本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

「聖女の如き高瀬露」(54p~57p)

2015-12-23 08:30:00 | 「聖女の如き高瀬露」
                   《高瀬露は〈悪女〉などでは決してない》







              〈 高瀬露と賢治の間の真実を探った『宮澤賢治と高瀬露』所収〉
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*****************************なお、以下は本日投稿分のテキスト形式版である。****************************
だ。しかも、筑摩は「判然としている」とは主張しているものの全く判然としていない。
鈴木 そう、そのとおり。私もそう思っているし、後で話題にせねばならないが tsumekusaという方もそう主張している。
吉田 いずれの事柄も検証されたものでもなく確たる裏付けがあるものでもない。まあそれでも、同一のある事柄に対してこんな「推定」もあんな「推定」もあるというならばそれらの「推定」の数が増えれば増えるほどそれらの組み合わせで「ある事柄」の生起する蓋然性は加法的に増してゆく。
 しかしだ、今回の『同第十四巻』の場合はこれとは全く違う。検証もせず確たる裏付けもないままに単に「推定」をしたものを一つ土台にして、その上にさらに推定を重ねていくことの繰り返しだから、それをすればする度に信憑性はどんどん薄まってゆく。
荒木 例の確率の乗法定理と同じっていうやつだな。繰り返せば繰り返すほどその信憑性はどんどん薄まってゆく。となれば、〝一連の「書簡下書」〟の総体は砂上の楼閣か。
鈴木 そう、それは否定はできないね。具体的には、我々がこの〝一連の「書簡下書」〟について検討してみたところ、
  ・果たして「新発見」だったのか
  ・果たして「露宛」のものなのか
  ・果たして「昭和4年」のものなのか
等々、これらのどれ一つとっても皆危うい。
 自ずから、
・〝一連の「書簡下書」〟に関してどれだけの裏付けを取り、検証したのか。
・露は本当に一時「法華教信者」になったのか。
・極めて賢治らしからぬ文体のものある。
・対応する賢治宛ての露からの来簡はあるのかないのか。
・なぜ露が亡くなった後にたまたま「新発見」があったと嘯いたのか。
等々、いくつもの疑念や問題点等が浮かび上がったからな。
吉田 そして実際、僕らがこれらについて検証してみたところ、
 現時点では、〔252c〕等を含む〝一連の「書簡下書」〟は「露宛」であるとも「昭和4年」のものであるとも共に断定できない。確たる理由も根拠もないからだ。また、『同第十四巻』では「新発見」と銘打ってはいるが、実は「新発見」などではなかった。
ということがわかったからな。
鈴木 さて、今回の場合の最大の問題点は、同巻が書簡下書〔252c〕は〔露あて〕であるとしてしまった点だ。しかし、我々が検証した限りにおいてはその宛先は露以外の女性である可能性の方が大であることがわかった。
吉田 そもそも筑摩は、この〝一連の「書簡下書」〟は極めて重要な資料となり得るのだから、しっかりとした裏付けをとったり検証をしたりせねばならぬ代物だったのだ。
 ところがそんな基本的なことも為さずに、「内容的に高瀬あてであることが判然としている」とかたってしまった〔252c〕は、現時点ではあまりにもいろいろな問題点や疑問点が多すぎて信頼性に著しく欠けているので今回の検証のための資料としては使えない。
 しかも、この「判然としている」とかたる〔252c〕を大前提として〝一連の「書簡下書」〟を「昭和4年〔日付不明 高瀬露あて〕下書」であると推定しているのだから、大前提があやふやならば他も推して知るべしだ。
荒木 でもさ、このことに関しては、
