DREAM/ING 111

私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

優先順位・その3

2008-05-02 | 日記/備忘録/独り言/その他
優先順位・その1
優先順位・その2

日本の原爆、その他日本人の不幸のために憤ってくれる多くの海外の存在があると思う。同じようにチベットや、中国国内やそのほかの人権問題を、自らの痛みとして感じる、それができることが人間の素晴らしさだと思う。
ただ、自分の器以上に他者のために、私は活動はできないなぁ、と、様々な場面で自分の器の小ささ(当然ながら経済面・精神面・肉対面・時間的余裕面含めて)を思い知ることも多い。
以前はそれでかえってなにもできなかった。今は自分も含めて、できることをできる人ができる時にできるだけやればいい、と思うようになりました(その2で書いたようにPTAや地域活動も同じスタンスです)。

このブログでも何度か触れたことがありますが、原発関係の抗議活動に賛同して募金をしたことで、活動者名簿に名前が乗ったことがあります。その時、実感したのは活動にはものすごくお金がかかるということだった。毎月活動報告とともに送られてくる寄付関係の依頼。地元で活動できない限り、できるのはその活動を支援することしかなく、それは結局はエールや気持ちももちろん大切なのだけれど、最終的に形になるのは&一番必要とされたのは、遠距離者には寄付だった。それもある程度まとまった金額を継続的に。

そう、あることのために本気で活動するのなら
継続することがなにより重要なのだと思い知った。

結局、それが続かず1年あまりで活動を辞退することになった。息子の出産と直後の3ヶ月に渡る入院などもあって、正直生活的にすべての面で余裕がなくなった。
そして、本当に気持ちの面では抗議支持者だけれど、(自分的に)活動から脱落してしまったことで、かえって発言権を失ったような気になって、距離を置いた時期もありました。

今は、関連情報に気がついたら必ず目を通す。で、イベントにであったらその場限りではあるが署名協力、ささやかな募金もするようにしている。ずっと頑張っておられる皆様には頭を下げながら。

ここからはまた視点をかえて。

このブログは私の外部記憶装置なので、様々な抗議に関しても、自分の記録として思ったことを書いている。だからその抗議活動そのものに疑問を持てば、それも思ったまま書く。抗議だけでなく、トラブル解決にはいろいろな意見、いろいろな視点が重要だと思っている。多角的思考、複眼視野、それはもうずっとずっと、私のスタンスであり、このブログでなるもにあにも科した課題だから。

もともとがコミュニティ感覚が苦手で、馴れ合いやそれにつきまとう身内感覚の妙な甘えやこびや依存、意味不明な仲良しヒエラルキーが大嫌い!!!ということはもうこのブログでは腐るほど書いてきた。その過去理由・現在理由も。
「団結力」「協働力」等々の数のダイナイズムの重要性は理解しているし、(向かう対象によるけれど)一緒に盛り上がれるお祭り騒ぎは大好き。
けれど集団化した「もの」にありがちな他者排斥、村八分的感覚、その他がもうものすごく嫌いなのだ。
・・・だから今の中国がもうものすごく苦手なわけですが。

複眼化して、問題が多面的に分解されだすと、問題解決の求心力は奪われる。だから急務の場合、多少強引で多少矛盾があっても、行動してしまう、というのもまた「あり」だとは思う。あくまで実務レベルとして。
ただ、やっぱりそのことについても、多面的に考えたいとは願う、というか上から、下から、裏側からも見てみたい、と思う。私自身に求心性は必要はないので。そういう急進的&求心的な活動は、それができる方(したい方)にお任せします。

私は、人に認めてもらうため、自分は絶対正しいというため、誰かに勝つため・・・その他の他者依存型自我強化手段として、記事を書いているのではない(つもり)ので。逆に知りたい、学びたい、という気持ちは明確に存在する。だから常に自分より優れたスキル、情報力に出会うことを願っている。
負けず嫌いだから&オバカだから、わからないまま&納得できないままスルーはできないので、食い下がる時もあるし、反論も多いけれど、相手が「すごい!」と思ったら心から尊敬するし信頼もする。そういう単純なヤツだと思っています。
でもって、自分で自分を量りたいというか、自分に対し「お前ってなんぼのもん?」「器ちいせぇ」とか思いながら・つっこみいれながら、それでもなるべく思ったままを記事にしていくのが身の丈だな、と。そういう自分の行為や考え方に興味があってブログをやってるんだな、と思います。

・・・他者批判をしなければ自分の正しさを証明できない、そんなレベルもあるだろと思うし、誰かに褒められたいから記事を書く、そういうのも含めて、ブログでは、思ったことを書く行為は自己責任において自由だと思う。

と、そんなことを確認する、結局チベット問題もまた私には最終的な&本質的な部分で、自分確認の手段だということがわかるわけで。んなこと書くと、人権派の方にはバッシングされそうですが。
個人の人権と多くの人権の関係もまた難しい、などと今思った。大勢が個人に優先する(したほうがよい)場合もあれば、その逆もある。ただ、個人は“その人”1人しかいなくて、その存在が消えればその個人にとっての世界もまた消える。とシンプルに思いますです。

だから自分に、自分の大切なものに余裕がなければ
チベットについてこんな風に記事にはしなかったかもしれない。
(記事にするかしないか、には意味は持たせていません。
2で書いたように、ブログの外で実活動されている方も多いでしょうし、
たとえば寄付やリレー観戦していても、
ブログにはわざわざ書かないブロガーも多いと思うから)

チベットに友人がいれば、また活動内容は全然異なるだろう。
活動家が友人だったら活動参加している可能性も大きい。
そういうのもまた出会いと縁とタイミングがあると思う。
役割分担として。

今回、チベットに関心をもったのは、チャイナフリー・毒餃子からの流れで
北京オリンピックに疑問を持っていた時に、
私が尊敬するブロガーのところで
チベット関係の虐待のアーティクルを拝見したからで
(チベットへの虐待は以前も動画等で知ってはいましたが)
もし、そのアーティクルに出会わなければ、
両方の抗議活動に対してよりマイナス印象だったかもしれない。
(日本、チベット、中国と並べた時、やはり日本を優先するヤツなので)

そう。やっぱりそんな自分最優先な人間なんだな、私は。
で、今のところそれでいいと思っています。

・・・私のような考え方の人間(抗議方法に疑問を持つこともある)は「チベットを支援する権利がない」とチベットの方や関係者に言われたら了解しますが、そうでなければ、フリーチベットを支持したいです。
そして私はチベット支持の最低限は、チベットについてブログに書き続けることだと思っていますが、この方法でなければダメという方法論での優先順位があるのなら教えて下さい。


戯言おしまい。
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