こんにちは😉
暖かくなって来たので、
僕とキャネコさんはそろそろ新大久保めぐりにて、
激辛料理を堪能し、
2人そろって大好きなカワユイ韓流女子とガ-ルズバ-で
たわむれてマイリマスルぅ~🥰🏝️
ずいぶん遅れた発情期💘
塩田哲生どす🤗🌈
僕が初めてパントマイムを観たのは、17歳の秋の事でした😇
当時、高校2年生。
ほぼ毎日、部活(陸上競技)と、
バンド活動に明け暮れ、
わりと進学校だったにもかかわらず、
先生が甘いのを良いことに、
まったくと言っていい程勉強はしていなかった・・😅
中間テストの真っ最中にもかかわらず、
母親が、「明日、五反田の簡易保険ホ-ルで、
マルソーの公演があるらしいよ❗
まだ、当日券あるみたいだから、あなた、行きなさいよ‼️
マルソーも歳だから、これが、最後の日本公演かも?」
と言うかんじで、息子をそそのかせてまいりました😭
当時、パンクバンドのライブには夢中で、
渋谷"屋根裏"、新宿"ロフト"、
地元の"千葉ダンシングマザース"などにはしょっちゅう通って、
大暴れしていたのですが、、、
パントマイムって・・❓
なんだか、きつねに摘ままれた様な不思議な気持ちで、
母親にそそのかせられるまま、翌日の放課後、
五反田の簡易保険ホ-ルへ🧚
それは・・衝撃でした。
10作品程の演目。
ほとんどの作品が無音のサイレントで演じられ、
照明はピンの真っ白なスポットライトのみ。。
たった一人で静かに、繊細かつ華麗に、
舞い続ける老人の、これまで感じた事のない怪しさに、
最初から最後まで釘付けになっていた。。。
みんなが拍手をしているカ-テンコ-ルから、
呆然としたまんま、どうやって帰りの電車に乗ったのかも覚えていない。
気がついたら、ベッドの中で天井を眺めていたのです・・・🌙
バンドは難聴になりそうな位の爆音で、
ギラギラの照明の中、時に暴力的に激しく僕に、
政治や社会に対する不満や反抗を訴える。
自分は、それに共感して、
狂ったように観客のウズの中に、
ダイブする。
マルソーの舞台は共感という感情をもたされるヒマもなかった。。
ただ、ただ、あの怪しい道化に吸い込まれ、
脱け殻になってしまっていたのです🤯
それから高校卒業まで、ずっとあの怪しさの正体を知りたくて、
様々なパターンの道化師の油絵を描き続けました🪅
あの感情を隠した仮面の奥にある、
年老いた演者の感情を、
どうしても、掴みたい🌚
とにかくどこでもいいから、
早く東京の大学に入って、東京で生活しながら、
パントマイムを勉強したい・・・。
そんな感情が、芽生えました🌬️
そしていざ、東京の獣医大学に進学が決まり、
千葉から東京都内への引っ越しの準備中の1988年3月🌸
兄が、
「どうせパントマイムを習うなら、日本で最高のパントマイマ-に習いなさい。」
と、言って、
渋谷のジァンジァンの"ヨネヤマママコ・サティ=ママコスル"
という公演の案内広告をくれました。
そこで、のちの先輩となる、
江ノ上さん、小野さん、青木さん
と共演し、怪しい光を放つ、
ヨネヤマママコ先生を、
観たのです👁️
その年の8月から青山ベルコモンズのママコ先生の
クラスレッスンに通いはじめ、
その翌年に、江ノ上さん、小野さん、青木さんと共に、
筑波での"十牛"の舞台に、たたせていただく事が、できました🌌
すべての入り口は、僕にとっては・・
あの日のマルソーの怪しさです☄️
吸い込まれちゃって、
ありがとう😸
自称:歌って踊れる獣医さん=しおたてつおでした😇