岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

もう一つの妹尾義郎の稀有は日記

2017-11-26 08:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 理崎啓氏は『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』の「序」を、
 妹尾義郎は日蓮主義の社会主義者、という希有な存在として知られている。
と始めているということは先に述べたが、実はこれに続けてもう一つの「稀有」についても述べいた。妹尾義郎は、
 もう一つの稀有は日記で、明治42年から昭和36年の逝去直前まで、五十年に及ぶ厖大な日記を書き遺している。
             〈5p〉
と。
 そして、この章「一、大望、蹉跌」の始めの方で、理崎氏は妹尾がそのような日記を書き続けた理由を次のように、
 妹尾日記は、この言葉が契機となって始まったのであろう。五十年以上継続したのも、この新渡戸の言葉を忠実に実行した成果ではなかったのか。
             〈22p〉
と推測していた。そしてその「新渡戸の言葉」の新渡戸とは、先に少し触れた妹尾が第一高等学校在学時の校長であったあの新渡戸稲造のことである。妹尾は明治41年に第一高等学校に入学したわけだが、、その年の最後の講義で、その新渡戸は、
 一年の計は元旦にあり、として何か新しい決心をするように勧めている。…(投稿者略)…
 妹尾が元旦に決意を認めたのも、人格を磨くために自己を見つめようとしたのも、新渡戸のこの言葉に従ったものであろう。また、新渡戸は何か条かの提案をしている。まず日記をつける。これはつまらぬことのようだが、決心しただけでは何も変わらない。小事といえども継続していけば大きな力になる。日記の効用は一、二に留まらない、とにかく継続だ。
             〈22p〉
ということを理崎氏は教えてくれている。

 もちろん、継続した妹尾もあっぱれだが、新渡戸の出身県に、しかも「新渡戸記念館」がある花巻に住んでいる私は、今まで以上に新渡戸稲造を誇らしく思えるようになった。

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