射水市の本橋家跡地から20分ほどはしり、隣の高岡市高岡古城公園に到着しました。
高岡古城公園は全国桜百選に名を連ねる桜の名所ですが、今日はまだ僅かに蕾が膨らみ始めた程度で、花を楽しむには少々早すぎるようです。
そうそう、常々感じていることですが、欧州や米国でツバキが賞賛されるほどに、原産国の日本でツバキ熱が盛り上がらないのは、ツバキが桜の季節と少々重なる為ではないかと思うのです。
日本では花と云えば桜ですから、どれほど花好の人でも、椿園に足を運ぶ人は、桜を見る人ほど多くありません。
ツバキ目的で旅する私でさえ、今の高岡古城公園の桜を見て、ああ残念だったな~と嘆くほどなのですから。
ツバキの品種開発に携わる人は、花色や型にのみ囚われず、桜と競合しない季節に花盛りとなるツバキ等、花を愛でる人の側に立っ開発戦略が求められると思いますが、如何なものでしょうか。
ツバキだって、見られ愛でられてこその花ですよね。
高岡古城公園を散策していると「夕日」の曲のモニュメントを見つけました。
「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む・・・」という、日本人なら誰でも知っている、あの名曲です。
モニュメントのすぐ脇に、「夕日」の作曲者である室崎琴月を紹介する一文が掲げられていました。
室崎琴月は高岡市小舟町に生まれ、東京芸大を卒業し、東京で音楽学校を設立しました。
そして葛原しげるの詩に曲をつけたのだそうです。
その音楽に関する多大な功績によって、勲四等瑞宝章が授けられたと記されていました。
何でしょう、旅先でこういう話に接すると、得した気分になるから不思議です。
伊豆大島で出合った、「公園の手品師」のレリーフを思い出しました。
桜の季節に運行される遊覧船も今日は運休のようです。
高岡古城公園には多くのツバキが咲くはずなので、ツバキを探していると、少し傾き始めた陽射しの中で、赤い花を散らすヤブツバキに目が留まりました。
今回はツバキを訪ね歩く旅ですが、タイミングに間違いはなさそうです。
公園の一隅でカタクリが可憐な花を咲かせていました。
雪国では全ての草木が一斉に花を咲かせます。
人気のない公園で、贅沢な時間を存分に味わうことができました。
その先へ歩を進めると、
「うぐひすの 鳴き散らすらむ 春の花 いつしか君と手折りかざさむ」
大伴家持の歌碑が建てられていました。
大伴家持は万葉集の編纂に重要な役割を果たしましたが、天平18年(746年)に越中国の国守として今の高岡に赴任し、在任中の5年間に詠んだ223首が万葉集に残り、越中国は万葉故地として知られるようになりました。
高岡市はそのことに誇りを持ち、文化財などの保護に努めているようです。
「うぐひすの 鳴き散らすらむ 春の花 ・・」とは梅の花を指すのでしょうか、公園の中の梅園に咲き残る紅梅の姿を認めました。
濠を渡ると、
「国際児童年記念植樹」の表示とともに、数多くのツバキ品種が植栽されたエリアに出ました。
本丸跡を巡る遊歩道に沿って、ツバキが花を咲かせています。
「高岡古城公園のツバキ」とはこのことだろうと納得し、この辺りから駐車場に戻り、公園を去ることにしました。
後から知ったのですが、高岡古城公園の南外濠に椿山と呼ばれる場所があって、「高岡古城公園のツバキ」とはそこを指すようです。
富山には中央植物園もあることですし、もう一度訪ね直す必要がありそうです。
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