木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

米軍基地は日本に無用、これが民意

2010年04月24日 | Weblog
米金融大手6社黒字(1~3月期)というニュース(4月22日付信濃毎日新聞)。
にわかには信用できない。何か裏操作があるのでは?と疑ってしまいたくなる。
何しろ、あの詐欺商品「サブプライムローン」を売りまくって、アメリカの低所得層を地獄に突き落とし、複雑な金融商品を考え出し、その商品を購入したヨーロッパ諸国を始めとして世界各国を金融危機に陥れた犯罪者達がいち早く立ち直って黒字化って、素人の直感としては「有り得ないでしょう」というところだ。
金融と軍事で世界を荒らしまわる「アメリカ」という国を信用してはいけない。
距離を保って、いつでもそのエリアから逃げ出せるように日本もしておくべきでは・・・。
民主党支持率激しく低下。
昨年の総選挙で、民主党が打ち出した「コンクリートから人へ」のスローガンを政策の一つ一つとして着実に実行していればこういう結果にはなっていないだろう。
なぜか、それがふらふらとゆれているものだから、国民の失望を招く結果になってしまっている。
「コンクリートから人へ」ということで言うと、沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題は、軍事の問題であると同時に「人を大切にする政治」への転換の問題だと思う。
住民の命がおびやかされるような施設が「安全保障」の名の許に存在するおかしさ。
アメリカの安全保障になってはいても、日本の安全保障にはなっていない米軍基地。
しかもその基地予算の多くを日本が肩代わりしているという現実。
基地というムチをごまかすための公共事業というアメが一部の企業だけを潤し、その他大勢の人々の生活にはまるで役立っていないという事実が、今沖縄、そして新たな移設先として名指しされた鹿児島徳之島の人々に共有されている。
もう鳩山首相の取るべき態度は絞られた。
「危険な普天間飛行場は閉鎖し、米軍基地には撤退してほしい」と、アメリカに申し入れることだ。
保守系新党乱立。
自民党という名前では選挙は戦えない、自民党という名前では、政権には入れない、というあせりと自覚が自民党議員を新党に走らせる。
50年もの長きにわたって政権を維持し、その失政の膨大なツケゆえに政権から降りざるを得なくなったわけだから、そうやすやすと復権させてはならないし、なるべきではない。
テレビで国会中継など見ていると、自民党議員のやることといえば民主党の政策のもたつきの揚げ足とりばかり。
民主党が国民の負託に答えているとはとても思えないが、「あんたに言われたくない」と、私が代りに突っ込みをいれている。
今民主党が迷走しているのは全て自民党政権の「負の遺産」ゆえである。
自民党を離党し、新党の代表になった舛添氏が「首相になってもらいたい政治家」で、一番人気だそうだけど、それはマスコミが作り出した虚像だろう。
あの人相を見て、この人が首相にふさわしいと思う人の感性が全く理解できない。
テレビに露出度が高かったということと、マスコミが挙げて持ち上げるという構図の中でのことだと思う。
阿部晋三氏の時と同じだ。
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上越高田の町へ

