卓球に見る反復の重要性

 BSで松下浩二のドキュメントを(途中から)視聴。

 卓球はスピードとパワーを競うスポーツであると同時に、ボールの回転を読み合う頭脳のスピードを競うスポーツでもあります。本番組の松下浩二は希代のカットマンとして、日本の卓球界をリードしてきた名選手。彼が身につけてきたカットのテクニック、ボールコントロールの技巧、そして相手の特徴を見抜く戦術眼は、すべてこれまでの練習と試合で培われてきたものです。

 いわば、反復の報償。

 練習でひたすら技術を磨くと同時に、一流卓球選手はボールの回転の見抜き方、そしてその対処法を身につけていきます。おそらく彼らの中で、回転に対するスキルは容易に言語化できるスキルではないはず。<スピード><コース><パワー><回転>、プラスチックのボールに加えられたあらゆる要素を一瞬のうちに処理し、自らの打つべきボールを判断するには、いちいち言語に頼っていては試合が成り立ちません。

 そのシンキングスピードと正確な身体反応こそが、<反復の産物>。松下浩二は、いまだ衰えない戦術眼で日本卓球界を第一線で牽引しつづけています。
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スーパー杯

 フリーキックへの反応。3~4人が、素早くこぼれ球に詰めたF・マリノスと、全員がペナルティエリアに戻り、壁に入ることで安心してしまったヴェルディ。
 <途切れない集中力>と<準備だけで安心してしまう油断>とが勝負の分かれ目になったなぁ、と思っていたところ、強烈な個人技で秩序を破壊するワシントン。

 私の分かったフリを、木っ端みじんに吹き飛ばしてくれたワシントンの2得点は、インパクト抜群でした。

 スーパー杯終了。いよいよ、Jリーグ。
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王将、中国へ

「餃子の王将」、中国・大連に1号店 8月ごろめど
「餃子の王将」を展開する王将フードサービス(本社・京都市)は24日、中国・大連に8月をめどに1号店を出店すると発表した。焼きギョーザ、ラーメンなど日本で人気を集めてきたメニューで、ギョーザの本場に乗り込む。

 日本生まれの餃子が本場中国に乗り込むというのは、面白い。こうしていろいろな国の文化が、海を越え、国境を越えて交わり合っていくことで、新しい文化が生まれてくるのでしょう。

 アメリカで野球を、イタリアやイングランドでサッカーを、スペインでハンドボールを、世界を相手にオートバイやフォーミュラーカーで。日本人アスリートの海外進出も文化交流の一環。
 逆に、大相撲の外国人力士、プロ野球やJリーグに各国の選手、競馬にもさまざまな国のジョッキー。これも文化交流の一つとなるはず。

 スポーツは異ジャンルに比べれば多国間交流が生まれやすい文化です。JリーグやNPBにひいきの選手がいなくなるのは寂しいけれど、スポーツを通じた交流が盛んになるのは望ましいこと。

 さらには食文化、ファッション、映画、文学etc…、あらゆる文化を通じて国境を越えた交流が活性化していくと、私たちの生活はさらに奥深いものとなるでしょう。

 そのためには、交わりつつも染まりすぎぬよう、日本人としての自分を見つめる作業も必要なので、しんどいですけどね。
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レッズとレイナス

レイナスがレッズ傘下に


 レッズフロントの機動力の高さは、素晴らしいですね。レイナスの統合だけでなく、今年着工するレッズランドの建築計画やスタジアム施設の改修、それらに対するファンの意見の吸い上げ…。

 クラブとしての理想がブレないからこそ、さまざまな事象に対してスピーディーに行動することができるのでしょう。とはいえ、組織が大きければ大きいほど、決断に時間がかかるのも事実。そこは犬飼社長の強烈なリーダーシップが良い方向に作用しているのでしょう。

 カップ戦をヴェルディ&ベレーザがアベック優勝したように、レッズがJ&Lでアベック優勝する日が訪れるかも知れません。
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イチローのコメントを読んで

 キャンプインにあたってのイチローのコメントに考えさせられました。

ーー最多安打記録更新の翌シーズンで、プレッシャーを感じないか?
イチロー:すでにイチローを追いかける僕はいないですから。その辺りは心配していません。新たな壁みたいなのが現れてくれることを期待します。

 「『イチロー』を追いかける僕」とは何なのか?

