読書の記録

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魔術師と予言者 2050年の世界像をめぐる科学者たちの闘い

2024年01月23日 | 環境・公益
魔術師と予言者 2050年の世界像をめぐる科学者たちの闘い
 
著:チャールズ・C・マン 訳:布施由紀子
紀伊國屋書店
 
 
 書評を読んだら面白そうだったのでポチったら、想像以上の凶器本(※人を殴れるほど分厚い本のこと)が届いた。まるで予言者が手にする魔術書みたいだ。索引や注釈まで含めて全851ページ。
 こんな質量なら上下巻ものになるのがこの手の訳書の通例である。あえて一巻もので綴じたのは出版社の企図なのだろう。いまどきは電子書籍のほうが一般的なので、わざわざ紙本をオーダーする人は、本の装丁も愛する好事家だと考えたのかもしれない。
 
 で、果たしてその内容だが、主人公級はウィリアム・ヴォートとノーマン・ボーローグという2人の科学者である。近現代の自然環境資源をめぐる科学者の立ち位置は「予言者」型と「魔術師」型に二分されるというのが本書の主張だ。その代表格がこの2人なのである。
 
 
 「予言者」というのは、増加を続ける地球人口と拡大する経済活動によって地球の資源や自然環境は人間にとって取り返しのつかない破滅になるであろう、したがって人間は過剰な資源依存や経済活動を今すぐに慎まなければならないという見解をもつ者である。諸君ども、身を改めるのだ。破滅の時は近い! ウィリアム・ヴォートはその先覚者のひとりだった。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」やローマ・クラブの「成長の限界」はこれに続く系譜と言えるし、意識高いZ世代の象徴のようになったグレタ・トゥーンベリや「人新世の資本論」で一躍論客入りした斎藤幸平などもこの一連と見なせそうだ。
 
 これに対して、いや人間の叡智でこれらは克服できる、と唱えるのが「魔術師」である。心配ご無用! 私に任せなさい! たしかに人口増加によって食料危機が予見され、石油枯渇説によってエネルギー危機が叫ばれたものの、けっきょくその都度人間は科学技術の力で、これらを克服してきた。フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュによって窒素固定技術という神業が開発され、食糧生産効率は一挙に向上した。そして、本書のノーマン・ボーローグの超人的な努力により、痩せた土地や虫害に悩まされる地域でも丈夫に育つ小麦や稲が開発された。メキシコやインドの荒れ地が穀倉地帯になった。日本でも寒冷地帯であるはずの東北や北海道が一大米の産地になったのは品種改良の成果である。石油や天然ガスの発掘技術もどんどん進化し、21世紀になって石油の可採年数は減っていない。
 
 本書は農業、化石燃料、水資源、そして目下の温暖化と気候変動をめぐって「予言者」派「魔術師」派それぞれの科学者や行政の人物たちが、ヴォートとボーローグを狂言回しにして次々と列伝のように登場する。各アジェンダがたどったヒストリーについても詳しい。本書によると例のSDGsはその前身はMDGsというものであったがさらに系譜をたどると、アメリカのトルーマン大統領が掲げた政策「ポイント・フォー計画」に行き着く(共産主義との対抗政策であった)。パンダのアイコンで有名なWFFや過激な活動で知られるグリーンピースは、そのトルーマン大統領が発起した国連サミットの向こうをはって同日同場所で開催されたもうひとつの国際会議体から発展したものだそうだ。つまり、SDGsのDNAは「魔術師」で、WFFは「予言者」のDNAなのである。
 
 
 索引も充実していて何かを調べるときの資料としても役立つが、なんといってもこの「予言者」と「魔術師」の二分法が単純明快で切れ味鋭い。これまでのもやもやがスッキリした。目ウロコと言ってもよいくらいだ。
 
 僕が勤める職場の人間でも、あるいは業務の一環としても、この手のテーマが入り込むことが時勢柄ちょくちょくある。
 正直言って厄介である。テーマそのものは僕も無関心なわけではないし、だからこそこんな本も読んでいるわけだが、これがいろんな人が一同に介されての業務となるとどうも面倒くさくなることが多い。なんというか話がまったくかみ合わず、延々と堂々巡りの議論になるのだ。「総論賛成各論反対」どころか利益相反とでも言いたくなるほど、お互いの主張はかみ合わない。ここは会社が身銭を切ってやるべきでしょ、いやビジネスにしないと続かないでしょ、そんな事業は生態系を壊すだけだから認められない、いやまずは仕事にしていかないとますます見捨てられる、儲けたらだめでしょ、え? 儲けが出ること自体はいいんじゃないの? 脱炭素はいいけどカーボンニュートラルは言語道断。代替肉はいいけど培養肉はよくない、などなど。
 
 なんでこの手のテーマはいつも収拾つかなくなるのか不思議だったのだが、それもこれも、かの人の立場が「予言者」派か、「魔術師」派か、ということをふまえると腑に落ちるのである。なるほど。あいつは「魔術師」派だったんだな、と考えると彼のすべての言動が腑に落ちる。あーあいつは「予言者」派だからいちいちペシミスティックな言い方するんだ、と納得できる。このようなプロジェクトをするときは、メンバー構成を「予言者」派か「魔術師」派かどちらかに集中して固めないといけないのだ。
 
