フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

ルクレジオ ノーベル文学賞受賞記念講演を聴く 補足

2008年12月31日 | Weblog
Chers amis,

 みなさん、大つごもりいかがお過ごしでしょうか。ぼくは、昨日の夕方年賀状を書き上げ投函したあと、フランスの友人にノエルまでに送る約束だった自身の論考のフランス語バージョンを半分だけ書き上げ、今日の昼過ぎになってようやくファイルにして送信し、やっと一息ついているところです。
 さて、ちょっと昨日の補足です。ルクレジオの記念講演ですが、
 
 http://www.radiofrance.fr/chaines/france-culture2/emissions/toutarrive/fiche.php?diffusion_id=68556

上記のサイトの2e partieをクリックして、player を15分ほど早送りしてもらえれば、「教室」で扱った講演の抜粋部分の後半を聴くことが出来ます。ルクレジオのどこか優しい声を是非聴いてみて下さい。
 smarcel

ルクレジオ ノーベル文学賞受賞記念講演を聴く

2008年12月28日 | Weblog
Chers amis,

 今日久しぶりに France Culture というラジオ局のサイトを覗いてみたところ、ルクレジオの例の記念講演が聴けることがわかりました。
 
 http://www.radiofrance.fr/chaines/france-culture2/emissions/toutarrive/fiche.php?diffusion_id=68556
 
 年の瀬のお忙しい時とは思いますが、よろしければ一度耳を傾けてみて下さい。なお彼の講演が実質始められるのは、放送開始後6分30秒あまり経ったあとですので、気をつけて下さい。
 smarcel

ルクレジオ ノーベル文学賞受賞記念講演(2)

2008年12月24日 | Weblog
 [注釈]
 
 * Que dans ce troisie`me mille'naire (…) aucun enfant (...) ne soit abandonne' a` la faim ou a` l'ignorance, : que + subj. で、命令、願望を表します。それから、pas の省略にも注意して下さい。接続法が使われている節においては、ne だけで否定となります。
ex. Il n'y a personne qui ne comprenne cela.
* A lui la royaute' : ヘラクレイトス He'raclite は、前ソクラテス時代の哲学者で、彼の思索を記した断章から、プラトンが「万物流転」の思想を読み取ったことはよく知られています。<< On ne peut pas entrer deux fois dans le m^me fleuve. >> などという断章が非常に有名です。ここにルクレジオが参照している一節は、<< Le temps est un enfant qui joue,en de'placant des pions, la rayaute' d'un enfant.
a` l'Enfant la Royaute' >> だと思われます。ただ、原典の含意はここでは希薄で、Moze さんがおっしゃるように、「子供を王座に」と素直に受け取ればいいでしょう。
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 ルクレジオは、子供たちに十分な栄養と教育を、と訴えているわけですが、それはなにも、肌の色がぼくたちとは違った、遠い国の子供たちの問題であるとは限りません。2005年の統計では、日本の公立の小中学校に通う子供たちの13%が「就学援助」を受けていると言います(p.188, 湯浅誠『反貧困』岩波新書)。先進国の中で今の日本ほど、子供たちを取り巻く経済的な状況が、その子が受ける教育の質と量に露骨なほどに反映する国は少ないのではないでしょうか。教育が「経済」から、もう少し適当な距離を保てないものか。この日本に生きる大人として、子供たちに対する責任を感じずに入られません。
 
 さて、今年の Lecon はここで区切りをつけさせて下さい。新年は、1/8(木)までには新しいテキストをお届けすることにします。それまでに、時間があればみなさんの今年の読書の収穫3点と、お住まいの地域を聞かせてもらえれば幸いです。というのも、この「教室」をはじめてもう5年は経つと思うのですが、来年こそは一度オフ会を実現したいと考えています。よろしくお願いします。
 今年もこの地味なブログにおつき合いいただき、ありがとうございました。それではみなさん、どうかカゼなどに気をつけてよい新年をお迎え下さい。
 smarcel


ルクレジオ ノーベル文学賞受賞記念講演(1)

