Intelligenceは、Intellectと語源を同じくして、「選びきる力」(between + choose = 「違いがわかる」)という意味である。しかし人間が誇るこのIntelligenceは、果たしてどれほどのものだろうか?
今日 New York Times に、イラク戦争でミスジャッジしたアメリカ政府をとても冷静に(客観的な情報だけで)非難する記事があった(こういうところ好き)。
ご存知の通り、アメリカには、CIA(Central Intelligence Agency)という組織がある。未来に起こる問題の種を早めに刈り取るためだ。しかし今回のミスジャッジは、そのCIAのトップのひとり、George J. Tenetの責任にされた。最終判断を下したのは、アメリカ合衆国大統領だが、彼に毎朝届くthe super-secret intelligence documentsを作ったのが、CIAだったからだ。結局アメリカのこの大きすぎるミスジャッジは、彼が辞職することで片がついた(そのほかはほとんど昇進、またTenetも、合衆国市民としては最高栄誉の感謝状のようなメダルを貰った)。
この処置全体について、前上院議員 Bob Graham(フロリダ)はこういった、「アメリカ政府は、起こったことに無関心すぎる。Tenet以外に責任を追うやつが誰もいない、しかもTenetはただの辞職だぞ」(意訳)。しかも政府は、今回のミスジャッジの大元を調査する委員会に、非協力的だったらしい(そのためかブッシュとその周辺の関与にほとんど踏み込んでいない)。
結局戦争を引き起こしたミスジャッジも、普通の事務やビジネスでのそれと同じで、やることはやったから、ということになった。彼らは仕事でそれをやっていたんだから、罰則としては、減俸、辞任、辞職がせきのやまということなんだろう(よくブッシュが故意に間違えた、つまり犯罪を犯した、というひとがいるが、NY Timesでは、その証拠もまたあがっていないと述べている)。現今の民主主義や司法の範囲内ではここまでだということだろう(NYタイムズは、あとは歴史家の役割ともいっている)。
なぜこんな事態になったのだろうか?その答えになるかわからないが、次の『ガリバー旅行記』の一節を思い出した。
Reason taught us to affirm or deny only where we are certain; and beyond our knowledge we cannot do either. So that Controversies, Wranglings, Disputes, and Positiveness in false or dubious Propositions, are Evils unknown among the Houyhnhnms. 「理性は、これはまず間違いないというときだけYesとかNoをいわせるのであって、知識超える問題には、どちらもできない。虚偽もしくは疑わしい提案をしようとして議論~をしたりすることは、悪いことである(意訳)」
ここでの「理性」は、「慎重さ」に近い。人間は結局すべてがわかるわけではないから、知ったことだけを材料に辻褄を合わせたくなる。しかし本当に人間が理性的な生き物なら、それを抑えられる。知っていることを超える判断に手を出すことは、間違いだとわかるからだ。
しかし悲しいかな、そうした理性だけに頼っていていいのかわからない。なぜなら世の中には明らかに理性のない連中がひしめくからだ。そうすると、Intelligenceに手を出さざるを得なくなる。そうすると失敗はつきものになるから・・・
これがブッシュの言い分だろう
今日 New York Times に、イラク戦争でミスジャッジしたアメリカ政府をとても冷静に(客観的な情報だけで)非難する記事があった(こういうところ好き)。
ご存知の通り、アメリカには、CIA(Central Intelligence Agency)という組織がある。未来に起こる問題の種を早めに刈り取るためだ。しかし今回のミスジャッジは、そのCIAのトップのひとり、George J. Tenetの責任にされた。最終判断を下したのは、アメリカ合衆国大統領だが、彼に毎朝届くthe super-secret intelligence documentsを作ったのが、CIAだったからだ。結局アメリカのこの大きすぎるミスジャッジは、彼が辞職することで片がついた(そのほかはほとんど昇進、またTenetも、合衆国市民としては最高栄誉の感謝状のようなメダルを貰った)。
この処置全体について、前上院議員 Bob Graham(フロリダ)はこういった、「アメリカ政府は、起こったことに無関心すぎる。Tenet以外に責任を追うやつが誰もいない、しかもTenetはただの辞職だぞ」(意訳)。しかも政府は、今回のミスジャッジの大元を調査する委員会に、非協力的だったらしい(そのためかブッシュとその周辺の関与にほとんど踏み込んでいない)。
結局戦争を引き起こしたミスジャッジも、普通の事務やビジネスでのそれと同じで、やることはやったから、ということになった。彼らは仕事でそれをやっていたんだから、罰則としては、減俸、辞任、辞職がせきのやまということなんだろう(よくブッシュが故意に間違えた、つまり犯罪を犯した、というひとがいるが、NY Timesでは、その証拠もまたあがっていないと述べている)。現今の民主主義や司法の範囲内ではここまでだということだろう(NYタイムズは、あとは歴史家の役割ともいっている)。
なぜこんな事態になったのだろうか?その答えになるかわからないが、次の『ガリバー旅行記』の一節を思い出した。
Reason taught us to affirm or deny only where we are certain; and beyond our knowledge we cannot do either. So that Controversies, Wranglings, Disputes, and Positiveness in false or dubious Propositions, are Evils unknown among the Houyhnhnms. 「理性は、これはまず間違いないというときだけYesとかNoをいわせるのであって、知識超える問題には、どちらもできない。虚偽もしくは疑わしい提案をしようとして議論~をしたりすることは、悪いことである(意訳)」
ここでの「理性」は、「慎重さ」に近い。人間は結局すべてがわかるわけではないから、知ったことだけを材料に辻褄を合わせたくなる。しかし本当に人間が理性的な生き物なら、それを抑えられる。知っていることを超える判断に手を出すことは、間違いだとわかるからだ。
しかし悲しいかな、そうした理性だけに頼っていていいのかわからない。なぜなら世の中には明らかに理性のない連中がひしめくからだ。そうすると、Intelligenceに手を出さざるを得なくなる。そうすると失敗はつきものになるから・・・
これがブッシュの言い分だろう