二次元がすべからく現実への理想の投影であると無邪気に主張する人はおそらくほとんどいないだろう。しかし一方で、空想が現実に対する理想の投影であるという意見にもおそらく異論はないと思われる。こういった現実が、「二次元は現実への理想の投影」という考えを、直接的にではなく意識の深層に澱のように沈殿させる原因となっているのではないか?私にはそのように思える。
なるほど確かに二次元が理想と無縁ということはないだろう。しかしそれでも、両者には大いなる隔たりがあることを意識しなければ実態を大きく見誤ることだろう。以下では、二次元と現実の理想像とその距離について私の個人的な例から論じてみたい。
現実において、私は眼鏡をかけた女性に惹かれる傾向があることが最近よくわかってきた(理由不明)。もし二次元が現実への理想の投影ならば、二次元では「理想的な眼鏡美人」(て言い方も古いなあw)を求めることだろう。だが、実際には真逆なのである。例えばゲームで眼鏡っ娘が出てくると、ほぼ100%そのキャラには全く興味が湧かない(やはり理由がまったくわからないが)。いやそれどころか、眼鏡をかけたキャラがそれを外した瞬間に食指が動くことさえある(マニアックだが、虜2の由紀子はその好例)。
ここから、二次元を単純な「現実への理想の投影」と考えることはできないのは理解されるだろう。だが、感覚的な例だけに納得のいかない人がいるかもしれない。そこで今度は、二次元で食指が動く例から考えてみよう。
前に少し書いたかもしれないが、私は二次元で「ふたなり」が好きだ。最近こそほとんど飽きがきているが、一時期かなりハマり込んだことがある。くり返すが、もし二次元が現実への理想の投影なら、私は現実にも「ふたなり」を求めるはずだ。ところが、一度ふざけて現実に「ふたなり」がいたらどんな感じになるか想像したみたらその結果は…キモいだけで危うく吐きそうにすらなった。
これらの例からわかるのは、現実、二次元それぞれにおいて食指の動くものが、もう一方ではむしろ逆であることさえある、ということだ。二次元の食指やツボというものは「一般の人」には理解できないがゆえに単純化して考えられがちだが、事態はそれほど簡単ではないのである。というか、自分の現実の女性の好みを考えれば、いかにそれが混沌として不合理なものであるかわかると思うんだが(苦笑)
まあ要するに、人の好みというのは複雑なものであり、それは二次元と現実の関係にも言える、ということである。
なるほど確かに二次元が理想と無縁ということはないだろう。しかしそれでも、両者には大いなる隔たりがあることを意識しなければ実態を大きく見誤ることだろう。以下では、二次元と現実の理想像とその距離について私の個人的な例から論じてみたい。
現実において、私は眼鏡をかけた女性に惹かれる傾向があることが最近よくわかってきた(理由不明)。もし二次元が現実への理想の投影ならば、二次元では「理想的な眼鏡美人」(て言い方も古いなあw)を求めることだろう。だが、実際には真逆なのである。例えばゲームで眼鏡っ娘が出てくると、ほぼ100%そのキャラには全く興味が湧かない(やはり理由がまったくわからないが)。いやそれどころか、眼鏡をかけたキャラがそれを外した瞬間に食指が動くことさえある(マニアックだが、虜2の由紀子はその好例)。
ここから、二次元を単純な「現実への理想の投影」と考えることはできないのは理解されるだろう。だが、感覚的な例だけに納得のいかない人がいるかもしれない。そこで今度は、二次元で食指が動く例から考えてみよう。
前に少し書いたかもしれないが、私は二次元で「ふたなり」が好きだ。最近こそほとんど飽きがきているが、一時期かなりハマり込んだことがある。くり返すが、もし二次元が現実への理想の投影なら、私は現実にも「ふたなり」を求めるはずだ。ところが、一度ふざけて現実に「ふたなり」がいたらどんな感じになるか想像したみたらその結果は…キモいだけで危うく吐きそうにすらなった。
これらの例からわかるのは、現実、二次元それぞれにおいて食指の動くものが、もう一方ではむしろ逆であることさえある、ということだ。二次元の食指やツボというものは「一般の人」には理解できないがゆえに単純化して考えられがちだが、事態はそれほど簡単ではないのである。というか、自分の現実の女性の好みを考えれば、いかにそれが混沌として不合理なものであるかわかると思うんだが(苦笑)
まあ要するに、人の好みというのは複雑なものであり、それは二次元と現実の関係にも言える、ということである。
こちら、かわぴょん。
私はSS書きですが、アイデア様が私の頭の中にあるうちは『空想』だと思います。で、私は言葉使い師なので、言葉を使って私の空想を表現します。想像で創造ですね。
表現の手段は、文章だったり、音楽だったり、彫刻だったり様々だと思うのですが、『二次元』というジャンルもその表現手段の一つに過ぎないと思います。
そして、二次元が理想であるとするならば、それが誰の理想なのかというのが私も疑問です。制作側が求めるのは作品に対する共感であり、それがもたらすお金であると思いますが、二次元という世界があるわけではないので、理想を表現する手段として二次元が存在する結果、多くの共感を得られる二次元作品や二次元世界は理想と同じ意味を持つのではないかと。
私にしてもゲームの行殺で何をどうやっても近藤勇子が死んでしまうので、『だったら私が私の理想とするエンディングを作り出してやる』というのがSSを書き始めた最初です。 同人をやる人ってのは、金目当てや自己主張を除けば、その二次元作品の世界に満足出来ず、さらに自己の理想を展開している人達ではないでしょうか。
この記事の意図は、二次元と現実の女性の好みが同じとは言えないことを書き、エロゲー(とその広がり)を安直に犯罪と結び付けようとする見方を暗に批判することでした。
なので、「二次元の理想」という非常に大きなテーマで考えてくださったことに、やや恐縮しています。二次元の理想については「終わらない日常」やドラゴン桜の提示するもの(≒下克上?)などが挙げられるでしょうが、いつか機会があれば書きたいと思います(創作とは、というレベルまで話がいきそうなのでいつになるかはわかりませんがw)。とりあえずは、読者の理想を体現することもあれば、読者の理想を作り出すこともあると指摘するだけに留めておきます。
行殺の話、よくわかる気がします。だからこそ、時代小説は人気を持ち続けているのでしょうね。