フラグメント61:対話形式の名残

2009-03-14 00:22:11 | フラグメント
今回取り上げるのは全て8/1のものですが、ここでは今は昔の対話形式が登場いたします。題材は…まあ分かる人には分かるし、わらかない人にはわからないと思いますがそれでいいのです。後者にとっても狂人日記として読みうるわけですし。なお、頭がグラグラするにはまだ早すぎますが、皆様に置かれましてはゴミ処理に付き合わない自由があることは言うまでもありません。その点ご留意を。


<英語のしくみがクリスト>  cf.「うまいは正しい
欺瞞の確認作業、予定調和への嫌悪感だろうか?お前はサーモンがうまいかまずいか賭けてるのか?違うだろ。そこには約束された悦楽があり、それを味わうために、確認するために行くんだ。ちょい待て、それは「旅のラゴス」を十回読み直すのと同じで、動物的感動を求めて色々な本を消費するのとはちゃうぞ。ラゴスの生き方に引かれる。なるほど、しかしラゴスも予定調和じゃね?いや、そこに欺瞞を感じないからいいんだよ。動物的消費の肯定…個人的嗜好の領域に止まらない。雰囲気、空気に流されるだけの人間を大量生産するだけだ。


<ほしのあきワキ NeW Ban>  cf.「時計仕掛けのオレンジ
なぜそういうお約束の横行がいけないの?予定調和に過ぎないからアレックスでいい。じゃあ食物で考えてみようか。満腹なのに食おうとするかね?しない。じゃあアレックスにはならないだろ。自分で調整するさ。たぶん両者で認識の仕方がそもそも違う。彼らは食物(消費財)感覚で、君はそれ以上の何かだと思う。その違いに過ぎないのでは?それを批判することはできるのか?需要と供給。踊らされていることへの苛立ち。文学の衰退のように思われてが、単にニーズを把握してなかっただけ。感動の動物的希求…属性の話。誤解恐れずに言えばとファーストフードと手作り高級料理の違い


<本社に寄る>  cf.「しあわせの理由
しかし君は、グレッグイーガンを抵抗なく受け入れられる。確かに「しあわせの理由」は名作だね。健常と病気の反転が。でもああゆう「しあわせ=脳内の神経作用に過ぎない」的見方は彼らの態度への嫌悪感とリンクしないの?俺はいつから論理至上主義者になったのか?彼らは感情を動物的に貪る「だけ」だからイラツクのであって、感情を否定した覚えはない。それ同じじゃん?統一的な自己がフィクションであるという感覚と、それを今だに信じている人たちへのアイロニーとして好きかも。だから傑作とは思えない?実生活のレベルで考えるようになったら違った反応するかも。


<申請→報告書、黒雨クロサメ>  cf.「君が望むサバイバーズ・ギルト
「しあわせ~」ロボトミーの逆、医療の目的は何ね?dis-easeを治すこと…不安な状態にある人の脳をいじって欝にならないようにするのは罪か?自然状態にすることが大事なんやろ。癌の延命治療は自然状態か?老人を生き長らえさせることは自然か?人工的に作り出すことやろ。じゃあ苦しんでる奴を苦しまなくするのは何が悪いんや?少なくとも、その手術をしようとする人間の価値観を否定する資格はあるのか?じゃあ気持ちいいものしか消費したくない価値観を否定する資格は君にはあるのかい?


<ココロ2の教師はど真ん中>  cf.「「共感」の病理
しかしそれは痛みから免れるためであって、日常にいながら病的に物語を消費することとは違うと思うが。君は彼らが日常をどのようにして過ごしているかわかるのかね?まさか、共感で述べた通りだ。わからないところのものが病気で苦しんでいる状態とどのように違うのかどうしてわかるんだい?確かにそれを決めることはできない。しかし、例えばやたらに傷ついたとかいう心性に繋がるならアウトでは?流される大衆の危険。君が確固たる意見を持っているならそんなもん気にしないでいいんじゃ?でも世論がある。売れて経済が潤う、は苦々しさの誤魔化し。
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