 文脈通りに素直に解釈すれば、<最多安打記録を達成したイチローを、追いかけることはしない>という意味に取れます。朝日新聞は「理想を追う段階は終わったというのだ」(asahi.com)と表現し、<「イチロー」=理想像>という解釈を示しました。(残念ながら他紙では、このコメントを見かけませんでした)

 けれど、私はまた別の意味をそこに見いだします。「」つきのイチローは、<他者から規定されうる存在としてのイチロー>なのではないでしょうか。平たく言ってしまえば、<ファンやマスメディアが望むイチロー>であり、<数字を期待されるイチロー>です。
 これまで、特に昨年は、最多安打記録というファンの期待に応えるために、あくまでも安打数という結果にこだわった。当然、そこにはチームの成績不振という要素も絡んでくるでしょう。しかし今年は、安打数や打率という定量的なものではなく、より自身の理想に近いバッティングを指向するのではないかと、先のコメントから推察するのです。

 とすれば、「新しい壁」という表現も、おそらく彼の中にある打撃論としての壁であろうとイメージができます。それは単純にボールをコントロールするための動作やタイミングかも知れないし、あるいは試合状況、チーム状況に即した打ち分けに関する何かかも知れません。我々ファンにはまったく分からないことですが、彼のバッティングがもう一段階、ステージを上がるために、数字では表現されないものかも知れませんが不可欠な要素。それが新しい壁であり、彼はそれに出会うことに望んでいるのだろうと、私は考えたのです。

 まだまだイチローは、理想のバッティングに出会っていないし、理想は日々、彼の中で変化していくものなのだと、想像します。

 私は、ともすると<他者の期待する私>を追い求めています。とくに仕事においては、自発的な行動よりも、他者との関係においての行動を意識せざるを得ません。
 イチローのひと月分の税金ほどの年収もない(推定)私としては、せめて彼の足下が見えるくらいには、自分の行動に信念を持ちたいものです。
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プロ野球 -未来絵図の不在を嘆く

ドラフト改革で対立、結論先送り 12球団代表者会議

 日本のプロ野球界は改革に燃えています、…表向きは。
 けれど残念ながら、プロ野球のどこに問題があって、解決のためには何を改善しなければならなくて、そのためには何をすべきなのか。そうした手順が一切合切、抜け落ちているために、いつまでたっても議論が始まりそうで、始まらない。そんな風に見えて仕方がありません。

 おそらく各球団では、綿密なリサーチや戦略構築の上に、ビジョンを描いていることでしょう。数十億の金額を扱うビジネスパーソンの皆さんが、それほど無策だとは思えないし、思いたくもありません。
 しかし、それぞれの描くビジョンの行き着く先、すなわち到達すべきプロ野球像に、コンセンサスが得られていないのだから、彼らの努力が実を結ばないのは明らかです。

 そもそも、プロ野球とはどのようにあるべきなのか。「地域密着」とか「ファンに愛される」とか、そんな空虚な言葉に身を委ねず、具体的にNPBとして何を目指すのか。まずは、それを確定しないことには議論の進めようがないはずです。

悪:設計図の不在→思惑乱立→議論の不成立→未改革(改悪)
良:リサーチ→設計図の確立→問題点の洗出→議論→試行→再議論→改革


 各論を俎上においても、考えるべき点は見えてくるはずです。たとえば上記のドラフトの問題。
 プロスポーツは共同体であるのだから、戦力均衡は必ず測られなければならないのか? あるいは強者に権力を与え、資本主義の競争原則を用いて、弱小球団の経営努力を促すのか?

