井上しんごブログ

北九州市議の井上真吾です。何かあったらいつでもどうぞ、私の携帯電話は070-5690-1423です。😄

年末の歌

2023年12月29日 | 枝光地域
あわただし 役所の納め ギリギリの
      最後の最後 駆け込む声の

背景:
28日の仕事納め、今年中に手をつけたい市民の方からの相談の声、
役所も忙し中ではありますが、地域で拾ってきた要望を、ギリギリで届けるさま。

未払いの 団体交渉 和解する
    年越し前に 歓喜の仲間

背景:
12月に交渉に入り、ついに全面解決。会社側も年越してまで交渉したくないし、労働者側も、年内に解決したい。そうした双方の思いから、
早期に交渉が妥結し和解へ。個別交渉ではらち開かず、組合に加盟して交渉し、思いかげない和解に、喜ぶ仲間のことを描いた

日本人の真の大和の魂とは。博物館で太古の先祖の縄文スピリットに思いを馳せました。

2023年12月29日 | 枝光地域
俺は縄文人なんだ😆 北九州市にあるいのちのたび博物館の展示で、縄文人と弥生人の骨格標本の展示の説明で、耳アカが乾いてる人が弥生系、湿っている人が縄文系と。そうなんやと。😅 元々日本列島にいた人達は縄文人。海面が上がり、孤立した日本列島は長らく縄文人による独自の文化を作ってきました。
そこに、朝鮮半島からの弥生人が渡ってきてきました。それにしても縄文人と弥生人は、かなり顔つきが違いますね。それ以降、2つの人種の混血が進み、弥生時代の日本人のDNA🧬は縄文系と弥生系の半々に。つまり縄文人と同じ数の弥生人(渡来系)の方が新たに日本に来られたという事です。
元々いた縄文人である日本人は、顔つきの違う、おそらくこばも違って彼らを受け入れた。
そして、二つのDNA🧬を受け継いだ新たな日本人がカタチ創られたのが弥生時代。

そして最近の発見されたのが、次の古墳時代に更に、中国大陸南部から更に大量の民族(第二渡来系)が渡ってきたと。そのDNA🧬の構成比は新たにきた民族のDNAがなんと7割と。元々半分づつのDNAだった縄文人と弥生人の日本人由来が3割。つまり、元いた弥生時代の日本人2倍以上の大量の民族が中国大陸から渡ってきたという事に。😆
そして弥生時代の日本人と新たにきた民族との交わりがあり、その7対3のDNAの割合の古墳時代の日本人が、現代でもそれに近い割合だそうです。つまり私たち日本人は古墳時代の日本人の流れを組んでいる。
その中で、縄文系が強くでたのか、弥生系が強く出たのか、の違いかもしれません。

そして、古墳時代以降も、半島や大陸からも、また様々なヨーロッパ系も含めて、日本に来られて、交流し、また新たな日本人をカタチ創っている。そんな壮大なロマンを感じました。

つまり、日本は和の国だという事です。元からいた縄文時代の日本人は、半島から来た人をウェルカムブラザーで受け入れ、そして、混血された弥生時代の日本人も、ジャパンの縄文人のウェルカム精神を引き継ぎ、古墳時代にウェルカムブラザーで受け入れた。
つまり私達は縄文時代、島国で独自の文化を創ってきたけれども、そらは排他的でなく、ウェルカム精神に溢れたものだったという事です。

日本人の精神とは、それは和をもって尊しとなす。大和魂があるなら、それは縄文から続く精神です。

では今のジャパンはどうか。外国人や永住者に排他的なとこはないか。在日の同胞に対してや、マスコミ等で嫌韓反中を煽ったり、技能実習生への不当な扱いなど、明らかに大和魂に背いているのではないかと。
大和、大きい和だ。広い広い心、互いを愛する心、国を追われて、大陸や半島から来た人々を受け入れたウェルカムブラザー精神。