2010年04月17日 | Weblog
今年の春は寒さがいつまでも続くが、そんな中上越高田城址の桜見物に出かけた。
第一の目的は桜ではなく、雁木のある高田の古い町並みを歩くこと
高田の駅に降りると、駅前はいきなりのマンション群。
これにはびっくり。高田の町がどのような経過でこのような景観の町になったのかはわからないが、そもそもこういう町ではなかったはずだ。
駅前はそんな感じだが、少しわき道に入ると、昔ながらの雁木のある通りが残っている。
よそから来ると風情を感じさせる通りだが、ここに住む人はどうなのか。高齢者の住む町という印象だ。
一方、高田城址の桜見物の後、帰りに通った「現代の雁木」とも言うべき高いアーケードの新しい商店街は、町並みは立派だったが、どの地方都市にも共通な現象だが、ひっそりとしていて、商売は成り立つのかという思いがよぎった。
この整備された町並みは自民党政権下で行われてきた「公共事業」の一環だったのだろう。
かくして町並みは立派になったが、人は去った。
大都市の住環境や物価高を思えば、地方で生活するメリットは多いにあると思うが、子供を持つ家庭にとっては、子供の望む教育を最大限かなえてやる収入を確保することが、今この時代、地方で得られる仕事による収入ではなかなかむつかしいという問題がある。
この問題を解決するのが、北欧諸国政府が実行している「教育の無償化」ではないか。
どこに住んでいても、家庭の収入に関係なく、きちんとした教育を受けることができれば、高い収入を求めて、大都市に住む必要はないのではと、ひっそりした町並みを歩きながら思ったことだった。
昨年の個人誌「木洩れ日」13号で、アンデルセンの童話について書いたが、最も有名な童話の一つに「人魚の姫」があるが、人魚の娘が登場する童話を書いた日本の作家がいる。
赤いろうそくと人魚」の小川未明だ。上越市出身で、高田城址のエリアにある市立図書館には小川未明コーナーがあって、そこではパネルシアターで、朗読が流れている。
「赤いろうそくー」では人間の世界にやって来た人魚が、結局人間の欲望に利用され、しかし利用しようとした人間も滅びてしまうという、「人魚の姫」以上のすさまじいお話になっている。
子供のいないろうそく屋の老夫婦に人魚の赤ん坊が拾われるというところは、「かぐや姫」を連想させ、人魚の娘を見世物にするために買いに来た男に、金に目がくらんで売り渡してしまう老夫婦には「夕鶴」の与ひょうが重なる。
「小川未明の世界」というパンフレットを購入した。
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米中二つの大国の病い

2010年04月11日 | Weblog
米軍兵士にとってのイラク戦争『ハート・ロッカー』。
今年の米アカデミー賞の作品賞を獲得した作品。
興行的に圧倒した3D作品『アバター』を抑えての受賞だった。
イラクで爆発物処理の任務につく兵士の物語だ。
宇宙服のような重い防護服を身につけて、街なかに仕掛けられた爆発物の遠隔操作線を切断していく。一歩間違うと木っ端微塵に体がバラバラになる危険な作業だ。
その作業をイラクの市民が遠巻きに見守る。米軍兵士からみれば、この市民のうちのの誰かがこの爆弾を仕掛けたのかもしれないという疑心にとらわれるだろう。
こんな戦争をアメリカはベトナムで、アフガンで、イラクで展開してきた。
敵の兵士というはっきりわかる相手ではなく、市民の中に紛れ込んだアメリカに敵意を持つテロリストと戦う消耗戦だ。
中国に侵略していった日本軍が、村々で残虐な行為を繰り返した焦燥感は、ベトナムやイラクやアフガンで過剰行為を犯してきた米軍兵士と共有されるものだろうと画面を見ながら思った。
爆弾処理という神経消耗戦に、任務終了期限をひたすら渇望しながら従事する米軍兵士の姿が最大の反戦の主張になっていた。
「自分は何をしてるんだ、いったいこれは何のためなんだ」、米軍兵士たちはきっと何もわからなくなり、そういう中で命を落としていくのだろう。
『中国の植物学者の娘達』と死刑執行。
06年に公開された映画だが、ミニシアターでの上映で鑑賞。
『中国の小さなお針子』のダイ・シージェ監督作品。
雲南省昆林の植物園に孤児の若い女性ミンが研修のためにやって来る。時代は1976年。
その植物園で研究に従事するチャン氏は、娘のアンに専制的に対しながら、助手に使っている。
新参のミンにも厳しい態度でのぞむ。
湖に浮かぶ植物園は対岸の町とは渡し舟を自ら漕いで渡るのだ。
アンにとって同世代のミンの存在は新鮮だった。
2人は次第にお互いに愛を感じるようになる。アンには軍人の兄がいる。
父親であるチャンはミンを息子の嫁にと思う。
2人がずうっと一緒にいるために「兄と結婚を」とアンは勧め、ミンはそれに従う。いかにも人生をまだ知らない若い娘の考えだ。
アンの兄とミンの新婚旅行はさんざんで、兄は遠い赴任先のチベットに去り、ミンは植物園に戻ってくる。
この時点から、父のチャンを2人は気にしなくなる。父は専制を失う。
そして決定的な場面を父は見てしまう。ミンを攻撃しようとする父をアンが後ろから攻撃し、父は倒れる。心臓に持病がある父は病院で亡くなった。
父は亡くなる直前、「自分の命を奪ったのは心臓の病ではなく、娘達の同性愛だ」と言い残す。
裁判にかけられた二人に出された判決は「死刑」だった。
ここで、つい最近、中国で薬物所持の罪で死刑を執行された日本人のことが頭に浮かんだ。
中国では薬物所持や使用の罪は重く、また汚職の罪も重い。
その罪に対して死刑が執行されてきた。
同性愛が死刑の対象になった事実があったのかは知らないが、中国での死刑執行には驚くことが多い。
しかし、日本もまた死刑制度維持国である。前政権では、この数年の間に年数名の単位で執行されてきた。
今回の日本人死刑執行に強く抗議できない日本がそこにある。
ダイ監督の主眼は、文化大革命によって失われた中国の青春だという。
ミンが植物園に来た時、お土産に持って来たインコだったかオウムだったかが覚えていたのは「毛沢東、万歳」だった。
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米軍基地という「いじめ」には反撃の意志を

