宮崎市民の森にやってきました。
入口の管理事務所で梅園の位置をお聞きして、公園の中を歩き始めました。
遊歩道を歩きはじめるとすぐ、路傍に歌碑が現れました。
「雲はどこにでも 似つかわしい 姿で 現れる」
中村地平
とあります。
私は中村地平という人を知りませんが、なかなかにいい詩です。
石碑に添えられた年譜に
中村地平は明治41年2月7日 宮崎市当時町に生まれるとあります。
昭和5年に東大にすすみ、佐藤春夫、井伏鱒二、川端康成、太宰治などと交友したと記載されていました。
更に調べますと
大学卒業後に新聞社に入り、芥川賞にノミネートされるような作品を発表したようです。
疎開して宮崎に戻り、昭和22年に宮崎県立図書館長となり、晩年は父の後を継いで宮崎相互銀行社長を務めたようです。
歩を先に進めると、 木立の下に幾つもの歌碑が見えてきました。
最初に目にしたのは、次のような万葉歌碑でした。
しい 和名スダジイ ブナ科
家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕(くさまくら)
旅にしあれば椎(しい)の葉に盛る
有馬皇子
何だか、車に寝泊まりしながら旅する、今の私を詠っているような気がして、意味もなく嬉しくなりました。
2、3年前から樹の観察を始めたので、椎の葉のイメージが瞬時に湧き上がります。
この公園は樹木に関する万葉集の歌碑を随所に設置しているようです。
なかなかにお洒落な公園です。
くは 和名クワ クワ科
筑波嶺(つくはね)の、新染(にいくは)まよの きぬはあれど
君がみけしし あやに着ほしも
常陸
「筑波山のクワで育てた繭の着物があるので、貴方に着て欲しい」という意味でしょうか。
興味を惹かれ、歌碑毎の万葉集を読み進んで行きました。
つばき 和名ヤブツバキ ツバキ科
奥山(おくやま)の 八峰(やつを)の椿 つばらかに 今日は
暮らさね 大夫(もののふ)の徒(とも)
大伴家持
「奥山の峰の椿のようにはつらつと、男たちよ、今日一日を過ごしてください。」
幾つかの歌碑を鑑賞し終えた頃、目の前で照葉樹の森が開けました。
そして、風に香りをのせた紅梅が、柔らかな光の中で春を告げていました。
梅林の横に、数日前に北九州で見て来たような情景を詠った、大伴家持の歌碑が見えています。
うめ 和名ウメ バラ科
今日零(けふふ)りし 雪に競ひて 我が家前(やど)の
冬木(ふゆき)の梅は 花咲きにけり
大伴家持
「今日降った雪と競うように、私の家の冬枯れの梅に花が咲きました。」
花や木も、このような歌が添えられるとイメージが広がり、楽しさが膨らみます。
帰り道で、森の中の池が静かに緑を映しこんでいました。
水面は、水温むという言葉がそぐわしく思える表情を見せていました。
※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。
九州の梅を訪ねて 花の旅 index 1
他の花の旅 旅の目次