Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』2回目 1等A席 1階花道脇後方

2005年12月17日 | 歌舞伎
国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』2回目 1等A席 1階花道脇後方

今回は新七(黙阿弥)さんに惚れた。というか『天衣紛上野初花』のなかの江戸、あの世界観に惚れた。金子市之丞が刀をきら~ん☆と振り下げた時に河内山が言う台詞が「星が落ちたか」ですよ。ぎゃーーーっ、なんてカッコイイの。ピカレスクロマンとかハードボイルドが好きな人は観に行くべきですねっ。

黙阿弥らしいエッセンスが凝縮されちりばめられていながらも過剰さを廃し、シンプルにぎりぎりまで削ぎ落とされた語り口。それこそ「粋」で「洒落た」味わいがある物語だ。黙阿弥の「江戸」末期を生きてきた人間としての「江戸」への郷愁、滅びいくものへの哀切、そしてなにより「生きてきた時代」への愛情、そんなものが感じられる。これは通しで見るべき芝居ですよ。まずはごく普通の暮らしをする商家を見せ、次にアウトサイドな場、遊郭で生きる人々を見せ、それから特権階級の旗本の暮らしを見せる。これらの場、全てに河内山が絡むことにより一つの「江戸」として繋がっていく。ある意味、河内山は江戸を見せる触媒でもあるのです。その河内山がアウトローなところが心憎い。なんとも上手い構成ですよ。通しだからこそ見えてくるものがあった、そんな感じです。

そしてこの黙阿弥のエッセンスを上手く構成して見せてくれた国立スタッフと幸四郎さん、そしてその意図を見事に表現してくれた役者さんたちの力に感銘を受けました。「江戸」の空気感というのはこういう感じだったのかもしれないと思わせるだけの「空気」が流れていました。そして彼らはそこに生きているという手触りがあったように感じました。リアルでないところのリアルさというのでしょうか。歌舞伎という舞台だからこそ見せられる世界観だとも思いました。

初日周辺で観た時にはその「生きた江戸」の雰囲気の片鱗は見えていましたが、まだ薄かった。しかし中日以降になってその「空気」が密になり濃くなっていました。ふわっと物語が立ち上ってきたかのようでした。いつもなら役者のいわゆる役者ぶりや芸に目が行きがちなのですが今回はすっかり『天衣紛上野初花』の世界のなかを楽しんでいました。

それにしても今回は役者さんそれぞれがストンとその場にハマっていたような感じ。アンサンブルが良いのです。そのバランスの良さをまとめ引き締めたのが河内山@幸四郎さんの存在感と華でしょう。

幸四郎さんは英雄より人間の多重性を備えた人物のほうがより魅力が出る方なのではないだろうか。善と悪、その両極端を同時に備えられる。そして「人」としての業を真正面から受け止めたものを醸し出す。だからこそ、「悪」は「悪」になりそこになにかしらの「義」が見える。にしても今回の幸四郎さんの河内山の造詣は見事だったと思う。豪胆と繊細、どちらの顔を見せる。人の小ささと大きさとをてらいなくみせるからこそ河内山は庶民のヒーローたりえる。すっきりした造詣ながら、たっぷりとした存在感がある。これが相反してないのだからねえ…見事だ。前回、12/4に拝見の時は少し声の調子が良くなかったのだけど、今日は絶好調だった。メリハリの利いたなんとも魅力的な台詞回し。いわゆる一人オーケストラ状態だ、と思いました。<ソロ(ピアノやヴァイオリン等)なのにオーケストラを聴いたような豊かな音を聴かせてしてくれる演奏家がいるのですが、そういう方々を聴いた時と同じ感覚を受けました。

今回、急激に存在感を増したのが三千歳の時蔵さん。柔らか味が増し、けだるい空気を纏いつつ、年下の悪党に惚れきった可愛い女としての存在感。直次郎との距離感が良いんですよねえ。年下に惚れたことでの不安感が言葉に出ていて、私のことどのくらい好きなのかしらって絶えず確かめてる感じ。それでいて姉さん女房としての誘い込むような女の色気がたっぷり。女の意地と弱さの同居。いやーん、いいわあ~、可愛いわっ。そして「入谷大口寮の場」ではもうただ一途な恋する女。直はんしか見えてない、彼と一緒に居られればいつ死んでもいいと思いつめた女。だからこそ逢瀬がかなった時の嬉しそうで一時でも離れたくない表情に恍惚としたものが現われる。うひゃ、今回の逢瀬はエロかったすよ。

染五郎@直次郎もぐんと良くなっていた。前回、若旦那風だった「吉原大口二階廻し座敷の場」で線の太さが出てまた台詞廻しの部分に芯が入った感じがあり、しっかりと御家人崩れの小悪党風情になっていた。それと三千歳@時蔵さんとの距離が近づいた。恋人同士としてのじゃれ合い、甘えあいになってる。三千歳に一緒に死んでと言われ「おらあ、金のために死ぬのはいやだ」というのが、本気でいやがっているというより、甘えて言ってる感じ。自分に惚れてくれてると信じている、その自信がそう言わす。一人寝はいやだから三千歳が部屋に帰ってくるまで寝ないって可愛い男じゃん。直はんも三千歳に惚れてるから言うんだよね。三千歳&直次郎って年上女&年下男の組み合わせでしっくりくるカップルなんじゃないのかと今回思ってしまった。それくらい今回は三千歳@時蔵さん、直次郎@染五郎二人に説得力があった。

後半「入谷蕎麦屋の場」では丁寧に芝居をするところから抜け出てきて、思い切りのよさがありその部分に「粋」が近づいてきた感じがあった(でも「粋」というまでにはまだまだかな)。またそれだけじゃなく、人目を避けてきた逃亡者としての不安感、緊張感のほうをより強く感じさせていた。蕎麦屋夫婦と丈賀ののんびりした空気のなかのこの直次郎の緊迫感を感じさせる空気がこの場を見ごたえのあるものにしていたと思う。「入谷大口寮の場」での花道の出の途中、ちょうど直次郎が周囲の様子を伺うシーンがある。これを真横で観た。まだ花道が高くなっていない場所なのでかなり近くで顔を見ることができたのだけど、その時の染五郎はほんの少し不安そうに油断なくしっかり周囲を伺う直次郎の顔だった。目線がかなり遠くにあって視界には風景しか見えてないそういう表情だった。染五郎ファンにはかなり美味しい位置だったのだけど染ちゃんを見惚れるのではなく直次郎の不安さを見つめる結果となった。悪党になりきれない悪党。人恋しい寂しさのある直次郎。

その直次郎の不安さが三千歳に会うことで癒された。その表情にかなり色気があったように思う。なんというか、しっかり恋人同士の逢瀬に見えた。清元に乗っての三千歳とのキメのシーンが二人ともやたらと美しく色っぽかった。青臭さのなかに男の芯があったという感じかな。台詞廻しが良くなっていたせいかな。どこがどう変化したのかわからないのだけど。そしてラスト、三千歳を置いていくことへの逡巡がよく見えて「もうこの世では会われねえぞ」の台詞がなくてもその辛さを湛えた引っ込みであった。近くでみると染直次郎は別れるのがとっても辛そうな顔してました。

全体が良かったなかで得に今回印象に残ったのは松江候の坂東彦三郎さん。より殿様らしい雰囲気と悪役としての自己中心的ないやーな恐さがありました。彦三郎さんて悪役のイメージが全然ないんですが、今回の悪役はかなりいけてる。

また丑松の市蔵さんに小ずるい表情が出てきていて存在感が出てました。泥の世界にどっぷり浸かった悪党。