本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

「聖女の如き高瀬露」(50p~53p)

2015-12-23 08:00:00 | 「聖女の如き高瀬露」
                   《高瀬露は〈悪女〉などでは決してない》







              〈 高瀬露と賢治の間の真実を探った『宮澤賢治と高瀬露』所収〉
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*****************************なお、以下は本日投稿分のテキスト形式版である。****************************
治宇宙』の件の記載内容はまず間違いないと判断できる。したがって、千葉恭は時に下根子桜に確かに来ていたということを平來作は正しく証言していたことになるだろう。
吉田 だからこそ、この「新発見の252c〔高瀬露あて〕」を活字にして公にしようとした筑摩は、これに対応する露からの賢治宛来簡を見つけ出すなどして、その裏付けを取る最大限の努力をせねばならなかったのだ。
 しかるに現時点でもこの出版社は、賢治に来た書簡はいまだ一切載せておらず、賢治が出した書簡ばかりを載せている。しかも、来簡を一切載せていないというのにかかわらず、賢治の書いた書簡下書、手紙の反古さえも載せている。これはあまりにも不公平なことだ。
荒木 そりゃそうだよ。賢治からの往簡だけではその書簡の内容の信頼性は担保されているとは言い難い。まして反古であればなおさらにだべ。
鈴木 だから不思議なんだよな。あれだけの膨大な全集をあの出版社は何度も出版しているのに、
  なぜ賢治宛来簡が一通も公になっていないのか。
という大問題について、私の知る限り同社出版の全集のどこを開いて見ても全く論じられていない。一体この大問題を同出版社は究明する気があるのだろうか。また、関係者も同様にだ。
荒木 そうなのか、俺はついつい「書簡集」には往簡も来簡もどちらも載っているものとばかり思ってた。来簡が一通も存在しないというのは極めて不自然だべ。
吉田 確かにある雑誌に、著名な賢治研究家の『来簡があるのは公然の秘密みたいな((註八))云々』という発言が載ってたな。とはいえ、賢治宛来簡は何らかの事故があって一切なくなってしまったというのならばそれはそれでやむを得ないとことだと僕は思う。しかしあれだけの膨大な『校本全集』を二度にわたって出しているのだから、それならばそのことについて究明した論考や納得のいく説明を『同全集』に載せてしかるべきだ。
荒木 そうだよな。来簡があるならば公開すべきだ。そうしないと、賢治からの往簡やその下書だけが公開されたことによっ不利益を受けた人も当然いたべ。
 実際、「露あてであることが判然としている」と言い切って〔252c〕などの「書簡下書」が公にされたがために露はすこぶる不利益を被っているのだから。
鈴木 したがって、先ほど荒木が挙げた(1)や(2)に関してはそれを裏付けるものを当事者は提示すべきだし、もしそれができなければ、こんな書簡の反古など公開するなと私は抗議したい。あまりにもアンフェアな行為だし、安易だ。
吉田 はっきり言って、〝一連の「書簡下書」〟を露宛のものであるなどとかたってその根拠も理由も明示せずに安易に活字にした筑摩の出版行為は詐欺行為みたいなものだ。
鈴木 おいおい、流石にそれは言い過ぎだよ。
吉田 いや、少なくとも僕はそう思っている。露にはもはや為す術がないのだから……
鈴木 では次に行くとするか? 私は次のような、
 その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。慶吾さんにきいてごらんなさい。それがいま女の人から手紙さえ貰ひたくないといふのはたゞたゞ父母への遠慮です。
という賢治の発言部分にも看過できない問題点があるということを言いたい。この部分からは、賢治が下根子桜にいた当時のことについて、
 私(賢治)には品行上でいろいろな事があった。それも女性問題でもだ。わたしは買い被られているだけで、それが疑問だと思うならば慶吾はそのいろいろな事を知っているから訊いてみるといい。いまは、女性問題のことでもう両親を苦しませたくないのです。
と書簡の相手に対して告白しているとも読み取れる。