 ドメスティックなレベルでの完結(たとえば国内リーグのみ)を望むのであれば、戦力均衡は不可欠でしょう。毎年、福岡ソフトバンクが優勝するのでは、見ていても楽しくありませんから。ならば、その状態でチーム数の拡大を目指すのか否か。戦力を均衡しつつ、球団数を拡大していくならば、メジャーリーグとの実力格差はさらに広がり、有力選手の海外流出はますます拡大化することでしょう。

 では、海外の球団との公式戦の場を設け、彼らに劣らない力をつけるために「強者はより強く」という社会を築くのか? そのためにはドラフトを廃止、あるいは優勝チームから順に指名して行く逆ウェーバーに移行することが必要ですが、いつまでたっても優勝できないチームに客が足を運ぶのか、毎年同じチームが(国内では)優勝して、盛り上がるのか。こちらも新たな問題が生まれます。

 新たな制度を模索すれば、新たな問題が生まれるのは必然。それを解決する武器は、プロ野球に関わる全員が描く共通した未来絵図でなければなりません。Jリーグにはなぜドラフトがないのか? Kリーグのドラフト制度はなぜ破綻したのか? 選手の保有権が解消される方向に行く時流の中、FAやポスティング、トレードの制度の行く末は?

 NPBがすべきは、徹底的なリサーチに基づいたプロ野球の将来設計と、それを広報できるカリスマ性にあふれたトップの創出です。
 それはJリーグの手法(c.f.広瀬一郎さんの「Jリーグの制度設計」)に似ているかも知れません。役立たずのコミッショナーの下に、いつまでも各自がバラバラな意見を述べ合うのではなく、NPBの事務局が徹底的なイニシアチブを持ち、できれば(あまり役に立たなさそうな松田会長を選んだ)日本野球連盟を巻き込み、「野球」という競技を統一して改革できる組織の登場をまつばかりです。
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今日はスポーツ中継を見なかった

 今朝(2/20)の日経「トリノオリンピック特集」に長野メダル組の現在がまとめられていました。地元開催で、冬季最高のメダルを獲得した日本選手団。でも、あのときがピークであって良いわけではありません。
 逆に、地元開催の財産(ファシリティや育成・運営スキル)と経験を活かして、冬のスポーツがより盛んになり、国民の健康、レジャー、コミュニケーション等々に大いに貢献していなければならないはず。それが帳簿を焼却するなど国民の目を欺きながら、多額の税金を投入した政府、自治体の役人、ならびに各競技団体の偉い人たちが考えなければならないなのです。

 世界のトップカテゴリでの活躍を見ると、長野以降、戦略的なジュニアの強化により、今や世界有数の強豪国となったフィギュアスケート界に対し、ノルディックスキーやスピードスケートは、20世紀末の勢いを上手く現代につなげられていません。
 競技人口については不勉強につき把握していませんが、オリンピックを契機にこの8年、劇的に向上しつづけているという話は聞きません。

 今や小学生時代に長野を見た安藤美姫(フィギュア)や伊東大貴(ジャンプ)がトリノを目指す時代。いつまでも冬季スポーツ大国だと思っていると、気がついたときには全国に不採算となったリンクやゲレンデが転がっていることにもなりかねません。
 トップアスリートの強化と市井の人々への普及。長野の記憶が薄れないうちに、トリノという契機を活かして、少しでも冬のスポーツがこの国に根づかせる戦略を構築しなければなりません。
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4番手の笑顔

 村主が優勝、恩田は2位 フィギュア4大陸選手権

 この記事だけを見ての感想ですが、恩田美栄の笑顔が印象的です。

 この大会で日本人最高、つまり村主章枝を上回らなければ、世界選手権への出場を阻まれる恩田。結果、SPでもフリーでも村主に次ぐ成績で、3人(残り2人は荒川静香と安藤美姫)の代表枠に入ることができませんでした。しかし上記リンク先にある写真での晴れやかな笑顔を見ると、力を出し切った充実感があったのでしょう。

 今度の世界選手権では、日本代表3選手は全員が表彰台に上る可能性があるレベルの選手。この大会も翌年のトリノオリンピックへの代表選考材料となるようですので、全員が好成績をおさめると恩田のオリンピック連続出場は難しくなるかも知れません。ソルトレークでは思うような結果が出せなかった彼女ですから、トリノへの想いは人一倍強いのではないかと思います。

