昭和51年の大ヒット曲 内山田洋とクールファイブが歌った。詩の意味が分かるようになった気がする。
「東京砂漠 作詞:吉田 旺 作曲:内山田 洋
空が哭いてる 煤け汚されて
ひとはやさしさを どこに棄ててきたの
だけどわたしは 好きよこの都会が
肩を寄せあえる あなた あなたがいる
あなたの傍で ああ 暮らせるならば
つらくはないわ この東京砂漠
あなたがいれば ああ うつむかないで
歩いて行ける この東京砂漠
下の写真をクリックすると歌が聴けます。
私も東京に住むようになって早いもので八年。いろいろなことがありました。
英国から文化交流派遣で仕事をしたあと、東京を選んだ訳ではありませんが運命的にここにやってきて生活する暮らしが始まりました。
今思えば、当初は私も若かった成果、右も左も分らぬまま一日慣れない職場でしどろもどろして日々過していたように思います。はっきり言って、東京は好きではなっかたのですが、今では、早いのか遅いのか分りませんが、自分のやりたい芸術の道一筋に生活の基盤を作り上げられました。
ここまでは、いろいろ泣かされたことも落ち込んだ日も、また必死に耐えたことも今では遠い昔話として今は笑って思い出されます。
さてさて、この「東京砂漠」
この歌の詩を今迄こんなに意識することもなかったのですが、自分が飲みにいく店でふとお客さんが歌っていたのを酔った勢いで聞いていて胸にはっとくるものがあったので書き下ろしました。
私が東京に出てきた時も、右も左も若らぬ大都会でそれはそれは、自分がまったく小さく見えましたし、不安におびえた日もありました。
道を聞いても地元のように立ち止まってくれる人も居ませんでしたし、何よりもめまぐるしい殺伐とした生活リズムに本当に戸惑いながらここまでやってきました。(まだまだ東京の生活には慣れないとこもありますが(笑)
でも、ある時の出会いが、私の人生を大きく変えてくれたのです。
人と出会いというのは心に大きな支えと希望をくれました。書道や水墨画を通じて徐々に仲間を見つけることも出来ました。
東京には誰も知り合いもいませんでしたが、住めば都。
殺伐としたこの大都会にも心を通じて支えてくれた人、支えてくれる人に出会えたことで、それを支えに私もこの大都会 東京でなんとかやって来れたと思っております。
東京は本当に多くの人が夢や希望の実現にやってくる。自分も自分もと競争で心も冷えきってしまう。
一日、過酷な仕事をして返ればもう夜遅い 電車の中。ストレスもそれはかなりのものでしょう。
だから、ここ東京では、人にやさしさ思いやりがなかなかもてません。
きっと、東京の生活リズムならば時間も止まってくれないし、心にゆとりなんて結構難しいのかもしれません。
けれども、そんな東京でさえ、人と人が出会うことできっとあなたの生活に潤いがさしまたがんばれるようになれる。だからこそ、この歌詞にはそいう思いが感じられるのです。
どこかで「東京って冷たいな。やっぱりだめかなあ。」と思ってしまう人がいるのなら、絶対にそうではないものです。
きっと貴方を理解支えてくれる人が横に一人でもいたらその人の為になんとかがんばれるもの。
そして、いつか東京の生活もお互いに楽しくなるものなのです。
私は、今では決して東京が嫌いではないです。むしろ、もう東京でがんばるしかありませんし帰れませんね。
よく、駅のホームで新人リーマンの疲れた表情を横で見ていると遠い昔の自分を見ているような気分になります。でも、慣れない東京で疲れ果ててしまう人が居たとするなら、心の持ち方でも変わるものだし、いい出会いが心の支えになると信じながらこの大都会でがんばっていってほしいなあと思う今日の私のつぶやきでした。
いい歌詞です。本当に!!
みなさんも書道ですきな心の歌を近代詩文風に自由に書道でしたためてみませんか?!
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