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K.チャペック『ロボット』について

2007-02-19 00:50:52 | 本関係
(この本に到る過程)
「無関心と『嘲笑主義』」の記事を書いたら、大学時代に読もうと思いながら放置していた、モラヴィアの『無関心な人びと』を読みたくなり池袋ジュンク堂に赴く。下巻しかなくて使えね~と思いながら近くを見ていたら、チャペックの『ロボット』を発見。その中で「ロボット」がネガティブな言葉として使われていることが西欧世界の機械(や無機物)に対するマイナスの感情を象徴しているという文章を思い出す。ここで宗教・感情移入についての小説を読むのもおもしろいというわけで購入。以下、それに関する批評。


話の基本構造は割と単純である。始めに感情を持たず無関心なロボットを人間が使役している状態がある。そこから10年が経ち、変化を組み込まれたロボットは人間に近づき、一方で労働から解放された人間は他者への関心を失うとともに子供が生まれなくなる(=他者への無関心、子孫を残せない)。こうして境界線が曖昧になったロボットと人間の関係は、ロボットによる人間の殲滅という結果で幕を閉じる。ところが残ったロボットは、変容した人間と(理由は違うのだが)同じで子孫を残すことができず、中途半端に人間的な要素を植えつけられたことで自分達の滅びに恐れおののくこととなる。その中で存続の方法を模索するためにロボットの人体(?)実験が行われるのだが、ヘレナとプリムスがお互いを庇い合うのを見て、最後の人間アルクビスト博士は「行きな、アダム。行きな、エバ」と彼ら二人を送り出す(193p)。こうしてロボットが新人類(?)となるわけだが、「エバ」となるヘレナは、(本来完璧なはずの)ロボットなのに「春のようにおばかさん」で「要するに、何の役にも立」たないのは注目すべきだろう(92p)。というのも、人間の不完全性について言及されるとともに、(完璧な)ロボットはそれを理由に反乱を起こすからだ。これらは、「人間というものは不完全であることが自然なのだ」という主張であると考えられる。またこれについては、ロボットを作り出すという神に近づく行為を行い、その結果働く必要がなくなって他人への興味が薄れた人間へは不妊という「天罰」が下されていることも興味深い。要するに「人間性とは何か?」という問いかけが作品の中心にあるのだが、その結論は先のヘレナとプリムスの話からもわかるように「他者への関心」であった(あるいは労働も含まれるのかもしれないが、資本主義への警鐘という側面もあってかぼかされているように思う)。そしてまた、それをロボットという人間によく似た他者を通して浮き彫りにしたことが、この作品の演出的における真骨頂であったと言えるだろう。


(以下覚書より抜粋)
◎「自己を完成するためにのみ生きる」=他者への無関心=人間性の喪失⇒隣人愛のススメ?(現代日本との類似。自分との類似)

◎資本主義への警鐘
利潤の追求⇒低コストの必要⇒ロボットという間の使役(非人間的に使役される労働者のメタファーという側面もあると思われる)

◎創造主の否定は自らを滅ぼす?
神を軽視した人間の滅び(神に近づく行為…バベルの塔)。人間を否定したロボットの滅び。

◎ロボットと人権
人権連盟のヘレナが道化的発言をした挙句あっさり丸め込まれている様子から推測するに、ロボットへ人権を与える行為は否定的に扱われている。ここから、他者への関心を獲得していないロボットは、(たとえ人間の姿をしていても)人間と明確に区別すべき存在であるという意識が窺える。あるいは人権関連のことで何かしらの出来事や団体を風刺しているのかもしれないが、当時のチェコに詳しくないのでよくわからない。

◎人間性にこだわるヘレナが、非人間的になった人間を滅ぼす。
…しかしヘレナを裁く側として正当化してはいない模様(前述の道化的発言による)
※ヘレナのロボットに対する入れ込み様は一種の感情移入とも言える(あるいは博愛精神?)。あるいは機械に対する西欧と日本の反応の違いという視点から言えば、ヘレナのそれを日本的と評価することもできるだろう。この点、『空気の研究』における山本七平の感情移入論も合わせていずれ考えてみたい。

◎人間の非論理性、非合理性…一人の女の感傷が世界を滅ぼす
※あるいはヘレナとドミンの意味不明な結婚も、人間の非論理性を象徴している可能性がある(でなければあまりに意味不明すぎる)


(最後に)
結局、無関心や人間性といった前述の『無関心な人々』に求めたものと類似の内容だったので少し肩透かしを食らったような感じだったが、これはこれでよしとしよう。内容的に今となっては斬新さはないが、現代日本との類似を考えれば一読の価値はあると思う。


(余談)
ところで、おそらくほとんどの人が日本の車をハンマーなどで壊している写真を見たことがあると思うが、もし日本人だったら「物に罪は無い」とか言って破壊行為を否定しそうというのは考えすぎだろうか。

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