そうした先祖の深い人類愛的な精神に感動した次第です。😭
私たち日本人はそうした太古の先祖の精神を忘れて、考えやルーツの違う人を攻撃してないか。いま厳しく和(やまと)魂が問われている。

私は新宮町の出身で、新宮町は右翼団体の日本皇民党の西日本の本部があったそうです。私の先輩も右翼で活動してました。その町で育ち、私は左翼の共産党に18で入党。子ども時代に右も左もない環境で育ちました。私の祖母は天皇陛下の写真を飾り、私に共産党に入ったら、あんたを殺して私も死ぬ💦と言ってましたが、無事でした。😅

わたしの空手の先生は右翼バリバリの国士舘の陰番。学生右翼の団体がひしめく国士舘内で、拳と度胸の学生時代を過ごして教員になりました。当時、革新都政で右翼の国士舘の学生は東京では採用されんと言われていたそうですが、東京と福岡どちらも受かったと言っておられました。😆

その新採の右翼の先生の面倒をよく見たのが、左翼の共産党の先生だったそうです。その共産党の先生が、なぜ右翼の俺によくしてくるのかと聞くと、その先輩先生は、よく聞きなと、ロウソクの火🔥と同じだと。ロウソク🕯️の火は右に流れても、左に流れても、最後は上で同じになる。右と左は背中一つで繋がっていると話してくれたそうです。

ある時、教員組合の大会があり、その共産党の先生は発言で、当時の同和教育の押し付けの問題を批判する発言をして、同和関係の武闘派の人達に周りを囲まれた時、私の空手の先生は、近づいたら殺すと構えてビビらせて、その共産党の先生を守ったそうです。

その右翼だった空手の先生の一番弟子は、共産党の私で😅、そして先生の恩師も共産党と。おれの周りは左翼が多いとなぁと話しておられました。😁

私も先生と話していて、全く違和感なく、先生の話は筋書き通っていて、よく理解できました。
つまり、真剣に生きた方を突きつめると右も左もなくなるいう事です。

つまり右だの左だの言ってるうちは、本質に辿り着かないということを教わりました。

外国人排斥やジェンダーを批判することが保守ではなく、人権や権利を主張する事が革新という訳ではない。

つまりはウェルカムブラザー精神かどうか。つまり真の大和魂、ラブアンドピースかどうということではないかと、そんな壮大なロマンを考えながら、縄文人と弥生人の骸骨を見ていました。😅
いのちのたび博物館は、いい博物館ですね。😊

宮若市長、中間市長への辞職勧告決議案の乱発について。ストレスに弱い議会で、民主主義が危ういのではないか。

2023年12月19日 | 枝光地域
宮若市長のパワハラ疑惑で、辞職勧告決議案が可決された。百条委員会も設置されたそうです。発端は車内での運転手の職員に対する叱責です。市長はスマホを扱っていいのか的な発言をしています。前後が切り取られているので、よく分かりませんが、運転業務での個人のスマホを扱っていたことを注意し、怒ったように見えます。ことの発端は、マスコミからこれはパワハラではないかと、指摘があり、議会が呼応して、決議まであげている。市長本人は反省していると言っている。議会はその反省をすると言っている市長を見守るしかないのではないか。

市長は選挙で市民が選んだ、まだ1期目だ。選挙戦では市長が掲げる政策や人柄で、おそらく市民は市長にしたんだと思います。
まだ始まったばかり、そりゃ、気合が入りすぎて、失敗も、やらかしもあるだろう。それで指摘されて、今までの県議の時とは違う、首長になったら、市を代表するので、その発言なども気を使わないといけない。今までのいち議員の時とは、振る舞いも変わってくるものです。

まさに、宮若市長はその過程にあったんだと思います。全く謝罪もなく、反省もしないと言うことであれば、決議などで猛省を促すみたいなのは、戦略としていいかもしれませんが、反省し、これからは改めると言っているんだから、それ以上、なんのことがあるだろうかと思うのです。
本当に、辞職していいのでしょうか。また選挙があって、当選した人の粗が見つかって、また辞職勧告をするのか。本当馬鹿らしい。政治家の使い捨てではないか。こんな行政で、子供達が政治に興味を持てるだろうか。

