杉森神社の物語(東広島市河内町)癒しのある風景

人生は、実験の連続。愛される神社を目指して頑張っています。祭りとは奉ること。ご祈願毎に神饌をかえ丁重なお祭りをします。

7月の日記1 告別 岩戸別神社しめ縄作り

2012-07-02 06:07:21 | 神職・宮司になるためコーナー

7月1日

チャーター=船、バス、飛行機などを一定の契約で使うこと

 

本日の月次祭は、急きょ午前9時に変更させていただきました。

直会のお話しもゆっくりとできず、参列者には大変恐縮ではありましたが、西条の斎場に定刻前につくことができました。

先々代の宮司さんの神道式の葬儀です。学校の先生をされていたことから、学校関係者の方々が大変多く参列されておりました。

神道式の葬儀では、故人の生前のご功績をひとつひとつ申し上げ、大変わかりやすい葬儀となります。弔辞でも故人の生前のご様子を縷々称えられます。

再々杉森神社宮司としてのご功績のことがでていましたが、ひとつ大事なことがありました。

先々代の宮司さんは、杉森神社の宮司に就任してすぐに、拝殿、祖霊社、岩戸別神社(通称王子の宮)などの修復工事、そして単立神社(包括団体を有さない神社・将来の後継者宮司就任が非常に困難な神社)であったものを神社本庁の所属(被包括法人)とされたことです。

そのことがいかに大切なことであったか!。そのことにより先代の宮司就任もでき、そして私の宮司就任ということもできたのです。あのまま単立神社であったならば、神社本庁所属の神社の神職が杉森神社の宮司になることは困難となり、結果的に宮司欠員となり、法律的には不活動法人(法律上、解散させられる可能性のある神社)とならざるを得なかったわけです。

当時の先々代宮司としての先見の目、そしてそれに理解を示された責任役員、総代の皆様のお蔭で今の杉森神社があると思います。

病にふされ、一度もお会いすることができませんでしたが、確かな道筋をつくられた偉大な方であったと思います。

特に、境内に植樹されました榊は、今や神域の厳粛さを保つものになっています。

榊は、神さまが宿られる賢木(さかき)栄木(さかき)とも言われます。その榊が境内にたくさん立っていることで、不思議と清い空気が流れているようにも思われます。

多くの功績を残された先々代の宮司さまの御霊安からんことを心よりお祈り申し上げます。

 

 

午後からは、形代申込者で参列ができなかった方宅へ形代をお届けするとともに(途中、溝に脱輪してしまい、あわてました・・)、兼務社「岩戸別神社」(通称、王子の宮、7月14日(土)午後7時例祭、その後「夜神楽」奉納)の注連縄作りを行い、日が暮れる前に、月次祭の片付けをし、バタバタの一日となりました。

呉から参拝のあったNさん、すいません。留守となりました。

 

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