2008年12月17日 | Weblog
 [注釈]
 * J'ai toujours e'te' sensible a` l'e'criture de Dagerman : 「私は以前からずっとダーゲルマンの書いたものに心を動かされて来ました。」sensible は、「感じ入る」というところでしょうか。
 * (...) seuls ceux qui ont assez a` manger ont loisir de s'apercevoir de son existence :「腹を十分に満たせるものだけが、自身の生き方を自覚する余裕を持つ。」existence は、ここではもう少し具体的に「生きてある様子」を意味しています。
 * Cette << fore^t de paradoxes >>, (...) lieu (...) mais bien contraire... : 「この『パラドックスの森』は、芸術家が避けようとするべきではない場所であるどころか、むしろ…」
 * Lui qui se croyait a' l'abri, elle qui se confiait a` sa page (…), les voici confronte's au re'el : 「ある書き手はそこで身をやすらえることが出来ると信じていた。またある書き手は、そこでページに向かって自らの思いのたけを語っていた。ところが彼らはそこで現実に直面しているのです。」ここは、Ce n'est pas toujours un se'jour agre'able.という前文の具体的な説明ですから、se croyait, se confiait という半過去時制の動詞と les voici confronte's との落差を読み取って下さい。
 * happy few : Stendhal が 1804 年に、自身の著作の後世の読者を指して使って有名になった言葉です。なるほど女性名詞扱いですね。どうしてでしょう。ここは宿題にさせて下さい。
 
 ご覧の通り、今回は明子さんの訳業を参考にさせてもらって註を付けました。ありがとう、そして、ご苦労様でした。
 
  * Moze さんから質問を受けた部分「また、モーリシャス、ロドリゲス、アルバカーキー、ニース、オニチャといった、愛の地図に記された、遥か内面のさまざまな土地の名」ここで列挙されている土地の名はなるほど全て実在のものですが、と同時にルクレジオの作品世界の中で光が降り注ぎ、波に洗われる土地です。ですから、ailleurs inte'rieurs 。元来は遥か彼方を意味する ailleurs と、最も身近な内奥を指す inte'rieurs の二語が、矛盾を孕んだまま並んでいるのでしょう。

ルクレジオ(2) 注釈と試訳

2008年12月10日 | Weblog
 [注釈]
 
 * des noms propres : この propre は「自身の,固有の」と意味で用いられています。ですから、noms propres 「固有名詞」のことです。
* une carte du Tendre : 明子さんが調べてくれた通り、Madeleine de Sucude'ry (1607-1701) の << Cle'lie >> という英雄小説の冒頭に挿入されている「恋愛地図」のことです。恋の芽生えからその成熟に至る過程を地図上の行程に重ね合わせています。こういう出典は註という形で補うしかないでしょうね。
* au bout de... : bout とは先端のことですから、au bout de voyages 「旅の果て」。あとに e'lucider le re'el とつづきますから、ここには、そうした「内面の遥か旅の果てにあっても...」という含意が感じられます。
 
 [試訳]
 ルクレジオという大河にいくつか言葉を浮かべるとしたら、旅,流離、漂流となるだろうか。それに友情、発見、眩惑、幻覚、不可視のもの。また、モーリシャス、ロドリゲス、アルバカーキー、ニース、オニチャといった、愛の地図に記された、遥か内面のさまざまな土地の名のあいだに張られ、うち震えている蜘蛛の巣。内奥の、彼方への旅の果てにあっても、たえずルクレジオはフィクションによって現実を明かし続ける。物語を読むことは、「現代の世界を質す」最良の方法だと信じているからだ。また自然とは、歪んだ人類によって脅かされているものの、ひとつの祝祭であるとの確信があるからだ。

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 次回からは12月7日に行われたルクレジオのノーベル文学賞受賞記念講演を読むことにします。ただ、長いものですので、どの部分をどう読むか、今まだ思案中です。テキストは今しばらくお待ち下さい。
 Moze さんが今お読みの森有正ですが、ぼくが先日紹介した水村美苗『日本語が亡びるとき』には、森の祖父、明治新政府の初代文部大臣を務めた森有礼が、英語公用語論者の先駆けとして紹介されています。そのあと読んだ、大久保喬樹『洋行の時代』(中公新書)ででも森有正のフランス留学体験の深さが紹介されていました。森は、フランスの精神を、魂を同化しようとして、文字通りフランスに「骨を埋める」のでしたね。ぼくは、白状しますが、本棚に眠っている森の著作を読んだことがありません。そういえば、ぼくの親しい友人も、森の著作に導かれるようにしてフランス文学科の扉をたたいたのでした。代々木上原の四畳半一間の彼の小さな下宿の本箱に、森の作品が何冊か並んでいたのを懐かしく思い出しました。
smarcel

