木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

自己資金政治家鳩山由起夫

2009年11月28日 | Weblog
鳩山首相の「政治資金虚偽記載問題」。
何が問題なのかは私にはよくわからないが、母親の安子さんが原資の資金を右から左へ融通していた、つまり贈与税を払わなければいけないのにそれをしてこなかった「脱税」に相当する、ということが一番問題かと・・・。
ノンフィクション作家の佐野真一氏によれば、鳩山氏の母安子さんの父石橋正二郎氏は、一代で「ブリジストンタイヤ」を築き上げた。
成功の始めは炭鉱夫たちが坑内で働くための地下足袋。足袋の底にゴムを張った。これがまことに使い勝手がよくて、爆発的に売れた。
富の社会還元を考えた人で地元、福岡の久留米だったかちょっと忘れたが、プールを作ったり、美術館を作ったりもした。
だから娘の安子を政治家の鳩山家に嫁がせ、世のため、人のための政治をする政治家に資金援助することは石橋氏の意思でもあった。
大企業ブリジストンタイヤの大株主でもある母安子さんの財産は、新党さきがけや民主党の立ち上げの際の資金に使われてきたわけだ。
「政治資金規正法」は、鳩山さんのような豊富な自前の資金を持っている政治家を想定していなくて、妖しい金をかき集めなくてはならないような議員を規制するためなのだろう。
しかし、いくら身内の金でも、国会議員たる者、やはり透明にしなくてはいけない。
就職氷河。
安定した職を求めて、リクルートスーツ姿の大学生が企業説明会に殺到する。
何か哀しくむなしい風景だ。しかし「一抜けた」とやると、フリーター、そしてホームレスの未来しか待っていないとなると、この姿を批判することもできない。
しかしこの社会のあり方、働き方何とかならないか。
大企業時代は終わりつつあるように私には思えるのだが・・・。
高度経済成長時代にはモノを作れば売れた。どんどん作って売っていればよかった。しかしそういう時代は過ぎた。
リサイクル店に行けば、安く日用品は手に入る。田舎に住めば近頃空き家が増えたので、低家賃で借りることもできる。
あとはネットワークは必要だとは思うが。
働き方、生活のあり方を変えれば、行く道は見えてくると思うのだが。
高度経済成長時代は終わったと言いながら、働き方、生活のありかたは、いつまでもその時代を追っている。