責めている側も、同じ境遇になれば、そうしないといけるだろいうか。目の前で、職員が運転中にスマホをしていて、お前危ないやろうが、市長公用車で、すいませんで済むかと、言うんじゃないか。
結局は、みんな同じ轍を踏む可能性があるのに、それにはダンマリで、私は、そんなパワハラはしません。聖人君子ですよと言わんばかりに、自らの隙は棚に上げて、辞めろと叫ぶ。なぜならば、この流れに乗らないと次は自分が槍玉に挙げられるからだ。
これは完全にいじめの構造に似ている。誰かがいじめられて、それを庇うと、自分のやられるんじゃないかと、いじめる側に回る。それは人間の心理かもしれない。しかし、政治家なら敢えて、それとは逆に進んでほしいものです。

以前、私が小学生の時に、クラスでリーダー格だった友達が、なんかのことで、グループから外されてしまった。それから彼は今まで最大グループの親分だったのに、そこから総スカンを受けて、一人ぼっちになってしまった。元々フリースタイルの私は、元いたグループに戻れなくなった友達と、2人でよく遊んだ。仲間外れにされていることは知っていたいが、私は特に、そのグループに気を使うこともないし、なんでそうなったのかの訳も知らない。多分なんちゃないことだと思うが、しかし、学年では、その元リーダーのこと、誰も交わろうとしなかった。別のグループの子達は、元々つるんでなかったので、1人になったその子を受け入れるようなことはなかった。なので、彼は完全に一人ぼっちになってしまった。

そんな中、彼と2人で多くの時間を過ごした。しばらく時間がたって、ほとぼりが覚めたのか、その子は、また元いた最大グループに帰って、そこのリーダー格に戻って行った。私とは密には遊ばなくなり、彼も元のリーダーに戻れたので、私は問題が解決したと嬉しく思った。

私がいなければ、彼は一人ぼっちだったかもしれないし、でも誰かが現れたかもしれない。でもそんな世の流れとは違う動きをする人間も必要なのだ。特にスポーツも勉強もできるわけでもないし、リーダー格でもない。細かい作業もできない。でも社会やクラスに必要なもの。それは昔は村での三年寝太郎のようなものや、祭りや揉め事をおさめるヤクザ的なもの、働きもしない、理想を追い求める幕末の浪人だろうか。

政治家もそうした部類ではないか。クラスや社会に必要な人。世間とは違い、自らの立場にとらわれない生き方。それは勤め人には難しい選択ができる人でもある。だから、選挙で選ばれて、自分たちの代わりに、議会で頑張ってくれと送り出された人達が政治家だ。なので、ちょっとマスコミから言われたからといって、それにビビってことを起こすべきではない。マスコミが正義なのか。そんなことはない。時間軸の中で、ある部分を切り取って、それをマスコミの記者の感性で論じているにすぎない。なぜならば、ネタになるからだ。彼らはジャーナリストでも、正義のヒーロでもない。視聴率や広告収入のための金儲けのためにやっている。

本当に、宮若市のためになるならば、これを納める道筋を持っていなければならない。議会も弱すぎる。もっと毅然として物事にあたるべきだ。批判をするほど、自らが立派だとは思えない。いやそんな立派な人間なんていない。みんな人生にしろーとで、模索しながら、失敗しながら、一所懸命やっているだけじゃないか。

なのに、到底無理な完全を求めている。完全なんて神でしかないのだから、それをなぜ、求めるのか。そんな清廉潔白の世を描いて、一体誰か幸せになると言うのだろうか。それは生きにくい社会ではないか。失敗の許されない社会、完全を求められ、それに応えなければならない社会。こんな社会の何が面白いのだろうか。

