井上しんごブログ

北九州市議の井上真吾です。何かあったらいつでもどうぞ、私の携帯電話は070-5690-1423です。😄

歌詠會 成田山

2022年12月28日 | 歌詠會
成田山 お不動さんの 剣にて
絆を断ちて 飛んで未来へ

解説
不動明王の剣は、煩悩などを断ち切るためのものだそうだ。なるほど理解しやすいが、しかし、断ち切るべきものは煩悩ではないのではないか。
煩悩が人間を苦しめることはないからだ。そもそも人間は罪人であり、煩悩を断ち切れないことはお釈迦様が言われている。

煩悩を断ち切るために、あらゆる苦行をしたが、できず、煩悩を受け入れた、煩悩すらも消せない弱い自分を受け入れて、ありのままの自分を受け入れて、お釈迦様は悟りを開き、スジャータから乳粥をもらい、おいしさを知った。

ではお不動さんの剣は何を切るためなのか、私は今日、そうかと気づきました。

それは絆を断ち切るためだと、繋がりを切るためだと。絆とか、繋がりとかは、何か支え合うみたいないいふうに思いがちだが。これが双刃の刃でもある。

親子の絆、夫婦の絆、友の絆、支援者との絆、恋人の絆、仲間の絆などなど。

これはいい時もあるが、人を苦しめ、縛る意味もある。

痛みのもとでもあるのだと。好きだからこその苦しみは多くの恋愛で少なくない人が経験しているだろう。

親子の葛藤や、喧嘩は、お互いに苦しめている。私も経験したが、子が学校に行きたくないと言うことで、子を思うが故に、親も苦しい。子も親を心配かけまいと思うが故にまた苦しいのである。

自殺を考えてしまう子ども達は、親への絆ゆえに、心配かけまいとおもってしまう。

自殺を考える大人も、取引先や会社や家族に迷惑をかけまいと、その絆が強いがゆえに、そう考えてしまうのではないだろうか。

つまり、絆が強いほど、繋がりが強いほど、苦しく、それは痛みなのである。

人間の苦しさを和らげ、人間の解放を願った仏様とその仲間である不動明王は、つまり、その人間の良くも悪くも情にあついという人間の性質から、それにより、人間が苦しむのをみて、それを炎の剣で一刀両断するために、派遣されたのではないかと。

一人では生きていけない、助け合っていくことで生存してきた人間の、愛情の深さは、それはいいことでもあるし、それが人間のゆえんでもあるが、

そのために、自らで断ち切ることのできない、そのあらゆる絆を、不動明王の剣で断ち切るのである。

と言う事は、繋がりとは、苦しさとも言える。映画マトリックスでは、人間はケーブルに繋がり、マトリックスという世界を作っている機械につながっている。

インターネットもLANケーブルや、光ファイバーでつながっている。

私はあらゆる人との線と線の繋がり、絆が大事だとイメージしていたが、しかし、繋がっていることは、線で繋がっている事は、マトリックスと同じように自由ではない。

線で繋がるイメージではなく、ではいったいなんだろうか。まだ私もよく分からないが、波長なのかもしれない。量子力学でいうと全ての物質は波長の性質があるという。人間それぞれがある波長(個性)をもつものであり、絆で結ばれるのではなく、互いの波で響き合う、そんなイメージなのだろうか。

よく分からないが、今日、成田山で分かった事は絆や繋がりが人間を苦しめている、そうしたことである。子を思うが故に、彼女を思うが故に、友を、親を思うが故に、とても苦しいのである。

人間の解放とは全く逆に働いているのである。

神の剣は、そんな一見いいとされている絆や繋がりを、不動明王の圧倒的なパワーと力で、怒りと愛を持って断ち切るのである。

人間は誕生した瞬間から、個なのである。繋がってはいないのである。繋がっていると思いたいだけである。その絶対に繋がらないものを繋がっていると思っている、その勘違いが、互いを苦しめている。

繋がっていないから、当然、互いに自由なのである。

それをお不動さんは我々に教えているのではないだろうか。

歌詠會 富士山

2022年12月27日 | 歌詠會
新東名 寝ては覚めては 外を見る
見上げる富士の 裾の広さを

解説
友人の運転する車で、東京へ向かう。うとうとしては目が覚める ふと見上げた富士の大きさと、その下に広がる広大な大地、裾の広さに唖然とする。

歌詠会 自分勝手

2022年10月22日 | 歌詠會

己が主 あなたの目から 見えたおれ きみの心 何度傷つけた?


