木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

永山則夫という存在と裁判員制度、死刑、重罰化

2009年10月24日 | Weblog
死刑囚永山則夫28年間の獄中対話」(NHK・ETV特集)。
先週の番組だが、裁判員制度や、最近の厳罰化、死刑執行に対する反論の材料を提供する意図があると感じた。
私は、永山則夫の起こした事件や彼のそれに至るまでの悲惨な子供時代は、テレビ番組等で断片的に知ってはいたが、彼の著書はまだ読んでいない。
日本の敗戦後間もない1949年北海道釧路に生まれた永山。父は腕のいいリンゴの剪定士だったが、ギャンブルに溺れ家族を捨て出奔。
8人の子を抱え、生活に窮した母は、実家のある青森に帰ろうとしたが、子供達全員を連れて帰る汽車賃がなく、永山は置き去りにされる。後に母に引き取られるが、その間、則夫は他の置き去りにされた兄弟と共に、港で魚などを拾って飢えをしのぐ極貧の生活を送った。
捨てられた子供はずっとそのことを恨み、捨てた母も罪悪感を持ち続けた。その気持を綴った母のメモが紹介されたが、カタカナしか書けない人だが、自分の心境を語る確かな表現力があって、のちに文章で表現する才能を発揮した永山の資質は「ああ、この母から受け継いだものだったのか」と理解した。
母に引き取られた後も極貧は変わらず、貧しさゆえに学校ではいじめられ、あるいは無視され、不登校状態で、殆ど漢字を書くことはできなかった。
しかし集団就職で東京の果物屋に就職。まじめな働き振りが認められ、ようやく彼の人生にも光が見え始めたかと思った頃、青森時代の万引きで補導されるような不良少年の過去が知られ、店を飛び出す。
過去を知られ、ほじくり出されることは永山の何より嫌悪するところだったのだ。ここから転落の人生が始まる。
都会をさまよい、何度も死のうと思ったが死に切れず、偶然手に入れた拳銃で4人を射殺する事件を引き起こす。
1968年秋、永山則夫19歳。
獄中で猛然と読書と学習を開始した永山。独房で読んだ本3000冊。当時の学生達が殆ど流行のようにして読んだマルクス主義の哲学や経済学の本も多数含まれていた。
「貧困は人間関係を破壊する」という真理に到達した永山は、読書と学習の記録ノートを「無知の涙」と題する著書として出版する。
2か月で6万部を売るベストセラーになり、その印税を永山は被害者の家族に送るようになる。
マルクス主義に目覚めていた永山にとって「自分と同じような立場の労働者を犠牲にしてしまった」ということが悔やんでも悔やみきれない事実だった。
彼が犠牲にしたのはホテルの従業員、警備員、タクシー運転手と言った人たちだった。
印税を拒否した遺族もいたが、幼い子のいる家庭などではこの印税を受け取ったのだ。
永山の「無知の涙」を読んで手紙を寄こした女性がいた。アメリカに住む和美という女性だ。
彼女はこの本を読んで、母から見捨てられる=この世のすべてから見捨てられるという同じ体験をしている永山にひどく共感したのだ。
和美は1955年沖縄生まれ。フィリピン人の父と日本人の母の間に生まれたが、母は自分の戸籍に和美を入れず、彼女は無戸籍のまま少女時代をすごす。彼女を育てたのは祖母だった。
戸籍がないため、高校へも行けず、免許も取れず、結婚もできない。
そんな彼女が永山にならなかったのは、かわいがって面倒を見てくれた祖母の存在ゆえだった。もし祖母がいなければ「私が永山になっていた」。
アメリカに渡った経緯は番組では詳しく触れていなかったが、この和美と永山則夫は獄中結婚する。
以後和美が永山の窓口になって、遺族の家へ出向き焼香を申し出る。
3家族が焼香を受け入れ、2家族は印税を受け取った。先にも書いたように印税は子供の教育費、あるいは病院代に使われた。
和美はまた永山が嫌悪した母を探し出し、病気のために殆ど物乞いのような生活に陥っていた母を病院に入れ最後の面倒を見た。
この頃には永山はすでに母を憎まず、貧困こそ憎むべき現実だという心境に達していた。
希望の見え始めた永山則夫の人生、1981年8月21日の東京高裁2審の無期懲役判決は「生きて償い続けろ」という永山への審判だった。
しかし検察の控訴により無期懲役は差し戻され、最終的に90年5月最高裁で永山の死刑は確定する。
無期が差し戻されてから4年後、永山は和美とも離婚。弁護団も解任している。
永山自身は再審の請求は一度もしていない。4人の命を奪った事実はあくまで消えない事実だからだ。
自分から生かしてくださいとは言えない。だけどもし生かしてもらうことが許されるなら、生涯を償いに捧げるというのが永山の気持だった、ということが番組からのメッセージだった。
97年8月1日死刑執行。永山則夫48歳。
拙速な裁判、思い込みを正す時間もなく、メディアの誘導のまま、重罰に導かれる。
今の「裁判員制度」からはそんな筋書きしか見えてこない。
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4 コメント

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裁判官の心証について (至誠堂)
2009-10-29 22:12:55
昨年、北海道へ行った時、小樽文学館に「永山則夫」のコーナーがあり、いずれ読んでみようとは思ったのですが、まだ永山の著作は未読です。ネット上だけの付き合いですが、永山の著作をかなり詳しく読み込んでいる人がいて、「人民を忘れたカナリアたち」を書いたことによって、裁判官の心証が影響して、無期が死刑に変わったのではないかと推測していました。いずれ「永山則夫」について考えてみようと思っています。
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永山則夫という存在のインパクト (里村)
2009-11-02 01:39:11
「人民を忘れたカナリア」たしかに今の裁判所、裁判官はそういう傾向がさらに強まっている。
これから変わるのでしょうか。
著作を読まず論じてしまう人物、永山則夫。それだけインパクトの強い彼自身、彼の人生。
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正義の押し売りはやめて (あい)
2010-07-12 00:39:24
迅速な裁判、重罰、死刑大賛成。
こんな奴に28年間も無駄飯を食わせたくねー
俺の税金返せ。
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急がばまわれ (里村)
2010-07-16 01:33:26
あいさんへ。
あいさんがおっしゃるような税金の無駄使いをなくすためにも、犯罪を誘発しない社会、再犯をおこさせないような、受刑者の更正のありかたが求められるんじゃないでしょうか。
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