やすやすと決議案を通してしまった議会や、マスコミは、自らが行った結果をしっかりと考えるべきです。私は少なくとも、そうしたレールからはみ出すことができない。はみ出したら、生きていけない社会など、くそくらえと言いたい。

中間市長の、挨拶とスカートは短い方がいいという話、これは一般的に使いまわされた引用句です。私は今まで、何度も聞いてきて、むしろ、つかみはオッケー的な、一般的なスピーチの導入部分で、本にも書いてあるフレーズじゃないかと思うのです。長いスカートが好きな人もいるでしょうし、短いスカートが好きな人もいる、スボンがいい人もいる。市長は、自分は挨拶とスカートは短い方がいいと、自分の好みを言っただけということもできる。自分の好みさえ言えないのかと、これは不適切発言というより、これを弾圧することは、表現の自由を奪うことにつながってはいないか。

表現の自由は、不適切発言よりも、価値の高いものとされる。もちろん、表現の自由はわかると、でも受け止める側の人権はどうなるのかとの議論もある。しかしスピーチとスカートが短い方がいいと聞いて、人権を侵害される人がいるだろうか。短いスカートがいいと思う人は、そうだねと思うだろうし、長いスカートがいいと思う人や、長いスピーチが聞きたい人は、そうかな、俺は長いのがいいな、ぐらいに思うだけではないか。

ならば憲法の思想信条の自由、表現の自由という、何人も犯すことのできない権利という視点でいくと、今回のパッシングは被害者不明の、市長の表現の自由を奪ったということで、人権侵害になるのではないかと考えます。ジェンダー的にも、LGBTQ的にも、なんら問題ない発言で、これで市長の揚げ足を取って揺さぶりをかけたい議員と、ネタになって金儲けしようとしたマスコミの共同犯罪といわざるをえない。市民の幸せや市政の発展になんら貢献しない、ただの愚弄である。

こうした風潮がもたらす結果の方がむしろ甚大である。それは生きにくい社会であり、マスコミが指定した、世間で通用する表現しかできない社会であり、中国の監視する相手が見える監視社会とは違うが、得体のしれない、見えない、紐でがんじがらめにされ、どこにどう抵抗すればいいのかさえ分からないような、巧妙な監視社会といえよう。

だから多くの市民は、抵抗する相手も分からず、ただ見えない世間と相手にもがいて、絶望してしまう。支配の構造がよくできている。
私達は、こうした見えない紐を解き、真に人間らしく、自由に、表現していけるような社会を目指したい。未来を担う子どもたちが、絶望するような社会にしてはいけない。今回の、二つの市長に対する辞職勧告決議は、まさしく、その見えない監獄、見えない手錠の一つの例である。

敵は確実に私達に足枷、手枷を嵌めようとしている。ならば、それを打ち破るような、突き抜けるような、生命のみなぎるエネルギーで大いに、笑飛ばし、大いに楽しもうではないか。

井上真吾

令和5年12月議会   議員報酬削減決議案についての反対討論(1人会派:持ち時間5分、フル使用)

2023年12月15日 | 枝光地域

12月反対討論                         井上真吾


55番・井上しんごです。

私は議員提出議案第54号について、反対する立場で討論を行います。

まず、市民一人当たりの議員維持なるものの負担が高いというものですが、人口が減っている本市で、非課税世帯も含めて単純に割れば当然です。


また、報酬カットを掲げた市長が誕生し、議員報酬についても議論が進むかと思いきや、とのことですが、市長は自らが当選せんとするために、給与削減を訴え、ただそれを実行しただけです。


