仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 9月9日 (80年:コスモシステム)

2011-09-09 01:09:50 | 昔の手帳から
【1980年】(1囘生)

18:30 出町にて待ち合せ。
Cosmo Sistem加入。
これから月々¥13,000支拂ひ。
しつかりやらなくては。

火曜日。
「Cosmo Sistem」といふのは英會話の修得システムのことで、テープ教材(30卷ほど?)とテキストと、そしてこれがウリだつたのだが、英會話サロンの利用チケットがセットになつてゐた。
18時半に出町で待ち合せた相手は、それを賣り込むお姉さん。
この數日前に、どうやつて調べたのか、學生アパートに勸誘の電話がかかつて來た。
以前にも、 歸省中の7月26日 、同樣の勸誘があつてわざわざ千葉から新宿まで出かけたことがあつたが、その時はオバサンの攻勢を凌ぐことが出來た。
今囘の電話の聲は若いお姉さんの甘い聲で、どんなお姉さんなのか興味が湧いて來て、つい會ふ約束をしてしまつたのだつた。
でも、新宿の時だつて事務所から無事に歸つて來れたし、喫茶店で會ふのなら全然大丈夫だと思つてゐた。

話をしたのは、確か出町柳にある名曲喫茶 「柳月堂」 だつたと思ふ。
最初は、柔かい聲で、下宿生活はたいへんでせう?などといふ相手を思ひやるかのやうな話題で、こちらの警戒心を解いてくる。
年の頃は20代後半くらゐだつたか、十分に若くそれでゐて老獪さを身に着けた頃合の年齡だつた。
私の好みではないが、美型の範疇に入る容貌だつた。
話はだんだん核心に近づいてくる。
お姉さんの眼の光が強くなつて來た。
「これからの時代は英語が必要だといふことは仙丈さんもご存じですよね」
「でも、仙丈さん、學校で英語の勉強をして英語が話せるやうになりました?なりませんよね」
「英語を話せるやうになるには、それなりのメソッドに從つてトレーニングするのが早道なんです」
・・・・・以下略・・・・・・
なるほど、それはその通りだと思つた。
いや、いまでも、「それなりのメソッド」次第だが、その通りだと思ふ。
しかし、私は貧乏だ。
そんな金はないと抵抗する。
お姉さんの眼は、もはやネズミを前にしたネコのやうな美しくも兇暴な光を帶びて來た。
「ほんたうは2年間の分割しか出來ないといふ會社の規則なんですが、もし3年間の分割にすれば月額¥13,000になりますよ」
「これは1日にすれば¥430で、タバコ1箱とコーヒー1杯よりも安いんです」(注:タバコ1箱180円、コーヒー1杯250~300円)
ああ、さうなのか、そんなもんなのか・・・
と思つてしまつたわけだが、それはタバコとコーヒー1杯を止めたらの話だといふことが念頭から拔けてゐるアホさ加減。
なんだかんだと抵抗してゐたら、私の住所を見て彼女は云つた。
「あら、○○學生ハイツなんですね!そちらにヤマムラさんてゐますよね。ヤマムラさんも先日入會されたんですよ!」
「いやあ、偶然ですねえ・・・かういふトレーニングは身近に仲間がゐると續けやすいんです。これはもう神樣のお告げですよ」
神樣を持ち出されたら仕方がない。
ヤマムラならきつと粘り強く續けるかもしれないし、それに乘つていけば續けられるかもしれない。
天使なのか惡魔なのかしらないが、そんな聲が聞えたやうな氣がした。
氣がついたら、私は申込書を書き終はつてゐたのだつた。

申込した當日のメモだけあつて、「しつかりやらなくては」と決意のほどが記されてゐる。
この氣持ちが續いていれば良かつたんだけどねえ・・・
ヤマムラも案外飽きやすい性格だつたんだよなあ。
いや、なにより自分が飽きやすい性格であることを知つてゐながら申込んだ自分がいけないのだけれど。
それ以前に、甘い聲の若い女の顏を見に行かうなんて思つたことからして、既にいけなかつたんだけどね。

支拂ひが始まつたのは11月からだつたと思ふが、とんでもない窮乏生活をすることになつた。
といふのも、10月に單車を買ひ、そのローン(母親への)の返濟として仕送りが¥20,000減つて¥50,000になつたのだ。
そこから、家賃と共益費¥14,000、この教材費¥13,000を差し引くと、殘るのは¥27,000。
これでは、水光熱費を拂ふと、あとは食事をするだけでやつとだ。
どうなつたかと云へば、大家さんがなかなか家賃を囘收にこないのをいいことに家賃を滯納することでしのいでゐた。
京都が學生に甘いといふが、我が大家さんは片手間にアパート經營をしてゐるためか特に甘い。
しかも私は、その後、鞍馬にある大家さんの實家で佃煮製造のバイトをしたこともあつて、さらに優遇して頂き、結局、4ヵ月ほどだつたか家賃を滯納した。
「ええのよ、出世拂ひで」
翌年4月から塾の講師をすることになり滯納した家賃も拂へるやうになつたが、塾の話がなかつたらいつたいどうやつて生活してゐたのだらう。



【1981年】(2囘生)



水曜日。
小6理社、中3英語。



【1983年】(4囘生)

モギ、院試合格。燒き肉おごらな・・・

金曜日。
高校の同級生で、一緒に枚方で塾の講師をしてゐたモギが大學院に合格した。
2囘生までに取得した單位は私とドッコイだつたのに、よくぞここまで・・・
友人として嬉しいよ、オレは。
「オレが院試に通つたら、燒き肉な!」
正直、通るとは思つてゐなかつたので、燒き肉だらうが何だらうが構はなかつたのだが、燒き肉で良かつた!
結局、私、カワムラ、モギの3人の中で、モギだけが4囘で卒業することになる。
でも、その後、モギは私の就職した會社に入つてくることになるのだが、その時はそんなことになるとは思ひもしなかつた。









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