 けれども露とのつき合いは、それだけでは終わりませんでした。昭和四年には手紙のやりとりがあり、その中には結婚についての記述もあります。
というように実際にある作家が資料として使っていたりもしていたはずだぞ。
鈴木 それはほとんどの人はそうするのじゃないかな。いま荒木が挙げた作家のように、「書簡 252aは昭和4年に高瀬露に宛てたものである」と思い込んだり、そのあげくには、「下書」ではなくて「書簡そのもの」、あるいはそれはポストに投函されたものであるとさえ受けとめる人だって少なくなかろう。
吉田 その危惧は全くそのとおりで、あの境でさえも
 賢治が高瀬露にあてた事がはっきりしている下書きの中から問題の点だけをしぼってここに紹介してみたい。
<『宮沢賢治の愛』(境忠一著、主婦の友社)156pより>
と記しているくらいなのだから。まして一般の読者ならばなおさらにだろう。
荒木 確かに。『同第十四巻』にあのような記述がなされていればこのような流れになるのは当然だと思う。ということは、俺たちだけが〝一連の「書簡下書」〟を疑問視していることになるのだべが…。
鈴木 いやそうでもないから安心してくれ。そりゃあ現時点では極めて少数派だとは思うが、先ほど挙げたtsumekusa 氏もご自身が管理している同氏のブログ〝「猫の事務所」調査書〟の中の「「手紙下書き」に対する疑問」という投稿において、
   …高瀬露宛てだと断定できるのでしょうか。
と疑問を投げかけているし、先に引用したように米田利昭も、「ひょっとするとこの手紙の相手は、高瀬としたのは全集の誤りで、別の女性か」という疑問を呈しているから、我々の判断だけが孤立しているわけではない。
鈴木 では最後に〝一連の「書簡下書」〟による<仮説:高瀬露は聖女だった>の検証の件だが…
荒木 もはや結論は明らかで、
<仮説:高瀬露は聖女だった>は「昭和4年の〔高瀬露あて〕書簡下書」による検証に耐えている。
 なぜなら、〝一連の「書簡下書」〟は「露宛」であるという確たる理由も根拠もなく、その記述内容の信憑性が極めて危ぶまれるものばかりだから、検証用の資料としての必要条件を欠いているからだ。もはや検証以前の話だ。
 ほにほに、このような危うい反古を基にしてある人の人格や尊厳を貶めるような<悪女>呼ばわりすることが許されていいはずねえべ。誰だこんなことをしたのは! と怒鳴りたいね。
吉田 ほんとだよな。普通は破り棄ててしまうような「紙きれ」によって、理由も根拠もあいまいなままに一人の女性が〈悪女〉にされたのではたまったものではない。しかもそれが大手の出版社によってだぞ。
 それにしてもこの非対称な構図、そしてそれゆえの理不尽…なぜこれは由々しきことなのだという声が今まで起こらなかったのだろうか。このような不条理を許さず、それを排除することこそがまず宮澤賢治研究家の為すべき最たるものの一つだろうに。
鈴木 そうだよな。吉田の言うとおりだ。
 さてそれはそれとして、昭和4年で問題となるのはこの〝一連の「書簡下書」〟だけだから、昭和4年においても<仮説:高瀬露は聖女だった>は棄却しなくてもいいということになったわけだ。
吉田 ただし、〝一連の「書簡下書」〟に対応する露からの賢治宛来簡が今後もし見つかったりしたならば別の可能性もあり得るかもしれないが。
荒木 ともあれ、俺たちがここまで調べてきた限りにおいては〈仮説:高瀬露は聖女だった〉を棄却する必要は現時点ではないということになる。いやあ嬉しいね。
鈴木 うん、確かに。
◇示し合せて帰天するのを待っていた
荒木 それにしても不思議なんだが、どうして『校本全集第十四巻』はなぜ安易に「新発見」の「書簡下書」として公表してしまったのだろうか。
吉田 そもそも、それを「新発見」と銘打って『校本全集』に載せるのであれば、筑摩は他のもの以上にその反古を徹底して検証等せねばならなかったはずだ。そうそう、それこそ例の「マンドリン」の場合と全く同じように厳しく。
荒木 うん? それってどんな意味だっけ?