市長に続けとは、どんな論理でしょうか。私は市長と報酬について何ら、すり合わせをしたことはありません。

当選したから、何でもできる、うちらが正義なんだからというのは乱暴です。

10パー、20パーと報酬削減を訴えて当選した議員が過半数になれば、おのずとそうなるのではないでしょうか。


私達の任期は残り1年足らずで、選挙で掲げた政策や公約を、いかにやりきるか、その集大成の一年であり、私もその実現に苦闘しています。

本市は政令市で高齢化率が高く、多くの市民は経済の好循環や生活の向上を期待しています。


今我々が、いの一番にすべきなのは、市民の皆さんの日々の相談や、苦境を聞き、その生活を支えるために、大いに働き、その力を発揮することではないでしょうか。

議員にはそれぞれ報酬について考えや、思いがあります。意見が違うからと言って、対立を煽り、それを道具にするのは違います。


視察中もひっきりなしに相談の電話を受けている方、自腹で企業誘致をしている方、人を呼び込むために、イベントを企画して、最前線で活躍している方、そうした方を見ていると、もっともらってほしいとさえ思います。


報酬に見合う働きをしない人が、本市議会にいるでしょうか。

SNSの進化で、ネットだけも議員活動ができる時代かもしれません。しかし、広く市民の声を聞くために、酒の場でしか、聞けない声には、例え懐が傷んでも、最後まで付き合って声を聞く。体も壊すし、まさに身を削ってます。


対面でも、会合でもリアルに活動すればするほどに、経費もかかるものです。10パー削減、20パー削減。いやいや半分にと、キリがありません。それで市民生活が良くなり、もっと多くの声を拾えるならいいいでしょう。


しかし提案者の文章では、公共施設の利用料値上げや廃止など、市民生活に負担を強いる政策を示してきた。そこで・・と、続いています。

つまり、真の狙いは、市長も議員も身を削るから、これからの行財政改革で、市民に負担を求めますよということです。

市民一人当たり何十円の削減と引き換えに、市民にはその何十倍、何百倍もの痛みを強いる道理はありません。

それは市民生活の破壊であり、報酬削減はその呼び水です。


すでに、市の行財政改革の動きで敬老会や地域防災に関わる現場から心配する声も届いています。変革なくして成長なし、と言いますが、成長なくして変革なしです。


この決議案は若い議員の方が案分を考えて提案されたものです。見方を変えれば、若者の中に、自らを何か犠牲にしないと社会に受け入れてもらえないよな心配があるように思えます。


20年以上の非正規雇用などの人件費抑制政策によるコストカット経済と、行財政改革による低成長期を過ごし、夢を語るのを躊躇する社会になっているのではないでしょうか。

若者が夢を語れずに、カット、カットと身を削らざるを得ない未来がいいとは思えません。


政治家を目指す若者が、自らのクリエイティブな発想で、未来を開き、本市の発展に繋がるような政策を実現し、議員が、大いに語り、力を合わせて実行していけるような市政を目指していきましょう。

議場の皆様のご賛同と、市長並びに執行部の皆さんのご協力をお願いしまして私の討論を終わります。


令和5年12月議会 井上しんご質問原稿 ①市民に痛みを与える行財政改革の放棄を ②人口増対策(少なくても輝く校区を活かせ、新たな街の設置、新幹線新駅による街づくり) ③河内へのトイレ設置

2023年12月04日 | 枝光地域

12月質問原稿①                             井上真吾



井上しんごです。只今より一般質問を行います。

まず初めに、行財政改革は改革でなく、街壊しという点で伺います。

市は市政変革推進室を設置し、新たな行財政改革を推進するため、市民に関係する事業も含めた約3,000事業の廃止も含めたゼロベースでの棚卸を実施しています。また、棚卸の対象外となった内部管理費について、一律10%の削減要求もでていると、聞いています。市民生活に対してものすごい痛みが降りかかろうとしており、町内会や防災、食品衛生に関わる所から心配する声が届いています。

私は市長の100万人復活や、チャレンジする人を応援する北九州市というのはとても好きです。先日も市長の市政報告会へ参加しましたが、人口増や市内GDP4兆円へのチャレンジの政策など、ワクワクしました。稼げる街となって、その税収増を教育や福祉に活かしていくというのも賛成です。

しかし、一方で、現実に行われたことと言えば市長、副市長給与の削減。私は市長の語る宇宙産業や、人口増に向けた企業誘致や産業振興などのイケイケの夢のある提案と、実際に、市長がこれから、やろうとしていることが矛盾しているように感じます。