 ということになれば、この時の書簡の相手とは露でない女性であろうと考えられる。なぜなら、その頃の出来事についてはしばしば賢治の所に出入りしていた露なのだからかなりの程度のことは知っていただろうし、露と慶吾は以前から懇意だったのだから、慶吾からある程度のことを露は聞き知っていたと考えた方が自然だと思えるからだ。
 また一方で、当時下根子桜に出入りしていた女性としては露以外にもいるという関登久也の証言「協会を訪れる人の中には、何人かの女性もあり((註九))」や、賢治の教え子の簡 悟の似たような内容の証言( (註十))もあるからだ。
 そうすると、そのような露に対して、このような状況下にあったとも考えられる賢治がこのような手紙を書こうなどとすることはあまり考えられず、その相手は少なくとも露以外の女性だと考える方が妥当だろう。
吉田 僕は、この〔改訂 252c〕については時期的な点での疑問もある。それは、次の
 あなたが根子へ二度目においでになったとき私が『もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、』と申しあげたのが重々私の無考でした。…(略)…今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。
におけるものだ。
 例えば、この中の「あなたが根子へ二度目においでになったとき」とは、もしこれが露宛のものだとすれば、露が二度目に下根子桜を訪れた時期は大正15年頃のことであることはほぼ間違いない。ところが賢治はよりによってその頃の出来事を、それから約3年以上も経った昭和4年末にまたぞろほっくり返したということになる。
鈴木 そうだよな。「今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになった」の部分に注目すれば、下根子桜に出入りしていた露がその頃に「三べんも」寄越したことになる写真の話を、同じような長期間を経てこれまた昭和4年末になって再び持ち出して、この期に及んで「あゝいふことは絶対なすってはいけません」というように手紙で賢治が諭したということになるのだが、そんな間延びしたことが果たしてあり得るか?
吉田 下根子桜であれだけ世話になった露に対して、かなり時間が経ってしまった昭和4年末になってから弁解がましく言い訳をし、しかも最後にしれっとして、「あゝいふことは絶対なすってはいけません」というようなお為ごかしみたいなことなどは、僕には絶対言えん。
荒木 そう言われてみると、時期的、時間的な無理があるということがよくわかった。だからそんな無理な解釈、つまり〔252c〕は露宛のものだというよりは、少なくとも露を除いた女性であると解釈した方がはるかに説得力があるべ。
鈴木 とすれば我々三人の結論は、〔252c〕の相手の女性は露以外の女性である可能性が大である、だ。また、〝一連の「露宛書簡下書」〟はいずれもこの〔252c〕を基にしてさらに推定されたものであるから、「新発見」と言うところの〔252c〕を含む〝一連の「書簡下書」〟の宛先は露以外の女性である可能性が大である、ということでいいよな。
吉田 ということだ。
荒木 それからいま俺は思ったのだが、さっき吉田が取り上げた部分と一部重複するけど、「あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)…(略)…その前後に申しあげた話をお考へください」の部分は、他にも問題を孕んでいる。
 例えば、もしこの内容が事実だったとすれば、この女性が下根子桜に来た2回目で賢治は早くも「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども」ということを軽はずみに言ってしまったことになるからだ。
吉田 だから、この賢治の発言がもし事実であったとしたならばそれは取り返しのつかない一言となっただろうな。そしてその続きの弁解の仕方だって言い方がきついが、「さもしい」と言えなくもない。
荒木 確かにそれはきついな。とはいえ、だからこそ思うのだ、もしかするとこの〔252c〕はやっぱり賢治が書いたものではないと、偽造だとまではもう言わないけれども。
 だってさ、さっき俺は「露にとっては分が悪いところが少なくない」と言ったけど、もしこれが正真正銘賢治が書いたものだとすれば、それどころか遙かに賢治の方が分が悪いことになるだろう。
吉田 これはまずい。僕もいつの間にか荒木の考えがもしかするとあり得るかなと思い始めている。いやいや、…でもそれはないな。この時賢治が下書に書いた内容は事実だったのだ。だからこそ賢治は父政次郎から厳しい叱責を受けたのだと、こう考えれば辻褄が合う。