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物かゴミか

2009年11月23日 | Weblog

ゴミ屋敷・ゴミマンションは現代の病理。
テレビのワイドショーなどで好んで取り上げられる話題が「ゴミ屋敷」。
家の周辺にまでガラクタを積み上げて、臭いもひどく、近所の人は眉をひそめている。
「片付けたら、捨てたら」などと助言しても「これは必要なものでゴミじゃない」と言い張る、というのがお決まりの構図。
「ゴミ屋敷」なら変わり者の所業、と切り捨てて済ませられてしまうが、部屋の中にゴミを積み上げている「ゴミマンション・ゴミアパート」も増えているという。
こちらの方は、年令、職業を問わない。つまり普通の社会人が、自分の住まいを、自分だけでは処理しきれないほどのゴミの山にしてしまうのだ。
NHKの「Atoz」という番組はこの問題を追った
番組のディレクターは、昨年、昨々年に日本の貧困問題を追って「ワーキングプアー」つまり、一生懸命働いているのに貧困から抜け出せないどころか、益々貧困に陥っていく労働実態を日本中に広く知らしめた人であった。
数年にわたってゴミをためてしまい、業者に片付けてもらった人に取材していたが、
40代の主婦は夫が自分や家庭をかえりみず、掃除なんかどうでもいいやと生活が投げやりになって行ったと語り、
IT関連の会社員の30代の男性は、仕事で疲れて帰って来て、部屋はただ寝るところだったと言い、
看護師の女性はネット上のゲームにはまり、部屋にいる時は殆どパソコンの前に座ったままの生活だったと告白していた。
そこには孤立し、疲れ、生活意欲を失った人たちの姿があり、ゲストの評論家斉藤貴男氏は、「どこまでも便利さと消費を追求する現代資本主義社会の病理がそこに見える」と評した。
現代という時代は生活するだけでゴミがたまるのだ。都会で一人暮らしなどすれば、コンビニの弁当のカラにカップ麺のカラ、洗濯をすれば洗剤の空き箱、シャンプーのボトルに化粧品の空き容器。
便利だけどゴミがたまる。
ゴミ難民、環境難民という用語が大分前から私の頭にはあった。
ゴミの分別は年々厳しくなり、ゴミ出しの日時も決まっていて、それに外れた生活をしていると、ゴミを出すタイミングも失ってしまう。
ゴミをできるだけ出さない生活をこれから私達は目指さなくてはいけない。
そのためにはゴミがどんどん出るような商品を作る社会からの脱却が必要なのだが、GDP信仰に凝り固まっている人々がこの病理から抜けるのは至難か。
ゴミ撤去の業者も大忙しだが、ゴミとまで行かなくても「遺品整理」のビジネスも需要が急速に高まっているようだ。
遺族が整理しきれないほどの大量の物、という場合もあるが、圧倒的に多いのは一人暮らしの「遺品整理」だ。
私も今意識的に「品物整理中」。どこまでできるかわからないけど、年を取れば取るほどこういうことはおっくうになるので、できる間にと思うのだが、良寛さんのようにほんの小さな空間に身一つ、と言うわけに中々行かない。
新品で手つかずのものはバザーやリサイクル店に。
中古だが、まだ充分使えるものは市がやっているリサイクルセンターへ。とにかく物を取り込まないよう注意している。
高度経済成長以前の時代にも、だらしない人も、気分が沈んで何もする気力のない人もいたはずだが、ゴミ屋敷にもゴミ長屋にもならなかった。
物を自由に手に入れられるようになって、人はしばらく夢中になって物を買ったが、もうそんなにいらないんじゃないか、と思うようになっている。
「需要拡大」で景気回復をというが、需要の中身はもう大量の物ではないはずだ。

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以前の住人の荷物は外へ

2009年11月15日 | Weblog

先週の話題は「行政刷新会議」による事業仕分けとオバマ米大統領来日か。
「行政刷新会議」については、仕分け人の人選に問題があることが浮かびあがった。
まず連立を組む国民新党、社民党からは誰も入っていない。これには両党から抗議が。
そして民間から選ばれた仕分け人の中には前政権の、特に小泉・竹中構造改革路線の推進者が要所、要所に配置されていている。
小泉・竹中構造改革ノーが国民の意思だったはずだ。
前の日記で、東欧諸国に広がる格差について書いたが、社会を変えるにはそれ以前に権力を持っていた人たちをまず一掃しなければならない。
キユーバという社会主義国がある。アメリカの目の前で、その経済封鎖に苦しみながら50年、格差のない社会を作る努力をしてきた。
いつ崩壊してもおかしくない状況を何とか乗り越えてきたのは、それ以前の政権下で「いい思い」をしてきた階層の人々がすべて去ってしまったからだ。
堀田善衛氏の「キューバ紀行」には、「みんな行ってしもたもんね」と、妙な関西弁をしゃべるタクシー運転手の感想が書かれていた。
社会のエリート層を形成していた技術者や専門家が、革命を嫌ってアメリカに去ってしまったために、当初、素人集団ばかりになってしまったキューバ社会は混乱し、困難をきわめた。
反革命側は、機会を見て反撃するつもりで、それはアメリカ支援の下何度も試みられるが、いまだ成功していない。
「官僚の抵抗」がよく言われるが、官僚は権力者ではない。官僚に権力があるかのように錯覚させたり、実際そうさせてしまったのは政治家の責任であり、正していかなくてはいけないことだ。
前長野県知事田中康夫氏がよく言っていた「パブリックサーバント=公僕」それが役人のはず。