市政変革推進会議のやり取りを聞いていると、身を切る改革とか、住民の反対運動が予想されるので市幹部の覚悟が必要だとか、公共料金の引き上げで住民に痛みをお願いするなど議論がある一方で、引き上げには反対だと、諭す意見もありました。ここでの議論で現実に市民に痛みを伴うプランが出来上がると思うと背筋の凍る思いがしました。

北九州市にはポテンシャルがあると言われています。相撲で言ったら、中学生で身長が180センチ、体重100キロで、まだ力士としての体は仕上がっていないが、入門して、しっかり稽古すれば、将来立派な関取になる、そんなイメージでしょうか。

しかし、行革で身を削ってしまい、ひょろひょろで相撲が取れるでしょうか。相撲部屋に入ったら飯は5食、米や肉や魚、野菜、腹いっぱい食わせてもらえます。そして鍛えて、しっかり相撲がとれる体になっていくものです。

今、北九州市がやろうとしていることは、立派な体を持ったポテンシャルがある本市から、身を削り、痛みを与え、飯を食わせず働かせるようなものです。これでは、せっかくのポテンシャルなんて活かせるはずはありません。

アクセルとブレーキは同時に踏めません。横滑りします。アクセル全開で本市のGDPを4兆円に増やし、それで増えた税収で、市民に痛みではなく、恵みを与えていくことが武内市長の真の思いではないでしょうか。市民に痛みを与える行財政改革を放棄することを求めます。市長の見解を伺います。


次に、人口を増やすために、具体的な取り組みについて伺います。

大きく対策は二つあり、人口減少している小学校区での定住を増やすことと、人口増に見合う新たな街の創設です。

私は、この二つの取り組みを通じて、市内全域を見渡して、このエリアで新たに人口何千人、何万人、このエリアでのGDPはいくらといった具合に、具体的な数字を挙げて、積み上げ方式による、人口100万人、GDP4兆円を目指せればと考えます。

まず一つ目に、人口減少している小学校区での定住を増やすことについてです。

市内には126の小学校区、八幡東区には11の小学校があり、一学年では1クラスか2クラスの小学校が一番多く、児童数の多い学校でも1学年3、4クラスで、すべての児童の名前を覚えている先生もおられ、落ち着いた環境で学ぶことができます。

子どもの数が減ってきている中でも、より一層、地元の地域やPTAは子ども達に様々な経験を積ませたいと、祇園山笠での太鼓教室や、市民センターの祭りの子ども店長、童話大会、キャンプなど、様々な行事を行っています。

市長の言われるように子育てするには最高の環境にも関わらず、人口減少が続いています。私はこれだけ、地域の大人が、子ども達のことをここまで大切に考えている、これも北九州のポテンシャルではないでしょうか。市はこれまでこうした小規模校については学校規模適正化だとして、その充実した教育環境を積極的に内外にPRしてきませんでした。

しかし、全国的に少子化が進む中、地域文化も含めた、いい環境で子育てをしたいとのニーズは高まっています。小さくても、光輝く学校にもっとスポットを当て、この校区で子育てしたいと若者を呼び込む政策が必要です。人口が減っている校区には当然空き家も増えています。その校区の学校や地域の魅力とセットの空き家対策や、良好な宅地の開発と販売、マンション建設の後押しなど、民間と協働した定住人口の増加対策が必要です。定住人口が増えれば、地域の宝である学校を活かし、守ることができます。

そこで不動産事業者などに、もっとその校区や地域の魅力をアピールすべきだと考えますが、見解を伺います②


そして二つ目の人口増に見合う新たな街の創設についてです。

以前、私は議会の日中友好議員連盟で天津市に行き、その時の視察で広大な平野に大学、オペラホールを有する人口30万の都市を作ると説明を受けました。日本からも名だたる大企業が大挙して、このプロジェクトに関わっていました。天津市の人口はこの10年で見ても大幅に増え、1,500万人を超えています。