荒木 う……よっしゃ。もはや事ここに至ってしまっては俺も腹を括るしかない。俺が、賢治が書いたものではないかもしれないなどとつい妄想してしまうのは、俺が抱いている賢治像を基にして考えているからだ。これからは、このような分の悪いこともあるのが賢治だと思えばいいのだ。うん。
鈴木 どうやらこうしてみると、〔252c〕にはあまりにもいろいろな問題点や疑問点が多すぎるから、現時点では賢治の伝記研究上では資料たり得ない。これに対応する露からの賢治宛書簡等の客観的な資料が見つかったりしたならばその時には資料になり得るかもしれないが。
荒木 だから俺たちの現時点での結論はこうだ、
〔252c〕を含む〝一連の「書簡下書」〟にはあまりにもいろいろな問題点や疑問点が多すぎて、信頼性に著しく欠けているので今回の検証における資料としては使えない。
吉田 裏返せば、〔252c〕は「内容的に高瀬あてであることが判然としている」と言われても、どこが判然としているのかそれが全く判然としない、と結論せざるを得ないといううことだ。
鈴木 それでは、これで〝一連の「書簡下書」〟についての検討はほぼ終えたのでまとめに入ろうか。
吉田 いや一言だけ、それは従前の「不6」、つまり〝252c下書(十六)〟についてだ。その中に
 なぜならさういふことは顔へ縞ができても変り脚が片方になっても変り厭きても変りもっと面白いこと美しいことができても変りそれから死ねばできなくなり牢へ入ればできなくなり病気でも出来なくなり、ははは、世間の手前でもできなくなるで((ママ))す。大いにしっかり運命をご開柘( (ママ))なさいまし。
<『新校本全集第十五巻 書簡校異篇』(筑摩書房)146pより>
という箇所があるが、賢治が「牢へ入ればできなくなり病気でも出来なくなり、ははは、世間の手前でもできなくなる」などということを普通言うか? 「…ははは、…」と。
鈴木 そうなんだよな、私も気になっていたところだ。後でまた話題にせねばならぬところだが、まるで昭和7年の中舘武左衛門宛書簡下書〔422a〕中の猛烈な皮肉「呵々。妄言多謝」を彷彿とさせる。まさかこんな言い方を賢治がするとはな。
 「新発見」と嘯いたことの意味と罪
 では、〝一連の「書簡下書」〟について振り返って見たい。
◇「新発見書簡下書」仮説の反例とならず
鈴木 それではそろそろ、〝一連の「書簡下書」〟のまとめに入っていいかな。
荒木 それは俺に任せろ。
 え~とだな、昭和52年発行の『校本全集第十四巻』は、
「新発見」の「書簡下書」がいくつかあり、その中の4通については〔露あて〕と思われるものもがあった。
→とりわけその中の1通は露宛のものであることが判然としていると判断した。そこでその1通に〔252c〕という番号を付けた。
→同時に見つかった他の3通もこれと関連があるので〔露あて〕のものと推定し、〔252b〕などの番号を付けた。
→従前の「不5」も〔252c〕にかなり関連しているのでこれも〔露あて〕のものであると推定し、〔252a〕の番号を付けた。
→併せて従前の「不4」や「不6」なども〔露あて〕のものだと推定した。
→「新発見」の4通と、従前不明だったものとを合わせた計23通の書簡下書は〔露あて〕のものであると推定した。
→これらの23通は昭和4年末頃に書かれたものであると推定した。
ということを活字にして公にした。
吉田 今、荒木が挙げた事柄はどれをとっても皆「推定」ばかり
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
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 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)           ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』      ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』     ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』




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