君が望む永遠~なぜ「感情移入できない」のか

2009-05-30 18:07:17 | 君が望む永遠
君が望む永遠に対する否定的な評価の一つとして、主人公に「感情移入できない」「共感できない」というものがある。そう評価する理由について述べたレビューは管見の限り存在しないが、二つの原因が予測できる。


一つは単純に主人公の行動原理が理解できない、というものである。そしてこれは、「ヘタレ」という評価と親和性が高いと考えられる。なお、どれほどそれを理解しようとしていたかについては、評価の具体性のなさを考慮すると非常に疑問である。


ところでもう一つは、プレイヤーが鳴海孝之に介入できる余地が非常に少ないことである。恋愛ADVの主人公は、様々なプレイヤーのニーズに応えるために、様々なキャラを攻略したり、様々なシナリオを体験することを余儀なくされている。そのような事情ゆえに主人公の設定を細かく決めると矛盾を生み出してしまうため、行動原理のような背景のない、いわゆる「白紙の主人公」が好んで採用されてきたわけである(その代表格がTo Heart)。そのような主人公は、言ってみればプレイヤーの快楽原則に従うために生み出され、実際それに従って行動するわけだから、それに自己を投影(「感情移入」)しやすいのは考えてみれば当然の話である。ところが、鳴海孝之にはその要素が希薄である。というのは、恋愛ADVで重要なポイントになるはずの「誰を選ぶか」という点において、我々には全く選択権がないからだ。これは第一章の遥の告白を断る選択肢が無いことや、第二章の冒頭で水月とすでに付き合っているという事実を考えれば明らかである。しかも、そのような(プレイヤーの介入できない)事実が第二章での孝之の行動を強く縛り、結果としてプレイヤーは選ぼうとしているにもかかわらず孝之は選べないという乖離が生み出される…このような構造を考えれば、プレイヤーの快楽原則に忠実な「白紙の主人公」に慣れた(=恋愛ADVの主人公像を自明のものとしている)人たちが鳴海孝之を不快に思い、彼を「ヘタレ」だとか「感情移入できない」と評価するのはむしろ当然のことであると言えるだろう。


鳴海孝之に対する「感情移入できない」という評価は、以上のような構造的な問題が深く関係していると考えられる。よって次回は、そのような視点を意識しつつ、サブキャラシナリオの持つ批判性を扱っていくこととしたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 検考診断D判定  | トップ | 真版 君が望む永遠~なぜ「... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

君が望む永遠」カテゴリの最新記事