国民から見えやすいところで、公開で行われるという点がこのやり方の光とするなら、切りやすいところから、ばっさり切っていくというやり方は影の部分と言える。
米軍への「思いやり予算」に切り込むのはいいとして、まっさきに切る材料が米軍基地で働く日本人従業員の給料というのでは・・・。
米軍用の住宅建設費や水光熱費、こちらのほうこそ先に切り込んでほしいし、切り込むべきだ。
オバマはゴルバチョフになってしまうのか。
アフガンでの軍事行動をどうしていくのか、多分、オバマ氏はどうしていかねばならないかはよーくわかているはずだ。
しかし、まだ凶弾に倒れるわけにはいかない。オバマ氏のあいまいな態度に、それを感じてしまう。

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特権から特権へ、東欧諸国の今。

2009年11月09日 | Weblog

ベルリンの壁崩壊から20年。
というので、NHKはBSで、あれから20年、かつての東側の人々の今を追う特集を組んでいる。
東側の人々が望んだのは言論、思想、移動、職業選択の自由、そして「物質的豊かさ」。
しかし今、東側の多くの人々の現実は、世界的金融危機もあって、西側の人々の下に位置するというもの。
ドイツでは国が一つになったものの、東ドイツ側の多くの人々は2級国民として格差社会の底辺に沈んでいる。
東西の冷戦が崩壊して、資本主義がグローバルになった時、西側の資本家達がしたことは、東の安い労働力と、豊かな物質に飢えていた人々の購買意欲を利用することだった。
資本主義制度に慣れていない、非効率な国営企業の数々は、西側資本の進出によって、たちまち倒産に追いやられた。
そして、金融危機によって、西側の工場が引き揚げてしまうと、東側諸国に残ったのは、廃墟となった国営工場と失業者だった。
資本主義社会の物質の豊かさに惑わされて、東側独自の産業を育ててこなかったツケが今、東の人々を苦しめているのだ。
「かつての社会主義体制の方がよかった」という、ノスタルジーと同時に、その社会主義は崩壊してしまったというトラウマが「再び人々に平等を」とは言いにくい空気を生んでいるとも。
しかし、東側諸国のすべての人が敗者になったわけではない。
平等が崩れて格差が広がったのだ。
勝者になったのは、かつて特権を得ていた社会主義政党の幹部や官僚達だ。
血を流さず、体制が移行したハンガリーでは、旧体制の幹部達がそのまま、特権や情報を独占して、失業して苦しんでいる人たちを尻目に富を得ているのだった。
考えさせられた。社会が変わる、あるいは変える場合には旧体制で権力を持っていた者はすべて退場しないと、新しい仕組みにはならないのだ。
ハンガリーでは人々の不満が高まり、排他、排外的な極右政党が影響力を強めている。
右往左往し、浮遊しているのは日本だけではないようだ。

沖縄米軍基地問題の背景。
それは「八ッ場ダム」と同じ構造だという。
つまり、無駄な公共事業でしか生きていけない構造を長年の自民党政権が沖縄に押し付けてきたのだ。
普天間飛行場を名護市辺野古沖合いに移設を望んでいるのは米軍というより、それによって工事を受注できるゼネコンや土建業者の方だと。
冷戦終焉後、沖縄の米軍基地が本当に必要なものかというと、もうそこに意味は殆どない。
ではなぜ米軍はそこにいるのか、日本政府が「どうぞいてくれ」と、思いやり予算までつけてくれているという理由でしかない。
駐留経費が自前で、となれば、もうアメリカはその負担に耐えられない。そうまでしている理由はとうに失われている。
今日8日、普天間飛行場、沖縄県内移設に反対の沖縄県民大会が開かれた。NHKは午後7時のニュースでかなりの時間をとって、このことを伝えた。今までにないことのように感じた。
飛行場のすぐ脇にある小学校を取材して、戦闘機の爆音のひどさを報道した。
あのような近さで軍用飛行場があるということが驚きだった。私は今まで知らなかった。
小学校の先生は「いつ、墜落事故がおきるかもわからない」恐怖を語った。
コンクリートだらけの沖縄は麻薬に冒された中毒者の体のようになっている。
基地をなくさなければ沖縄は死んでしまう。

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