関東平野は北の筑波山から、南は箱根連山に至るまで、周囲を山に囲まれています。
普段の生活で、関東平野が山にぶつかる辺りを意識することはありませんが、山々が平野に迫る場所には、何か興味深いものが在りそうだと、以前から考えていました。
流れる雲が山脈に遮られると雨が降り、雨は平野に下り、田畑を潤しながら東京に恵みをもたらせます。
家康は箱根路を越えて江戸に都を定め、芭蕉は白河の関を越えて奥の細道へ旅立ち、そして藤村は馬籠から碓井峠を越えて上京しました。
様々なものが行き交い、動き始める平野の縁に、何もないはずはありません。
さて、晩秋ともなると平野の山沿いでは、吹きさらしの風が空を清め、日溜りで山茶花が薄紅色の花を咲かせます。
不思議なことに、本来は九州四国辺りの樹木である山茶花の古木が、比較的気温の低い群馬県の山沿いの村に存在することが知られています。
山茶花はもともと、椿同様に、照葉樹林の樹木ですから、本来ならば関東平野の、もっと暖かな房総半島や湘南地方に古木が残っていても良いのですが、関東の代表的な山茶花の古木はいずれも群馬県などに存在します。
唯一鎌倉の安国論寺に樹齢350年という山茶花がありますが、その樹形は群馬県の木々に比べると見劣ります。
(ホームページ「サザンカの名所」 安国論寺)
昨年は群馬県の安中に「中木の山茶花」を尋ねました。
そして今年は霜月の声を待って、群馬県伊勢崎市の「塩島の山茶花」に会ってきました。
写真をご覧下さい、実に見事な樹形です。
樹齢推定300年、樹高13.5m、枝張り東西13.7m、南北11m。
この木は江戸時代からこの地に居住する塩島氏一族の屋敷稲荷の神木として、大事に守られてきました。
この日はまだ季節が早く、花は少なめでしたが、一重の淡紅白色の可憐な花が枝先で微笑んでいました。
この山茶花は江戸時代の頃、間違いなく人の手を介して(鳥や獣によって播種されたのではなく)この地に居を構えたと考えます。
そして、中仙道の先の美濃の平野にも、この山茶花と同年代の古木が現在も認められる事実は、「夜明け前」以前からの山茶花と人との関わりを物語っているのかもしれません。
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