2010年04月02日 | Weblog

参院選の民主党勝利に執念を燃やす小沢幹事長。
当長野県区でもこのほど二人目の候補を小沢氏主導で決定した。
民主党県議の高島陽子氏だ。
小沢氏が候補として推す人は女性が多く、その大半が、NGOやNPOなどの市民活動を経験して来た人達だ。
その候補選びの清新さと小沢氏自身の政治手法や政治活動の古さにギャップがあり、これがなぜなのかよくわからないけれども。
長野県の状況で言えば、2人区で1人候補では、もう一つの議席はみすみす自民党に渡すことになる。それは許さない、自民党を徹底的に追い詰めて壊滅させる、小沢氏の執念のようだ。
自民党出身で、自民党に育てられた小沢氏がそこまで自民党を壊滅させて何をどうしたいのか、これもよくわからない。
「選挙ゲーム」にだけ関心があるようにも見える。

日米安保同盟」8割が肯定という世論調査。
日米同盟は大事だ、大事だという自民、民主など大半の政治家、及び政府、マスコミ、一部の学者や評論家の声高の主張が功を奏しているかのような結果だが、各項目になると意見は割れる。ここに国民の素朴な考え方が表れているようだ。
「核の傘」の必要性、憲法九条改定では意見は二分された。
「被爆国」として、核の傘を無邪気に信じる気にはとてもなれないし、今まで60年以上戦争しないでやってきたのだから、これからもそうしていきたいという平均的な考え方ではないだろうか。
「日米同盟堅持・深化」という考え方は、米ソの冷戦時代の考え方であり、経済を中心にしてあらゆるものがグローバル化している現代では国対国の戦争は考えにくく、あるのは「テロとの戦い」のみ。
それもこれまでアメリカやイスラエルが犯してきた数々の不正義、犯罪への抵抗、抗議としての個別攻撃であるから、日本が中東諸国に不正義を働かなければ、「テロ攻撃」を受ける理由が無い。北朝鮮、中国もしかり。経済的問題、漁業海域や領土問題は粘り強く話し合い、妥協点を見出すしかない。
「日米同盟」「日米同盟」と念仏のように唱える必然性はまるでない。
あえてけんか腰になる必要はないと思うけど、思考停止に陥って、普天間飛行場の移設先をさがすおろかしさ、おかしさ。
アメリカというやくざのボスに「お願いだから、日本から出て行ってくれないか」と言うぐらいの勇気は持ってほしい、政治家ならば。
最初ボスは「何を言ってるんだ」と恫喝に出るだろうけど、今まで言いなりだった相手が勇気を持って自己主張すれば、はるか下に見下していた相手に反撃されて動揺するというのがこの世のならいだ。
理不尽な「いじめ」には「やめてくれ」と反撃するしかない。言い返せないと相手はどんどん図に乗ってくる。職場や学校のいじめとこれは一緒。
今がチャンス。オバマ政権は内政に手一杯で、不正義な他国への攻撃をやめるという政治決断に手をつけてはいないが、日本国民の、沖縄県民の意志は伝えるべきだ。

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