ルクレジオ(2)

2008年12月03日 | Weblog
 [注釈]

* un tour de magie re'ussi.. : un tour は「芸当、技」を意味します。ex. tour de cartes 「トランプ手品」
* une sorte de grand concert sauvage ce'le'brant la fraternite' des humains, et d'abord ceux que … : ルクレジオの作品は人類の博愛を讃えるのですが、まずなによりも、que 以下の関係代名詞によって説明されている ceux (humains)への連帯を歌うのです。
* le vent de l'Histoire : Histoire は、近代の発展を牽引した西洋のみが描いた「歴史」という含意があるのでしょうか。そこには、例えば南洋の小さな島々に生きる人々の歴史は含まれていません。
* Qu'il s'agisse des peuples de l'Ame'rique indienne... : qu'il s'agisse de... ou de... 「(それが)…であれ、….あれ」ルクレジオが愛する多様な人々の例示です。
  「こなれた」訳文を心がけるよりも、まず何よりも文章の構造、つまり論理の組み立て方をしっかり捉えることが大切です。その把握が曖昧なために日本語訳の「目鼻立ち」がぼやけ、その結果意味の通りにくい訳が出来てしまうのだと思います。何よりも論理の組み立てをしっかり見通すことです。

 [試訳]
 ほとんど半世紀に渡って、ルクレジオのそれぞれの作品は、しなやかで豊かな言語の魔法による離れ業であっただけではない。その言語は同時に、痛みに耐える世界の傷に浸されたその筆の、なかば動物的な本能によって導きだされたものだった。悲痛な響きを持ったその作品は、多様な人類への博愛を讃える、野生味にあふれた一大コンサートのようである。まずなによりも、歴史の荒風がその言語を、拠りどころを奪い、様々な出自のあとをかき消し、虚無へと押し流された人々のために、彼の筆は戦ってきた。ルクレジオは多様な人々を愛し、その魂を慈しむ。それはアメリカ・インディアンであることもあれば、彼自身のルーツでもある砂糖の島々、モーリシャスの人々であることもあった。世界を讃える彼の歌は、混血を讃える歌であり、差異を大切にし、植民地主義を退ける歌である。例えば『メキシコの夢』の中でルクレジオは、もしスペイン人が大西洋を横断しなかったらアメリカ・インディアンはどうなっていたかを想像している。
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 では、次回は残り少なくなりましたが、この論説記事を最後まで読むことにしましよう。
 いま大学の行き帰りに水村美苗『日本語が亡びるとき - 英語の世紀の中で』(筑摩書房)を読んでいます。肝心の結論部分にはまだ至っていませんが、評判に違わず大変面白い essai です - 「試論」と訳せばいいでしょうか。英・仏・日本語を操る著者だけあって、大変広い視野と深い射程の中で、近代国民国家の生んだ「日本語」の来しかた行く末を論じた本です。
 近代日本語は、<普遍語>(この場合、いわゆる漢文に英・仏・独・蘭を指します)を翻訳することによって生まれたとする著者はこう述べています。
 翻訳という行為の根底には、常に,もっと知りたいという人間の欲望 - 何とか<普遍語>の<図書館>に出入りしたいという人間の欲望がある。そのような欲望は、国家の存亡を憂える気持ちと独立し、人間が人間であるゆえに人々が宿命的に持つものである。(…) そのような人々が翻訳にたずさわることによって、日本語という<自分たちの言葉>が<国語>という高みへと到達しえたのであった。(pp..186-7)
 こうした評論的な部分のみならず、本書には、世界各国から集まった<作家・詩人>という人間の生態、かつてのフランス語の輝き、秀逸な『三四郎』論など、いろんな味わいの読みどころもあります。一度是非手にとってみてください。
smarcel