日常、この百合的なるもの?

2012-04-07 18:08:20 | 本関係

日常の110」において、ゆっこと麻衣の間でなされる掛け合いは非常に興味深い。というのはこれが、キャラに対する読者の百合(同性愛)的憶測をネタ化するものになっているからだ。

 

少し説明しよう。「日常」にも大きな影響を与えていると思われる「あずまんが大王」、「らき☆すた」などでは、恋愛対象としての男性が登場しない。これはノイズの排除という点でも興味をそそられるが、その結果として同性のみの関係性がもっぱら描かれる結果、百合的な関係が想像されるという次第だ(似たポジションの「ぱにぽに」では男子生徒も出てくるし、ジジイクラス内では犬神[銀髪眼鏡]へ一方的に好意を抱く南条[お嬢]の姿が描かれるが、それでも異性のカップリングを思わせる描写は極めて少ない)。

 

これに対して、「日常」では「みお—笹原」、「みさと—笹原」、「高橋先生—櫻井先生」、「高橋先生—中村先生」、「大工—関口」、「竹ノ内ーウェボシー」といった具合に様々な異性関係の描写が登場する。もちろん、これだけなら実際に付き合っていないし誇張されまくってもいるので、全て単なるネタと見ることもできる。しかし、「みさと・ウェボシー・フェちゃん」によるガールズトークをわざわざ描いて「誰が好き?」という話をさせている点からすれば、作者がカップリングを明確に意識していることは明らかだろう。しかしその中で、主要キャラにもかかわらずゆっこと麻衣にはそういう話が全くないのだ。以上のような、(1)先行作品のキャラの(閉じた)関係性、(2)「日常」における二人の特異性、という二つの要因が「ゆっこ—麻衣」の百合的想像力を喚起するわけだが、それを自己言及的に表現しているということである(*)。

 

なお、コマの運び=表現方法自体もおもしろい。

 

P36(掲載画像右側)の麻衣による「告白」は、それがあまりに唐突なので「何じゃそりゃ!」の次に「夢オチか?」という判断が続く(というのも、かつて一度そういうネタがあったからだ)。しかしそれは、コマの右端にみほしがいることで否定される。これは前回の日常109とリンクしているのだが、わざわざ彼女を挿入するからには、夢オチではないのだろうという予測が立つ。すると再び「どういうことやん!?」と思った読者は左ページにおけるゆっこの反応とシンクロする、という具合。まあ夢オチ云々は想定せず、そのままゆっこの反応に同調した人もいるだろうが、そこから一歩踏み込んで見た時に、仕掛けに対する別様の驚き・気付きがあっておもしろいと思うのである。

 


これは前に出てきた「なの—中村先生」という話題を意識している部分もあると推測される。なお、ものすごい余談だが、二次創作的発想なら、「成績取るために身体を売るといういかにもエロ漫画的な行為(笑)に及ぶゆっこ」、「弟のエロ本を発見した櫻井Tが雰囲気に流されて・・・」などが思いつく。またもうちょいレベル上げると「興味本位で自分の飼っている*とヤってみる麻衣」なんてのも出てきて、ネタ的な前述の百合的想像力なぞ軽く凌駕するんだがねw


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