フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

Laissons les filles tranquilles (3: Le Monde)

2015年05月13日 | 外国語学習

[注釈]
 *Le rôle de l'école laique est de veiller (...)et non de préjuger de qui… とつながっています。つまり、ライシテを唱う学校の役割は「見守ること」であって、「誰が解放されるべきなのかを決めること」ではない。
 * des valeurs qui n'aurait d'universelles que le nom : ここは意味は取れるのですが、文法的に破格のものではないかどうか、ちょっと判断しかねます。des valeurs universelles de nom とすればよいような気もするのですが…。

[試訳]
 ライシテに基づいた学校の役割とは、ひとり一人を迎え入れること、それぞれに様々な恥じらいや誇りや、家族の秘密や信念、そして疑いを持った、ひとり一人の子供たちを迎え入れることです。それは、子供たちが恐れることなくあらゆる苦しみを明らかにできるように見守ることであり、誰が解放されるべきかを勝手に決めることではありません。またそれは、懐を大きく開いて子供たちを受け止めることであり、お題目だけ普遍的なあれこれの価値を高みから押し付けることではありません。そんな価値は排除に基づくものでしょうから。
 以下のことを今更思い出すべきでしょうか。1905年から、2004年学校において宗教的シンボルを身につけることを禁じる法律ができるまで、宗教的な中立は国家や公務員にのみ課せられてきたのであって、その市民を対象にしたものではなかったのです。今日フランスにおいて、ライシテはあまりにも国家宗教のような形を取ってしまっていて、女の子や少数者を排除する役回りをしています。もし未来の子供たちに課せられるのが、そうした独善的な、神聖視されたライシテであるのなら、それは私たちフェミニストの名において認められるものではありえません。私たちは、学校において宗教的な象徴を身につけることを禁じる法律の撤回を求めています。
………………………………………………………………………………………………
 先ほどフランスで Emmanuel Todd <> という本が出ました。今フランスで大きな議論を巻き起こしている問題作なのですが、その中でトッドも「国家宗教のような形をした」ライシテを疑問視しています。この問題を引きずるようですが、つぎのテキストは同書にまつわる文章にしたいと考えています。
 少し間が空いてしまいますが、来週末までにはつぎのテキストをお届けするようにします。
 ところで、以下の番組が一部で話題となり、ぼくも録画を見て感銘を受け、この週はどの授業でもその一部を紹介しました。
 歴史家ジョン・ダワーの警告 https://youtu.be/nyOsNOj-sRE
 わずか30分足らずで、日本の戦後70年、ベトナム戦争終結50年、その後の日米の歴史の要諦を押さえた、見事な編集となっています。 Shuhei

 P.S. 上記のインタヴューですが、Youtubeからすでに削除となっていました。著作権上やむない措置でしょうが、残念でした。