背景のストーリー


君の気持ちと違うことで、自分は、仕方ないやんと、そんな言い訳していた。

あれから時がたち、いま彼女の側に立ってみると、自分の言い訳した行いが、どんなに君を悲しませ、傷つけていたのかと、いま気づいた。

なんでここまで自分勝手だったのか、君の目から見た僕は、涙でにじんでいただろう。

そんなことも知らず、今まで、どんなに悲しませただろう。

もう戻れない。人は自分が強い時には見えないものが沢山ある。

しかし、弱い時だからと見える訳ではない、私が弱い時は今までだって沢山あった。でも、君の側で、君の心から見ることができなかった。

本当に好きになり、切なくなった時にしか見えない景色かもしれない。会いたい、会えない。

その時に見える心の景色。切なすぎる。だからこそ歌ができたんだろうか。世の中のラブソングの数々。

歌にせざるを得ないくらい、つらくて、切ない背景がそこにはある。

だから私も短歌にしたんだと。

しかし、それだけでも気持ちは晴れない。音楽にして、歌にして、メロディーに乗せて、人に伝えた時に、少しは救われるのではないか。そう思った、飛行機の中。


歌詠會

2022年05月26日 | 歌詠會

夢うつつ 仲間と酒を 酌み合えば

決意革(あらた)に この世呑み干す

 

背景

仲間内で酒を飲んでいると、世の中変えてやすぞと 意気揚々と 夢物語が現実にできそうに思える

たった三人の世界でも まるで革命を遂げ 天下を取れそうな気になる 仲間と呑む酒の力は恐るべし。

私と県議予定候補の菊水さん、国政予定候補の福本さんと同世代三人で呑むと、まるで信長、秀吉、家康の集まりのようだ。

夢となるか、現実になるか 夢うつつの様である。


歌詠會 ローズさん災害時のLBGT対応の課題の講演を聞いて

2022年05月26日 | 歌詠會

いのちの日 再び来た日 娘の日

もう会えなの 痛みの世では

 

背景

下関市ではいのちの日と言うものがあるそうです。十数年前にいじめで自殺した女の子を忘れないために制定されました。

お父さんは、この日が来る度に、最愛の娘さんのことを思い出して辛いそうです。でも二度と娘のような子を出したくない、苦しむ子を作りたくなとの思いで、

生徒さんの前で講演をされるそうです。でもお父さんの思いを察するにどれほどかと。

私も娘を想う気持ちは特別なものがあります。今は離婚して娘に会うことができない。その辛さ、娘の写真を見るたびに、お父ちゃん大好きと書いたメールを見たり、

一緒に二人でドライブをしたり、そんな日を思い出します。あの日はもう来ないのかと。

下関のお父さんは、もう二度と娘さんには会えないのです。電話もできない、声聞くこともできない。この世では。

娘さんにとって、痛く、辛い、この世では会えない。でもお父さんはこんな辛い世でも、踏ん張って、今日も子供たちの前で、娘さんの話をしている。

そのことを思うと、如何程かと。あわせてあげたい。でももうあの世でしか会えないのか。なんでこんな試練があるのか。

ゆめ、幻でも、お父さんの今の生き方を見て、娘さんは、お父さんありがとうと、きっと言ってくれると。

言ってくれるんじゃないかと、そう思えることがお父さんの支えになっていると感じました。

ローズさんが歌った、竹内まりあの、いのちの歌。聞きながら大泣きしました。

 

足濡らす 涙の奥の 子ども達

苦しまないで 大好きだから

 

災害時 自衛隊風呂 男女の湯

どっちへ入るか たたずむのれん

 

背景

災害時には自衛隊の方が、仮設の銭湯を設置してくれます。しかし男湯、女湯。体は女性で心が男性。体は男性で心が女性のトランスジェンダーの方はどっちへ入っていいのか。

暖簾の前で佇んでしまう。ローズさんから被災地でのLGBTの方のリアルな話をしてくれました。自衛隊の方でLGBTの方も気兼ねなく入れる仮設風呂の設置を検討できないかと思いました。


歌詠會

2022年05月24日 | 歌詠會

満州で 親と離れて 一人ただ

涙も枯れた 大陸の夜

 

背景

終戦間際の満洲からの引き上げで、親と離れて中国で暮らすことになった残留孤児。

親を思って、はや何十年。再び親と出会えた。(日中友好協会総会で)

 

二つある 日中友好の 二団体

他国の前に 同胞の団結

 

背景

現在、日中友好協会は2つあります。いわゆる共産党系と旧社会党系。元々は一つだったのか分かりませんが、

理念は同じ、再び中国と戦争を交えず、国民同士の友好の力で、平和で発展的な日中関係を作るというもの。

私はどちらの団体にも加盟していました。同じ協会同士、協力できないのかなと。