 表彰台での彼女の気持ちはいかばかりのものだったのでしょうか。今シーズンは、あまり調子が良くないので、はじめから諦観の念があったのか? それともくやしさを押し殺しての笑顔だったのか?
  今年末の全日本やグランプリファイナルもオリンピック代表への選考材料となるらしいので、すぐに気持ちを切り替えていたのかもしれません。

 フィギュアスケートは言うまでもなく個人競技です。団体戦などというものはありません。けれど、一人ひとりの精神状態が周囲に与える影響は、団体競技に劣らないものがあるものです。ここで恩田が充実した表情を見せていることは、村主に、荒川に、安藤に与える影響も小さくないでしょう。それはフィギュアに、あるいはスポーツに限りません。

 直接の成果を手にすることができなくても、腐ることなく努力を続ける人がいれば、成果を手にするできた者は、努力をおこたるわけにいきません。たとえば、営業成績上位3人にインセンティブボーナスが与えられる状況で、4位だった人が誰よりも努力する姿勢を欠かさなければ、上の3人も安穏とはしていられません。

 私は恩田の笑顔で、モスクワでの3人の活躍を確信しています。そして年末には、恩田も加え4人で、さらに浅田姉妹や太田などの若手も加わって、世界一レベルの高い日本フィギュア界が盛り上がりそうです
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スペシャルオリンピックスまで一週間

 スペシャルオリンピックス(SO)冬季世界大会の開催が一週間後にせまってきました。小泉さんも激励したり、雅子妃殿下が会場を訪れるとか訪れないとかで、世間の耳目を集めつつあります。

 が、かねてよりそこはかとなく疑念を抱いていたのは、「SOは大々的に報じられるべきスポーツイベントなのか否か」ということです。
 「知能発達障害者なのに…」という視点で彼らの競技を語る、あるいは自分が見るのは、好奇的な視点の産物であり、純粋にスポーツを語る(見る)ことにはなり得ない。見世物小屋的な行為なのではないのか、という思いがあります。一方で、彼らの競技やノンスポーツプログラムを報じること、そして私たち市民がそれに触れることは、今後知的発達障害者が参画しやすい社会を形成するのに、意義深いことなのではないかという思いもあります。

 「見せ物」なのか、「社会的意義」なのか。『多様性』という言葉に、一つの道筋を見つけました。

 私たちがSOを見る価値は、「この世にいる一人ひとりが自己の成長のために努力していることを、彼らの競技姿勢を通じて、実感すること」にあると考えます。A選手はAさんなりの、B選手はBさんなりの物差しで、成績をはかれば良い。順位は、アスリートの自己努力のための動機づけでしかなく、我々、見る側には何の意味もないのです。だからこそ、SOでは全員表彰が行われるのでしょう。

 ではコンペティティブな要素を排除しても、それがスポーツであると言えるのか? という疑問がわいてきます。しかし、それでもなお、私はアスリートが自己の精神と肉体の限界に挑み、向上を目指す限り、それはスポーツであると考えます。たとえるならば、誰に勝つわけでもなく、もくもくと高みを目指す、登山家を見るイメージです。

 SOが大会期間中、どのように報じられるか? そのありうべき姿は、グローバル・ユース・サミットを通じて、伝えられることでしょう。
 私は、日本人が勝った負けたではなく、一人ひとりのアスリートの表情、市民との交流などに、注目していきたいと考えています。
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NHK

NHK、セパ交流戦42試合を放送 (読売新聞) - goo ニュース

アンパイヤの胸に「朝日新聞」って入れたら、放送を取りやめるのでしょうか?
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数値化の冒険

 近年、人々はさまざまなジャンルにおいて、行動を数値化することで客観評価を行うように努力してきました。それは企業においてSPIやコンピテンシーという形式で用いられ、スポーツ界ではサッカーのOPTAであり、アメフトにおけるレーティング、さらにはベストセラーとなった「マネーボール」では敏腕GMビリー・ビーンの功績として、彼独自の数値評価手法が描かれています。
 ビジネスにおいても、スポーツにおいても、目に見えぬもの、正解のないものを数値で表すことは、評価の正当性を希求する人間の欲求が生み出す根源的な行為なのです。

