岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

妹尾義郎は日蓮主義の社会主義者、という希有な存在

2017-11-23 10:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》

 ではここからは、同じく理崎啓氏の『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(哲山堂)を読み乍ら、妹尾義郎について学んでゆきたい。
 「序」はこうして始まっていた。
 妹尾義郎は日蓮主義の社会主義者、という希有な存在として知られている。
と。
 私はここ10年間ほどの検証作業を通じて、賢治は社会主義者でなかったと仮にしても、それに近かったと思っている。それに対して、一般には賢治が法華経を信仰していたから賢治は少なくとも社会主義者ではなかった、という論理が適用されているとも思っていた。それゆえに、理崎氏の『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』によって、〝日蓮主義者の社会主義者・妹尾義郎〟という人物を知り、詳しく知りたいと思って理崎氏に直接お願いして『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(哲山堂)をお譲り頂いたのだった。

 しかもその「序」には、妹尾が第一高等学校在学時の校長はあの新渡戸稲造だったということや、
 日蓮主義が一世を風靡していた頃、妹尾は田中智学の国柱会に通い、智学と並び称せられた本多日生に師事している。大正デモクラシーの時代は昭和初期まで左翼運動が盛んだったが、加藤勘や杉山元次郎、江口渙などの左翼運動の指導者との交流もあった。獄中では、転向した共産党の指導者・佐野学や鍋山貞親、朝鮮人の運動家・朴烈などと親交をあたためている。
           〈『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)6p〉
 同書所収の「妹尾義郎年譜」によれば、
明治22年 広島県生まれ。
明治44年 第一高等学校英法科に四番で入学。
大正7年 上京して国柱会を訪問するが、智学に会えずに失望。顕本法華宗の本多日生に師事。在家として活動。
昭和4年 地方新聞に「妹尾、赤化思想」と報道される。
とあるから、結構賢治と相似なところがある人物だということを私は知って、ますますこの妹尾なる人物に興味が湧いてきた。言い換えれば、賢治と雖もその時代の中で生きていたのだという確信がさらに増した。

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《鈴木 守著作案内》
 ☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』                  ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)          ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)

 ☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』        ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』      ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』

☆『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』










































 




























































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