際にはそれは金と時間を掛けたのだから売れないと困るという願望に過ぎないわけです。同じように「アイディアの魔法」という言葉もありそうです。これだけアイディアをつぎ込んだのだからヒットするはず。アイディアのどこかに必ず誰かが引っかかるはずと考えるわけですが、アイディアを惜しげもなくつぎ込んでも整理ができてなければ、あちこちで渋滞を起こしてどこを見ていいのか分からなくなり、パッとしない結果に終わる。
これが「アイディアの魔法」。かくいう私も同じような経験は多々ありますな(^^;。

『ギルティクラウン』の問題点は大きく三つに分けられると思うのですよ。
「色々と要素を入れすぎて視点が曖昧になった」=アイディアの魔法
「主人公の集が最後まで誰かの思惑で動くだけのキャラだった」
「集とライバルの涯の行動が、作品の主なるテーマと乖離していた」

結局、集は涯なり嘘界なりの策略、思惑で動かされていたわけで、いのりを助けるという決心さえも、賭けと言いつつも涯はそうなる事を予想していたわけですからね。
最後の最後「みんなのアポカリプスウィルス=罪を自分が背負う」という集の決心すら、いのりが身代わりになってしまう。
ラストシーン、腕と視覚を失った集は、何か満足した表情でいのりの歌に聴き入りますが、その笑顔は何かをやり遂げた達成感よりは、ヴォイドゲノムを失い、桜満クロスの息子という立場からも解放され、もう誰からも利用されなくなった事への開放感、安堵感にも思えました。
この作品「クロス、集の桜満親子に対する茎道、涯の嫉妬と羨望」が一つの軸になっているんですな。しかし茎道に対するクロスもそうでしたが、集も涯がなぜ自分を羨望してるのかを理解しませんでしたねえ。まぁそれは視聴者の方もそうなのですが(^^;。
その辺の並外れた(笑)鈍感さも集という主人公の問題点かな。

で、涯が集を羨望している理由が「淘汰」。
実験施設でモルモットとして扱われた涯は常に淘汰される恐怖と戦い続けていたと。
その涯が秘密結社ダアトが計画する「アポカリプスウィルスで人間の意識を結晶に封じ込め、自然淘汰ではない人の心が介在する進化」に心引かれるのは実に理解できます。涯は淘汰される恐怖から解放されるわけですから。
でも最後の戦いで涯はその理想を実現する為に集と戦うのではなく、真名を救う為に戦うわけで、必ずしもダアトの目的に賛同していたわけでもないようです。
しかし涯は涯なりに理想を求め、それが実現すればすべては正当化されると思っていたのならば、そこに至るまでの行動は理解できなくもないのですが、復活以降の行動が真名を救う為ならば、かつての仲間や無関係の市民、生徒を犠牲にしても良いという事になり、これもいささか釈然としませんねえ(;´Д`)。
涯は結晶化世界が訪れればアポカリプスウィルスで死んだ人間はすべて結晶の中で再生すると信じて、最終決戦で集のヴォイドをガンガン破壊していき「仲間と会いたければ俺に協力しろ、集!」と決断を求める展開なら面白かったのですが。さらには結晶を介して祭が呼びかけてきたりするとか。
まあどちらにせよ銃撃で死んだ大雲や供奉院老は、無駄死にですが(;´Д`)。
最後の集と涯の戦いは、上に書いた三つの問題が集約されており、良くも悪くも(?)『ギルティクラウン』という作品を象徴したシーンでした。

ラストシーン、ふゅーねるが二体あり、子供(!)らしきミニロボが居た時、一瞬、集といのりの意識は結晶化してふゅーねるに収められたのかなとも思ったのですが。
結局いのりは消えたままなんですかねえ。

本当、各パーツは悪くないだけに、もうちょっと構成が何とかなっていればと思います。
一時間半くらいの映画でまとめれば案外化けるかも知れませんね。

まぁでも最終回おっぱいは盛大に揺れていたよね!(それかい(^^;)。

2 コメント

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残念な終わりになってしまいましたねぇ (nisi)
2012-03-28 08:17:05
涯が「マナを解放するためには第4次ロストクリスマスを発現するしかない」という動機も目的もさっぱりわかりませんでした。
涯、操られてなかったんですね。
また、「前のお前なら新しいアダムをまかせてもよかった」みたいな事を言いますが、前と後とどう違うの?、という感じが否めません。
結果「お前は祈りを助けろ」ってマナの為に今回の騒動を引き起こしたのではないですか?
集はあくまでも、リアクションで動いているので、涯の行動に一貫性が無いと、ストーリーがこんなにも訳がわからん事になってしまいましたね。
最終回というだけあって
・集VS涯
・綾瀬VSダリルのロボ戦
・猫耳っ娘VS元囚人の電子戦
が並行して描かれるのはなかなか良かったのですけれど、葬儀社ってなんだったのかな、アルゴさん。
ラスト、集のスケジュールを綾瀬が周知しているのは、付き合っているフラグなのでしょうか。
(アイデアも)捨てる技術が大事? (Unknown)
2012-04-01 01:29:44
本文興味深かったです。

マナが、いかにも歌いだしそうなアイドルチックな衣装で現れたと思ったらいきなりオペラが流れ出して(;゜д゜)ポカーン なあのシーンや、そもそも日本消滅とか言い出してた連中がより事態が切迫してるあの状況でチンタラ上陸部隊を繰り出してくるとかなんつー接待。核攻撃すりゃなんとかなったんじゃねw

とか不毛な重箱の隅つつきに終始する始末で本文で書かれているようなことは思いつきませんでした。

結局まとめもカタルシスを満足に得られるようなものではなかったですし設定は物語に奉仕するとはいえ、細かい(が多い)粗が気になる作品でした。

いやーラジオを面白かったんですが。

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