辰吉は初の世界タイトルを取ったあと左目の異常を訴える。
後のビクトル・ラバナレスとの2戦目の後に網膜剥離と診断されるが
この時すでに兆候があったのだろう。
シュガー・レイ・レナードはトーマス・ハーンズのジャブで網膜剥離になったが、
辰吉はタイトル奪取までは打たれていなかったのだから、元々そうなり易い
体質だったのではないかと思う。
ラバナレスとの2戦は激闘だった。
自分は負けた第1戦も、楽にはいかないだろうが勝つと思っていた。
辰吉は乱打戦を好むタイプに弱いのだろうか。
2戦目は判定勝ちしたが、この試合も打ち合いに巻き込まれていた。
1994年網膜剥離の手術も成功し薬師寺保栄と対戦する。
この試合は日本人選手同士の名勝負と言われたりしているが、自分は辰吉が
圧勝すると思っていたのであの内容、結果にすごくショックだった記憶がある。
その後階級を上げダニエル・サラゴサに2度挑戦するも敗北。
サラゴサはラバナレスみたいな相性の悪いタイプだったと思う。
自分はここで辰吉の試合を観なくなる。
だからまたバンタム級でチャンピオンになったことを知らなかった。
そしてその後ウィラポンに2度強烈に負けたことも。
この3試合はYoutubeで観た。
シリモンコンに勝って王者に返り咲いた時の会場の盛り上がりは凄い。
あれだけ人々を興奮させる人間はそうはいない。
ウィラポンに負けた試合も壮絶だった。
辰吉の最後の試合ではないが、KOされたシーンは何か終わりを予感させる印象的な
シーンだった。
一体辰吉丈一郎は、どれだけの人に影響を与えたのだろう。