今、人口増加が著しい福岡市では破綻寸前だった人工島に、総合体育館、学校、病院、ホテル、中央市場、物流センターからなる新しい街を作り、この度、全ての土地が売れ、152億円の黒字となったそうです。人工島の人口は約14,000人。また福岡市東区の千早ではJRの操車場跡地に新たな街をつくり、人口は約17,000人ということです。

北九州市は広大な筑紫平野の一角である福岡市と違って、平地がそれほど多くありませんが、新たな街の設置が可能なエリアとして、北九州空港島や、下北道路接続予定地である西港周辺、クロサキメイト、八幡インター周辺、大規模な工場跡地など、市としてアンテナを立てて、一から街を作っていく気概でことを進めていくことも視野に入れるべきです。

また新たに作られた街には、多くの人を呼び込むことができるため、北九州市も同様に、地権者の理解が得られた工場跡地や高速インター近くでの産業誘致や物流センター設置、及び民間によるマンションや宅地の開発などで、どこに何棟建設して、人口は何万人にするなどの具体的なプランのもとに実施していくことが必要です。

ただこれまでのように郊外型の広大な住宅地を作るだけでは、意味がありません。そこで働き、生活できる街を作る。その開発費は民間の投資で賄い、行政は全体の構想と企業とのマッチングを行い、できるだけ市の予算の持ち出しのない形で行うなど検討が必要です。

そこで、2点伺います。

1点目に、市内の九州自動車道の八幡、小倉南・東、門司インターなどは、その周辺に大規模な物流センターがある福岡都市圏と違って、その拠点の特性が生かされていません。すでに開発の検討がされている地域もありますが、早急に物流センターなどの開発計画が必要かと考えますが見解を伺います。③


2点目に、令和5年6月議会では、八幡西区の南部地域において、新幹線の新駅設置を求める質疑ありました。これまで小倉・博多間では直方市において新駅設置の検討がされてきましたが、実現していません。鉄道会社は、鉄道沿線の開発での人口増に伴う鉄道利用者数の増加との相乗効果で、会社を大きくしてきました。小倉博多間で新駅設置があるならば、1か所。よそが作ったら永久に北九州市に新駅はできません。市長が言われる半導体関連企業の誘致で土地が無かったなどの産業誘致と、住宅街の設置、この新駅周辺には域内GDPはいくら、域内人口は何万人など、具体的な数値を持ったプランを検討し、早急に最後のチャンスである物流・産業団地も含めた新幹線新駅設置に向けた研究をすべきと考えますが、見解を伺います。④



最後に、観光による流入人口増加についてです。

私は福岡市の観光産業振興議員連盟の発会式に参加しました。福岡市内ホテル関係者からお客さんにお薦めの観光地を案内するときに、太宰府天満宮ぐらいしかなく、市内にも観光スポットを作ってほしいという意見でした。

振り返って北九州市を見る、門司港に始まり、小倉城、皿倉山、河内、平尾台、若松北海岸などに加え、日本製鐵や安川電機、TOTOなどの産業観光、日本一の夜景もあり、北九州市は恵まれていると感じました。しかしながら、ホテルの数や観光客などの数で言うと圧倒的な差があります。まさにポテンシャルの状態でとどまっている状況です。

とはいっても近年外国人観光客の方も増加し、市内観光地のさらなる魅力の押し出しや、福岡市内ホテルへの北九州市の案内、河内や若松北海岸、門司港へのホテルや観光関連産業の誘致などに取り組んでいかなければなりません。そのために、観光バスの駐車場や、若松北海岸、河内貯水池などへのきれいなトイレの整備など、今後増え続ける市内外の観光客を受け入れるソフト、ハード面の体制整備が急がれます。

そこで、今回は特に、近代化産業遺産の河内貯水池周辺の千本桜や紅葉などで最も利用者の多い堰堤駐車場へのトイレ設置を求めるものです。市の見解を伺います。⑤