岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

生きたる理想の人物新渡戸稲造

2017-11-26 14:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 そして理崎氏は次のようなエピソード、
 一高の自治祭は校長や教授の講演などがあり、その後茶話会が開かれた。その折、一人の学生が壇に上がって新渡戸の八方美人を激しく批判した。…(投稿者略)…一高が退廃的になったのは校長の責任、と追及したのである。
            〈23p〉
があったことを紹介し、続けて、これを受けた校長新渡戸の対応を次のように紹介していた。
 そんな中、新渡戸はおもむろに登壇して、穏やかに話し始めた。加藤清正の例から武士道を語り、自分も武士の片われであるからいざという時は腹も切る、男子としては笑って毒杯をあおいだソクラテスになりたい。不信任を公にするなら正々堂々しなさい、と胸中から覚書を取りだして一読した。野次はまったく止み、雨のような拍手が起こった。中には泣きだす学生もいたという。これが、後々まで語り草になった一時間以上も及ぶ名演説である。
            〈23p〉
 そうなんだ、流石と、このような新渡戸のエピソードを知らなかった私は感心した。そして、あの『武士道』を書いたからといって高く評価されているだけでなく、それを実践せんと常に心掛けていたこともあったのか。理論だけではなく実践も伴っていたのだ、とである。

 さらに理崎氏は続けて、次のようなことも教えてくれている。
 この演説に対しては、妹尾は
   嗚呼此夜、余は生きたる英雄に接せり。生きたる理想の人物を得たり。
と日記に書き記し、川西なる学生は「我は泣きぬ、叫びぬ」と書き、さらに、
 新渡戸が「不詳男一匹と生まれしからには、月給百円や二百円で自分の良心をまげてまでの汚き話をしようとは思っておらぬ」と断じた。
ということなどを自分の日記に書き記しているという。
ということを。昨今曲学阿世の徒が結構いるのではなかろうかと訝っていた私には、ますます新渡戸稲造のスケールがでっかく見えてきた。

 なお、一高弁論部は徳冨蘆花を招聘して講演を依頼したところ、蘆花は
 「新しいものは常に謀反となる。自ら謀反人となることを恐れてはならない」
と学生を叱咤した。この演説は出席した学生たちに大きな影響を与えた。これを恐れた政府は、校長の責任を追及、新渡戸は譴責処分となった。
            〈25p〉
と理崎氏は述べていた。この「新しいものは常に謀反となる。自ら謀反人となることを恐れてはならない」という箴言は、言われてみれば、昨今私自身がやっている「真実を明らかにすること」は、相手から見ればまさに謀反の如きもだと知り、さりとて「真実のためには己を枉げたくないと覚悟を決めている」ところでもあり、蘆花のこの金言は私を応援してくれているものと勝手に解釈した。

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《鈴木 守著作案内》
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☆『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』










































 




























































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