仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 8月17日 (81年:南アルプス・荒川細澤遡行、82年:尾瀬下山)

2011-08-17 09:48:07 | 昔の手帳から
【1979年】(浪人)

駿台夏季講習5日目(最終日)。 午前:地學、午後:世界史

金曜日。
短期集中の共通一次對策講座も、これにてお終ひ。
共通一次の理科と社會は2科目づつ4科目もあるので、そのそれぞれにあまり時間はかけられない。
世界史はともかく、地學についてはこの講座とその復習で完了とする。



【1981年】(2囘生)

荒川發電所 ~ 細澤(2050mH)

月曜日。
手帳に書かれたコースタイム。
發電所 4:50 ~ 5:00 朝メシ 5:25 ~ 6:45 北澤出合 (ワラジ) 7:10 ~ 8:00 細澤取水口 (通過) ~ 9:00 大瀧下 9:40 ~ 10:30 8m瀧下(ひるメシ) 11:20 ~ 13:50 伏流手前(2050mH) にてサイト

甲府驛からタクシーに乘る。
野呂川右俣 を遡行するカタバミを廣河原で降ろし、 荒川細澤 の私と、 荒川北澤 のヌマタは、荒川發電所でタクシーを降りた。
北澤出合 で北澤を登るヌマタと別れて、ワラジを履き、そのまま細澤を遡行する。
澤が開けて廣い河原になつてゐるところを過ぎ、その先の地形圖でゴルジュになつてゐるところを避けるために、 1512mH三角點のある小尾根 を高卷いた。
單獨での澤登りでは、想定されるリスクを最小にするべく愼重な行動をとらなくてはならない。
高卷き終はつて澤筋に降りて來たところが地形圖に「三ツ瀑」とあるあたりで、 細澤取水口 は通過した。
1時間で 大瀧下 に到着。
記憶は曖昧なのだが、2段で20mほどあつたやうな氣がする。
單獨なので無理は禁物なのだが、登れさうな氣もして、瀧を觀察してルートを搜した。
でも、結局は2段目の状態がよく見えず、諦めて高卷した。
登りたい、でも止めたはうがいい、その逡巡が、ここで40分を費やした理由なのだらう。
大瀧を卷いて澤に戻ると、このあたりから傾斜がきつくなつてくる。
10mに滿たない小さな瀧がいくつか出てくるが、まつたく問題ない。
細澤は支流がないため、登るにつれて水量が目に見えて減つてくる。
翌日の登りを考へると出來るだけ上まで登つておきたいのだが、2100mH附近で水流が消えて伏流になつてしまつた。
テントを張つて食事をするには水流が必要なので、テントを張れるだけの平地を搜しながら、澤を下る。
結局、登つて來た時に見つけておいた 2050mH附近の平地 がベストだつたので、そこにテントを張つた。
テントとストーブは京都に置いて来てしまつたので、モリさんから借りた。
モリさんは高校山岳部の2年上の先輩で、當時W大學4囘生、商社を目指して就職活動中だつた。
八千代台にあるお宅にお邪魔した時に、彼がベームのブラ1を聽いてゐたのを妙にハッキリ覺えてゐる。
山登りが好きな人にクラシック好きが多いのは何か理由があるのだらうか。
テントは吊り下げ式のとても輕量なもので、ストーブはガスカートリッジのもの。
私はガスのストーブを使つたことがなかつたので、廣河原までのタクシーの中で、同行者のカタバミに使ひ方を訊いた。
彼曰く、「うーん、別になんてこともなくて、カートリッジに本體をねぢ込むだけだよ」
ところがこれがわからない。
無理やりねぢ込まうとしたら、ガスが恐ろしい勢ひで吹出してしまつた。
結局、カートリッジ1本を無駄にしてしまつた。
新しい裝備は、山に持込む前に實際に使つておかなくてはならない。
そんな大原則をないがしろにした私がアホであつた。



【1982年】(3囘生)

下山

火曜日。
山ノ鼻小屋 龍宮小屋 (往復) ~ 鳩待峠
14日に銀山平から入山して以來、4日目。
下山する日となつた。
この山行は3日間雨に祟られてゐて、いつもからだが濡れてゐる状態だつたが、前夜小屋に泊まつたお蔭で、この日は快適だつた。
「夏が來れば想ひ出す、遙かな尾瀬遠い空」
尾瀬と云へば初夏の水芭蕉の花が有名だが、私は尾瀬といふと3月の雪の季節にしか來たことがなかつた。
せつかくここまで來たのだから、夏の尾瀬を歩いておかう、我々3人はさう思つて、この日、 山ノ鼻小屋 から 龍宮小屋 までの間を往復した。
濕原に渡された木道の上を歩いて行くのだが、きのふまでの3日間、太古さながらの手付かずの自然の中にゐた我々にとつて、それは云はば「自然の擬似體驗」で、どうにも落ち著かない氣分になる經驗だつた。
もちろん多くの人に自然に親しんで貰ふためには有效なのだらうが、その爲に自然が壞されていくのでは本末顛倒してはいないか。
極論すれば、エベレストの頂上まですべての人が行けるやうに環境を整備する必要があるのかといふことだ。
尾瀬につくられた小屋から出される生活排水は確實に濕原を蝕んでゐる。
1日だけとは云ひながら快適な小屋泊まりを滿喫しておいて勝手な言ひ種だとは思ふ。
でも、このままでは、近い將來、尾瀬の濕原は乾燥して單なる平原になつてしまふのではないだらうか。
ちなみに 平ヶ岳山頂の南西 にあつた 池塘 は、私たちが訪れた1978年7月の時點で既に乾燥化が進行してゐた。
あれから33年、おそらくあの池塘はもう消滅してゐるだらう。
自然保護と觀光資源の問題はいつだつて難しい。
龍宮小屋から 山ノ鼻小屋 に戻り、 鳩待峠 へ。




【1983年】(4囘生)



田喜野井で酒

水曜日。
田喜野井は母の兄の住ひのあるところ。
近くに父の墓があるので、墓參りをしたその足で伯父の家に行つて、そのまま酒を飮んだ。









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