 しかし、そうした行いによって本当に「正当な」評価が生まれるのかには疑問が残ります。いかなる数値基準も、それ自体を定める際の主観を排除することは不可能であり、主観の産物である物差しによって測られた評価は、絶対客観ではあり得ないからです。

 今後もあらゆる社会で、評価の客観化を追い求める作業は続けられて行くことでしょう。スポーツにおいては、その数値自体がファンの目に多角的な視野を与え、よりエンタテイメント性を増すための道具となり、ビジネス界においては数値は人事査定の根拠として重用され続けます。
 私たちは、その数値を一歩下がった所から、感心し、批判し、学び、そして壊し続けていかなければならないのです。

小論文、コンピューターで自動採点 入試センターが試作


昨日のスポログは10点満点の7.5点
今日のこの文章は5.5点でした
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ドーピングについて考える

カンセコの薬物暴露、大リーグ揺るがす (読売新聞) - goo ニュース
 
 「メジャーリーガーがオリンピックに参加しないのは、ドーピング検査を恐れるから」なんて、まことしやかに噂されることもありますが、実際のところはどうなのでしょう?

 “ドーピングはなぜいけないのか?”について、少し考えてみました。

 少しでも良い成績を収めるため、ましてそれが収入、人生につながるのであればなおさら、アスリートたちは薬を求めることでしょう。それを「ダメなものはダメ」と諭したところで、彼らが聞く耳をもつかどうかは分かりません。

 一般的にドーピングが禁じられている理由としてあげられるのは、以下の3つです。
1.副作用(攻撃的になる、発ガン性が高い、身体の異性化による生殖能力の減退)
2.公平性の欠如(薬を手に入れられない人が不利)
3.他者への悪影響(よい子は真似しないように)

 でも、「自分の体なんだから、どうなろうが勝手だろ。大体、練習施設も何もかも違うんだから、今さら不公平もクソもないし、他人が真似するのはそいつの問題であって、オレには関係ないことじゃん」という選手だっているはず。

 なら、どうやってドーピングが「悪」であることを明示するか。私はドーピングによって不利益を受容するのが自分だけでなく、他者(ファンやアマチュアアスリート)も含まれることがポイントではないかと考えます。

 真似して薬を服用した子が体をこわす。クラブのチームメイトに暴行を受ける。スポーツマンたるもの、他者を傷つけることがあってはならないはず。人々の注目を集める分だけ、市民の規範となるべきスポーツマンが、人(当然、自己を含みます)を傷つける危険性をはらみながら利己主義に走ることは許されないのです。

 「スポーツマンシップとは何か」という広瀬一郎さんの著作がありますが、スポーツを楽しむ上で、スポーツの存在意義を考えることは欠かせません。
 それはスポーツに限らず、どんなものでも同じこと。昨今、CSRが話題になることが多くありますが、それとて企業というものの存在意義に思考を巡らせれば、そんな横文字に頼らざるとも見えてくるものなはず。

 “ドーピングがなぜいけないのか?”
 それは、スポーツのあるべき姿に背く行為だからなのです。
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6カ国対抗

 本命と目された世界チャンピオン、イングランドがまさかの連敗
 逆にフランスは苦しみながら、2週連続の逆転勝ちで、再来週のウェールズとの連勝対決に臨むこととなりました

 今日のトゥイッケナムのポイントは、なんと言ってもキックの差。一昨年、ウィルキンソンのキック力で世界を制したイングランドは、彼のケガによる不在に泣き、フランスは先週サンドゥニでミシャラクの不在に苦しんだものの、今週はヤシュビリが完全にその穴を埋めるゴールデンブーツぶりを発揮。

 レキップのテキスト実況には得点シーンしか記されておらず、日本の新聞も(たとえそれがどんなスポーツでも)得点シーンのみ振り返ることが多いものです。
 しかし今日のマッチでゲームバランスを左右したのは、イングランドの相次ぐPG失敗。文字による簡素な記録で、現象を再現するというのは、難しいのだということをあらためて実感しました。
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