吉田 ほら前にも言った、鈴木がぼやいたやつ。千葉恭だけは他の人の証言がないからという理由で「宮澤賢治年譜」には載せられていないという、例のやつのことだよ。
鈴木 でも、「一人の証言だけとか、一つの資料だけとかに基づいて賢治の伝記研究をしてならない」という「賢治年譜」の姿勢は立派だと思うし、それは当然だと思う。
吉田 とはいえ、鈴木は自分が絡むから控えめに言っているだけのことで、「ならば、なぜ『同第十四巻』はそのような厳しい姿勢でこの〝一連の「書簡下書」〟に対しても臨まなかったのか!整合性に欠けるじゃないか」と内心頗る怒っているのだ。
荒木 えっ、そうなのか。
鈴木 いえいえとんでもないことでございます。
吉田 いや、僕自身も深刻に受けとめている、恣意的な証言や資料の使い分けはするなと言いたい。とりわけこの「新発見」の場合にはもっともっと厳然と対処すべきだったと。ところがそれも為さずに露が帰天するのを手ぐすね引いて待っていて、帰天したならば急遽『同第十四巻』の「補遺」に「新発見」と銘打って載せた。だからこんな中途半端なことになってしまったのだと揶揄されかねないことを僕は危惧している。
荒木 確かにそうだよ。しかも冷静に考えてみれば、仮に〝一連の「書簡下書」〟が正真正銘露宛であるとするならば、その中に記されている賢治のいくつかの言動は残念ながらとても褒められたものではなく、よりダメージを受るのは女性の方ではなく、遙かに男性の方であるという見方も当然あり得るしな。
鈴木 だから、もし仮に〝一連の「書簡下書」〟は賢治が本当に露に宛てて書いた際の反古だったとしても、露一人だけが悪者にされることは全くアンフェアなことであり、まさしく父政次郎の厳しい叱責どおりで、気の毒なことではあるがその全ての責めを負わねばならなくなるのは賢治の方である、ということになってしまう。ところがこのことに気付いているのかいないのか、賢治研究家の誰一人としてそこのところを指摘も批判もしていない。
吉田 まあそれも、〝一連の「書簡下書」〟が本当に露宛だったという仮定の下での話だけどな。
 とまれ、〝一連の「書簡下書」〟について筑摩書房は早急に徹底した検証作業を必ずやる義務と責任があるということだ。
鈴木 そう、それだけは最低限是非やって貰いたい。
 では次は昭和5年だ。これが難題なんだよな。
荒木 えっ、そうなのか。ところでどうした吉田、何か言いたそうだな?
吉田 実はそうなんだ、言おうか言うまいか迷っているんだ。
荒木 ならばはっきり言えよ。お前らしくもない。
吉田 そうだな、そろそろ次へ移るということなのでやはりここで白状しておくか。実は、「こと」の真相を宮澤賢治研究の大御所の一人が明らかにしてるんだ。
荒木 それは誰だよ。
吉田 その人に迷惑がかかるとまずいと思って今まで二人には黙っていたのだが…。え~と鈴木、その『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』を見せてくれ。その中にほら、
 おそらく昭和四年末のものとして組み入れられている高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである。高瀬露は、昭和二年夏頃、羅須地人協会を頻繁に訪れ、賢治は誤解をおそれて「先生はあの人の来ないようにするためにずいぶん苦労された」(高橋慶吾談)という態度をとりつづけた。公表されたこれらの書簡は、賢治の苦渋と誠実さをつよく印象づけるのみならず、相手の女性のイメージをも、これまでの風評伝説の類から救い出しているように思われる。高瀬はのち幸福な結婚をした。
<『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』(筑摩書房)415pより>
とあるだろ。
荒木 じゃじゃじゃ、「救い出している」だって。そんな見方などできるわけねえべ、実態はその真逆だ。誰がそんなことを言ってるんだ。
吉田 それは僕の口からは言えない。ここを見てくれ。
荒木 えっ、大御所の彼がこんなことを言ってるのか。
鈴木 まずい、そこにそんなことが書いてあるなんて気付いていなかった。それにしても、愕然とするな。でもこの大御所がこうまで言っていたというのであればこれでその真相は確定だな。皆が示し合せて露が帰天するのを手ぐすね引いて待っていた、ということなのかやっぱり。
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
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 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)           ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』      ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』     ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』




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