和布刈公園を下り、門司市内へと車をはしらせました。
門司港の周囲は「門司港レトロ」と称し、大正時代風の景観に整備された街が広がっていました。
旧門司税関は明治45年に建てられた煉瓦造りの建物で、昭和初期まで税関庁舎として使われていたそうです。
国際友好記念図書館は、明治35年にロシア帝国が大連市に建築した東清鉄道汽船事務所を複製したもので、門司港と大連が国際航路で結ばれていた縁で、昭和54年に友好都市締結15周年を記念して建てられたのだそうです。
旧門司三井倶楽部は大正10年に三井物産の社交、宿泊施設として建築されたもので、アインシュタイン夫妻が宿泊したこともあるそうです。
JR門司港駅は、明治24年に建設された門司駅が、大正3年に200メートル移動し、現在の場所に建て替えられたそうです。
ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルによって建てられた、ネオ・ルネッサンス調の木造建築で、駅舎としては初めて国の重要文化財に指定されましたが、残念ながら、平成30年までの保存修理工事中でした。
しかし、門司港駅そのものは普通に営業されていました。
下の写真をご覧頂くとお分かりのように、門司港駅も終着駅です。
終着駅は、青森も函館も上野も、どの駅も独特の哀愁を感じさせます。
何故なのでしょうか?
終着駅に立つと、その先はもう何もないと云う、未練を断ち切られるような、切羽詰まった想いに、人は無意識に染まるからかもしれません。
そう言えば、岬の先端に立ったときの想いにも似ています。
昔フォーク歌手が、「恋に破れ、バスに揺られ、一人で襟裳岬を巡る」と歌いましたが、岬を巡る恋に、その先はないだろと納得させられたものです。
「恋に破れ、山手線を巡る」では、「勝手にやってろ」と言われそうですから。
港の第一船溜の門司港ホテル横に係留された、外輪船のワーペン・ファン・ホールン号は船上レストランとなっていて、門司のB級グルメである焼カレーの看板を掲げていました。
ちょっと、気にかかったのですが、ここで腰を据えてしまうと、本当に何をしに来たのか分からなくなってしまうので、この辺で門司港レトロ地区の観光を切り上げて、梅の咲く場所へ向かうことにしました。
※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。
九州の梅を訪ねて 花の旅 index 1
他の花の旅 旅の目次