覚書:再帰的思考の生まれえぬ場所

2010-09-23 18:34:06 | 抽象的話題
『共感』の問題点:戦略性と再帰的思考」と連動。


自明なるものが消失した(していく)ポストモダンの社会においては、再帰的・戦略的に振舞う他ない

日本においては、そのような振舞が期待できない

戦略的なもの(ネタ)がすぐさま教条主義的なもの(ベタ)に堕するから

なぜ戦略的なものが教条主義的なものに堕するのか

枠組みを(不断に)問う再帰的思考ができないから

なぜ再帰的思考ができないか

やる必要のない環境に育っているから。具体的には、キャラとして無害化された上で集団の中に組み込まることを要求される。汝何者かとディープに問われることはなく、それゆえ応答する機会も必要もない。

そのような環境は変わりうるか?

例えば「普通という名の暴力」といった言葉で同調圧力の病理を語ったとしても、「空気」コミュニケーションが成立する背景としての承認の渇望という強迫的要因を解消しなければ不可能(※)。

共通前提の消滅によるアノミーと不安のポピュリズムを食い止める防波堤が必要。単に個人(主義)の問題として処理すると逆効果。完全な個人主義は非合理的である(別の機会に詳述)。伝統的社会への回帰(ベタ)などではなく、あくまでポストモダン社会の共生を可能にする前提として戦略的にホームベースを作る必要がある(グローバル化は避けられないので、前者は実態との乖離を促進させますます生きにくい社会を作るだけ。島宇宙の一つとしてならご随意に)。

あるいはそれも不可能なら、それでもなお回る社会を模索するのが合理的・戦略的思考。



実りよりも恐怖がそれを成立させる。共通前提の消滅によるアノミー→不安のポピュリズム→自由からの逃走(超越的な存在との同一化、監視の要求)。そもそもなぜ「空気」を乱すべきでないのかが不明。「空気」は「裸の王様」ではないか?また実際にはオルタナティブはいくらでも存在するので、コミュニケーションから退却する者(引きこもり、酒鬼薔薇的存在)が増加するのは必然。
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