本当の賢治を渉猟(鈴木 守著作集等)

宮澤賢治は聖人・君子化されすぎている。そこで私は地元の利を活かして、本当の賢治を取り戻そうと渉猟してきた。

「聖女の如き高瀬露」(46p~49p)

2015-12-22 08:30:00 | 「聖女の如き高瀬露」
                   《高瀬露は〈悪女〉などでは決してない》







              〈 高瀬露と賢治の間の真実を探った『宮澤賢治と高瀬露』所収〉
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*****************************なお、以下は本日投稿分のテキスト形式版である。****************************
どんな言い方をする訳はない、ということになるのか。それにしても、ということはやはりある時期賢治と露は案外良好な関係にあったんだ。
鈴木 あっそういうことか。賢治が「南部さんのお寺」から借りた本を露に又貸しするくらいだから、二人の間にはかなり信頼関係があったと確かに言えるからな。
吉田 しかしさ、つっけんどんだったのは露を拒絶するためにわざとそう言い放ち、とぼけたということかもしれんぞ。
荒木 でも賢治はそんなとぼけ方をするか。がもしそうであったするならば、少なくともある時期までは露と親密で良好な関係にあった賢治が、その相手露に対してこんな言い方をしていたということになるので正直がっかりだな。俺の尊敬する賢治がそんなことをするはずはない…。
 そうだわかった。もしかすっと、この「書簡下書」はだれかが偽造したものかもしれんぞ。そもそも前から感じてたのだが、〔252c〕を読んでみるとその文章表現の仕方はとてもじゃないが賢治のイメージからはほど遠い、と。
吉田 おいおい物騒なことを言うなよ。確かに賢治のイメージからはほど遠いが、よりによって偽造はないだろう。
鈴木 いずれ、〔252a〕にせよ、はたまた〔252b〕にせよ、それらが露宛のものであると断定するためにはまだまだ乗り越えなければならないハードルがあるということだ。とりわけ、米田も指摘しているところの「ここは<法華をご信仰>とある」という疑問は必ず解消せねばならないそれだ。それができなければ、いくら「露宛書簡下書」だと断定したところで客観的な説得力は持ち得ないだろう。
荒木 それじゃ、俺もそれに異議がないから現時点での俺たちの結論は
 あやふやな点が少なからずある書簡下書〔252a〕及び〔252b〕については「露宛書簡下書」とは断定できない。
ということで決まりだべ。
◇検証用資料としては使えない
鈴木 ではいよいよ次は本丸の、『校本全集第十四巻』が「内容的に高瀬あてであることが判然としている」ときっぱりと断定している「新発見」書簡下書の〔252c〕について考えてみよう。
吉田 いやっ、鈴木が見つけたように〔252c〕と「新発見の下書(一)」は続き物であることはまず間違いないから、それらを繋げて先に名付けた
 〔改訂 252c〕
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。…(筆者略)…一つ充分にご選択になって、それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし。どんな事があっても信仰は断じてお棄てにならぬやうに。いまに〔数字分空白〕科学がわれわれの信仰に届いて来ます。…(筆者略)…さて音楽のすきなものがそれのできる人と詩をつくるものがそれを好む人と遊んでゐたいことは万々なのですがあなたにしろわたくしにしろいまはそんなことしてゐられません。あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)私の勝手でだけ書いたものではありません。前の手紙はあなたが外へお出でになるとき悪口のあった私との潔白をお示しになれる為に書いたもので、あとのは正直に申し上げれば(この手紙を破ってください)あなたがまだどこかに私みたいなやくざなものをあてにして前途を誤ると思ったからです。あなたが根子へ二度目においでになったとき私が「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあげたのが重々私の無考でした。あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので、これはこのまゝではだんだん間違ひになるからいまのうちはっきり私の立場を申し上げて置かうと思ってしかも私の女々しい遠慮からあゝいふ修飾したことを云ってしまったのです。その前后に申しあげた話をお考へください。今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申し上げませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでになすってゐるものだと存じてゐた次第です。どんな人だってもにやにや考へてゐる人間から力も智慧も得られるものでないですから。
その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。慶吾さんにきいてごらんなさい。それがいま女の人から手紙さえ貰ひたくないといふのはたゞたゞ父母への遠慮です。これぐらゐの苦痛を忍ばせこれ位の犠牲を家中に払はせながらまだまだ心配の種を播く(いくら間違ひでも)といふことは弱ってゐる私にはできないのです。誰だって音楽のすきなものは音楽のできる人とつき合ひたく文芸のすきなものは詩のわかる人と話たいのは当然ですがそれがまはりの関係で面倒になってくればまたやめなければなりません。
で検討すべきだ。
鈴木 そうか、じゃあそうしようか。では荒木、この中身についてどう思う。 
荒木 うん? 俺がか。賢治を尊敬している俺にとっては言いづらいところもあるが、寄ってたかって弱い者虐めをされているが如き露に味方して…正直に言う。はっきり言って賢治らしからぬ点が多すぎる。
 まず、文章構成がめためただべ。またその表現の仕方が、
  ・などといふから悪いですな
  ・(よくお読みなさい)
  ・(この手紙を破ってください)
  ・私みたいなやくざなものをあてにして
  ・もっとついでですからどんどん申し上げませう
  ・あゝいふことは絶対なすってはいけません 
というような露悪的な表現などからは、今まで抱いていた賢治のイメージとは真逆の印象しか受けないんだな、これが。
吉田 そう、これはあまりにも賢治らしからぬ文体の「書簡下書」なので、極めて違和感がある。誤解を恐れずに言えば、他の書簡とは違ってこの〝一連の「書簡下書」〟、とりわけ〔改訂 252c〕からは、尊大さ、軽薄さ、高踏的、露悪的、お為ごかしなどさえも感じられて、正直やりきれない。
