反難民・反統一通貨などを主張する「ドイツのための選択肢」が100議席近くを獲得したことがニュースになったのはつい最近のことである。寛容で知られるオランダで自由党が躍進したことや、前の記事でも言及したようにそもそもドイツがユダヤ人への戦後補償に乗り出した時は国内の半数が反対していたことなどを踏まえれば(=ドイツは一枚岩ではない)、別段不思議なことではないとも言えよう。
いい機会なので(?)、駐日ドイツ大使によるドイツ戦後補償についてのプレゼンテーションを転載してみた。特に興味深いのは、次のことであった。すなわち、時に「ドイツはナチの所為にできたので(日本と違い)楽だった」という評価がなされるが、近年の研究でドイツ国防軍などの蛮行も明らかになってきた、と自ら語った点である。これには二つ思うことがあった。
一つ目。(先のようにドイツを見る割に)日本国内では「軍部が暴走」して一般人はそれに騙されただけであるかのように言われることがあるが、これは完全な誤りである(もちろん、大本営発表が途中から正確な情報を流さなかったがゆえに、一般人が戦況を正しく評価することはそもそも困難だったということは事実だし、治安維持法のもとで今と同じように自由な発言ができたのか、という点はもちろん考慮に入れる必要がある。しかしそれは、その前の満州事変を始めとする諸々の日本の政策が一般人にとってアンタッチャブルであったことを意味しない)。あくまで戦後そういうことにして一部の人間を処刑し、もって「手打ち」としただけにすぎない。つまり日本も似たようなことをやっているという意味で「ドイツは一部の存在の所為にできるので楽だ」という見方自体がおかしな言説なのだが、以下の事実からすればさらにその言説は説得力がなくなる。すなわち、ナチ党員が850万程度存在していたこと、当時のドイツ人口はおよそ6600万程度なので8人に1人はナチ党員であったこと、そもそもナチは農村に強固な基盤を築いたところからスタートし、後に都市にも進出していったので、全国区で党員がいた。つまりナチを激しく批判した若い世代の身近(それこそ親族や隣人)にもナチ党員は存在していたのであり、遠い世界の存在に対して第三者的「神の視点」から罪を押し付けて安穏と非難できたなどという見解は成り立たないのだ(さらに言えば、アデナウアー政権下では多くのナチ党員が行政・立法・司法に携わっていたこと、また1960年代には、元ナチ党員のキージンガーのような人物が、ナチ党と後に距離を置いたとはいえ、首相を務めていたという状況も考慮に入れる必要がある)。
二つ目。ソ連軍捕虜に対する補償が問題となっていたが、ソ連軍に捕えられ、死亡していったドイツ人捕虜の扱いはどうなるのか?ということ。なるほど不可侵条約を破って奇襲をかけたドイツの側には、そして敗戦国であるドイツの側には、道義的にも外交的にもその話を持ち出すのは困難であるというのが現実的な見方ではあろう。そこに異論はない。しかし、たとえば日ソ中立条約を一方的に破棄して日本軍を攻撃し、シベリアに大量の日本人を抑留して死に至らしめた所業はどうあっても正当化できるものではない。
以上のように、ただドイツの戦後補償だけでなく、改めて戦争犯罪とは何かを考えるきっかけとなったという意味でも意義深いプレゼンテーションであったと感じた次第である。
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