 
 ところで、本書を読むまで僕は心情的にはどちらかというと「予言者」に共感するクチであった。人間は自然に逆らえない。人間も自然のシステムの一環だし、この地球の平均気温上昇も気候変動激甚化も、もうとまらないんだろうなーなどと思うクチであった。それがいやなら、せめてエアコンの温度設定は控えめにして、移動はなるべく徒歩や自転車で、と考える。しょせん、企業なんて営利目的のマーケティングから逃れられないのだし、社会責任を全うすることが最終的に営利につながる、という最近の論調も、まあ後付けのきれいごとだよねーなどとも思っている。
 
 だけど、本書に出てくる「予言者」派の人々の様子をみていると、だんだんゲンナリしてきたのも事実だ。彼らはもちろん大まじめに全力投球して人間の行き過ぎた活動を抑制させ、貴重な地球の資源を未来に続けさせようと算段しているのはわかる。そして最終的には彼らの言う通り――時間軸を多いに延ばせばどこかで魔術師派の手は行き詰まることもなんとなく予感はする。のだけど、その議論の持っていきかたは、それを言っちゃあおしまいというか、なんか夢も希望もないな、という気にさせられてくるものばかりだ。
 どうやら予言者派はエリートが多いようだ。自分らのちょっとした我慢が地球環境の温存につながる、と考えてしまうが、その日の生活もかつかつな人のQOLを上げる希望をついつい忘れてしまう節がある。
 
 さらに、予言者派がこじらせると、産児制限・人口調整の主張に合流することになるのを見て目を丸くした。
 どういうことかというと、人新世と言われるように人間の活動が地球自然全体のありように影響した大きな要因は、人口の増加にあるからだ。僕が小学生のころの地球の人口は45億人だが、いまや80億人を突破し、100億人までは遠からず約束された未来だ。増えた人口分の食料を確保し、住まいを確保し、経済活動をまわし、そしてそれら増えた人口から排出される諸々が、地球自然に負のフィードバックを与えていくのである。なので、これを食い止めるには「人口増加を抑える」という発想になる。これは発展途上国の避妊教育とか、中絶の権利という話につながる。ここまではまだよい。しかし、ここから一人っ子政策などの産児制限、強制堕胎、産み分け、そして優性思想までは実は一直線であったことを人類の歴史は証明している。これについてはハラリも「ホモ・デウス」で警鐘を鳴らしていた
 
 では「魔術師」はどうか。
 「魔術師」においては、そういった魔術的技術が実社会に用いられることが実際においては経済格差の拡大に結びついたり、新たな収奪構造を招き寄せることを顕わにしている。たしかに産業革命は貧富の拡大をもたらしたことはよく知られているし、よく育つ稲の苗が持ち込まれることや、不毛の地で水資源が確保されることは、現実社会においてはそこに大資本の投入と労役者の大量出現があったり、地域固有の文化を滅してしまう副作用があったのである。
 これ以外にも魔術師が見落とした陥穽はいくつもある。
 
 
 本書は「予言者」にも「魔術師」にも与しておらず、どちらかに偏ることを慎重に避けている。本書のスタンスは予言者も魔術師も一理あったし欠点もあったというものである。では2050年。このままいけば地球の平均気温は2度上がり、海面は上昇し、人口は100億人を超える。その未来はどうなっているのか。予言者のいうように今すぐ節制しなければ破滅なのか、それとも魔術師のいうようにイノベーションが起こってみんな健康で快活な日々を送っているのか。
 本書の結論は、人間はなんとか折り合いをつけるんじゃないか、というものだ。いざ窮すれば環境変化に適応する能力が人間のDNAにはある。それは人間だけじゃなくて生命というものが持つポテンシャルなのだ。もちろん過去の事例ではうまく適応できなくて滅亡した生物や社会はたくさんある。だけど、実はそれ以上に、姿かたち仕組み諸々を変えながら存続していった生命の例は多く、人間もまたそれらしい経緯を経た事例が実はたくさんあるというのだ。まあ、なんとかなるんじゃないの、というところか。日本人は意外とこういうところはしぶといかもしれない。
 
 
 ところで、本書の魔術師サイドの主人公ボーローグが数千種もの種子を悪戦苦闘しながら掛け合わせ、不毛なメキシコの土地を行ったり来たりしてついに耐久性のある小麦の育成に成功させたり、紛争と政治的混乱、さらに保守的な価値観が支配するインドとパキスタンにおいて品種改良された種子をなんとか船で届けたりする話を読むと、説教垂れる予言者よりは、不屈の精神でトライ&エラーを続ける魔術師のほうがカッコいいなとは思う。(プロジェクトXっぽいとでも言おうか)。魔術師系の人って自然の力を小バカにするような不遜な印象があったが、決してそんなことはなくて埃まみれ汗まみれの泥まみれになりながら一縷の望みをかけて悪戦苦闘するのがその姿なのだ。むしろ予言者のほうが生真面目な優等生イメージであり、魔術師はむしろ不屈な陽キャっぽい。ついつい予言者的な嘯きをしてしまう自分は猛反省である。

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