鈴木 私もこれらに対しては、『えっ! 賢治ってこんな文体の手紙を書くことがあるのか』とがっかりしたものだった。
 そして同時にがっかりしてるのが、〔252c〕のことを『同第十四巻』が「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」と述べてはいても、ここに至っても私には一体それはどこからそう判断ができるのか全くわからないからだ。二人はどうだ?
荒木 例えば、
(1) それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし
とか、
(2) あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので…(著者略)…今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。
というようなことを実際に露がしていたという、他の証言や資料があればそうと言えるかもしれないが…。
吉田 まずは前者(1)については、いくら賢治の発言とはいえ「ただならぬ物言い」だ。こんなことが書かれているとこれを素直に読んだ読者は皆、
・露には前の婚約者があった。
・しかも露はその人との婚約を破棄して、新たな相手と結婚しようとしている。
・賢治はそのような露に対して前の婚約者からはちゃんと了解を求めなさいとアドバイスした。
と、次に後者(2)からは、
・露は賢治に三日続けて手紙をよこしたり、
・夏から三べんも写真をよこしたりもした。
とそれぞれ受け取るだろう。
荒木 果たして本当に露にはそんなことがあったというんだべが。この部分を真に受ければ、露にとっては分が悪いところが少なくないぞ。
鈴木 とはいえ、上田哲は『七尾論叢 第11号』において、いま吉田が挙げたようなことについてどころか、そのような噂があったということさえも一切述べていない。もちろん一般にもそんなことがあったなどとは言われていない。
荒木 となれば、この「ただならぬ物言い」はなかなか厄介者だな。
鈴木 そこなんだ。そのような数々のことが露にあったということを筑摩は検証した上で、「内容的に高瀬あてであることが判然としている」と断定したのであればいいのだが、ここまで調べてみてほぼ判るようにそうとは思えない。
 実はかつてこんなことがあった。『拡がりゆく賢治宇宙』の中に
 楽団のメンバーは
    第1ヴァイオリン 伊藤克巳
       …(略)…
    オルガン、セロ  宮澤賢治
 時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです。
<『拡がりゆく賢治宇宙』(宮沢賢治イーハトーブ館)79pより>
という記述があったので私はこれを見つけて喜んだ。それは、例の楽団に時に千葉恭も加わっていたことをこの記述から知ることができたからだ。
荒木 どういうこと?
吉田 それはさ、約2年4ヶ月の「羅須地人協会時代」、賢治は一般には「独居自炊」といわれているが、実は少なくとも半年間はこの千葉恭と一緒に暮らしていた。そのことをほら、鈴木は以前自費出版した『賢治と一緒に暮らした男―千葉恭を尋ねて―』で実証したわけだが、そのことを裏付けてくれるからだ。
鈴木 そうなんだ。その原稿を書きながら不思議に思い続けたのが、賢治も含めて周縁の人たちの誰一人として千葉恭という人物が賢治と一緒に暮らしていたという証言や資料を残していなかったことだ。
 ところが、この『拡がりゆく賢治宇宙』にこのように記載されてあったから、誰かが千葉恭はあの楽団のメンバーの一人だったということ、つまり、下根子桜の賢治の許に千葉恭が時に来ていたということを実質的に証言していると思ったのだ。
 そこで私は、出版元にこの出典はなんですかと問い合わせた。するとその答えは『あれは間違いです』というものだった。
 ならばと、この部分の執筆者を探し出して訊いてみたところ、
 あれは、私が平來作から直接聞いたことです。ところが、千葉恭については他の人の証言がないからということで、『賢治年譜』には載っておりません。
<平成26年11月14日、阿部弥之氏より>
ということであった。そこで私は思った。そうか、流石「賢治年譜」、資料として載せるか否かの判断は厳しいんだと。ちなみに『新校本年譜』を見てみると、
 しかし音楽をやる者はほかにマンドリン平来作、木琴渡辺要一がおり、時によりふえたり減ったりしたようである。
<『新校本全集第十六巻(下) 年譜篇』(筑摩書房)314pより>
となっていた。平や渡辺の場合にはどんな他の人の証言等があって載せたのかを筑摩は明示していないがそれはさておき、確かに肝心の千葉恭の名前だけは抜け落ちている。
 そこで私もその徹底した筑摩の態度を見習って、「一人の証言だけとか、一つの資料だけとかに基づいて賢治の伝記研究をしてならないのだ」と改めて自覚した。
荒木 ということは?
吉田 千葉恭の場合にそれほどまでに徹底しているのであれば、先ほど僕が列挙した事柄についてもちゃんとその他の証言や資料を基にして検証しろと鈴木は怒っているのさ。
荒木 そりゃそうだべ。そうでないと筑摩はダブルスタンダードだ。
吉田 ということは、もしかすると何らかの理由があって千葉恭は意識的に無視されているのかもしれんな。
鈴木 うん、それは十分にあり得る。なお、千葉恭のご子息から直接聞いた(平成22年12月15日)ことだが、『父はマンドリンを持っていました』ということだったから、先の『拡がりゆく賢
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
 本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
 あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
 まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
       〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守    電話 0198-24-9813
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)           ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』      ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』     ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』




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