[注釈]
* les autres portions de matie`re : 「他の物質」と訳せるのでしょうが、ここは、ぼくも引っかかりました。肉体も、広く物質界の一部を占めるものだ、ということでしょうか。
* il en d'autres qui semblent venir de dedans et qui tranchent sur les pre'ce'dents par leur caracte`re impr'vu : i) en が受けるものをじっくり考えてみて下さい。ii) trancher sur... :「… と際立った対照をなす」 iii) les pre'ce'dents 「先のもの(先の運動)」
* nous rayonnons bien au-dela` de notre corps : 視覚によって、身体の枠を超え八方に伸び広がる、というイメージです。
[試訳]
それではまず、この点に関して、直に感じられる、素朴な常識的な経験とはどのようなものでしょうか。わたしたちひとり一人はひとつの身体であり、他の物質などと同じ法則に従っています。身体は、押されれば前に進むでしょうし、引っ張られれば後ずさるでしょう。持ち上げられ、手を離されれば、落ちることになります。けれども、外からの働きかけによって機械的に起るこれらの運動とは別に、内側から起るように思われる別の運動があって、それは、あらかじめ予想が出来ないものであるという点で、先の運動とははっきりと区別されるものです。そうした運動が「意思的なもの」と呼ばれているのです。ではそうした運動の原因は何なのでしょうか。それは、わたしたちがそれぞれ、「わたし」、「自己」という言葉で示しているものです。ではさらに、「自己」とは何でしょうか。真偽はさておき、それは、「自己」が結びついている身体からは遥かにはみ出ているもののように思われます。空間においても、時間においても、「自己」は身体から超え出ているように見えます。まずは空間でしょう。考えてみて下さい。わたしたちの身体は、わたしたちのからだを境界づける確かな輪郭を持っています。ですが、知覚の働きによって、なかでも見るという働きによって、わたしたちは身体のはるか向こうまで見渡すことが出来ます。星を見ることだって出来るわけです。
********************************************************
次回は、p.22. l. 29 のla vie humaine までとしましょう。
テキストをご覧になりたい方は、
http://classiques.uqac.ca/classiques/bergson_henri/energie_spirituelle/energie_spirituelle.pdf
からダウンロードなさってください。
このブログの使い方ですが、実はぼく自身も試行錯誤です。でも、ちゃんと、いつも正確な Moze さんの訳文も拝見できていますから、とりあえずそれでよいということにしませんか。もし他にお困りの点がありましたら、教室お仲間に尋ねてみて下さい。きっと詳しい方がいることだろうと思います。
* les autres portions de matie`re : 「他の物質」と訳せるのでしょうが、ここは、ぼくも引っかかりました。肉体も、広く物質界の一部を占めるものだ、ということでしょうか。
* il en d'autres qui semblent venir de dedans et qui tranchent sur les pre'ce'dents par leur caracte`re impr'vu : i) en が受けるものをじっくり考えてみて下さい。ii) trancher sur... :「… と際立った対照をなす」 iii) les pre'ce'dents 「先のもの(先の運動)」
* nous rayonnons bien au-dela` de notre corps : 視覚によって、身体の枠を超え八方に伸び広がる、というイメージです。
[試訳]
それではまず、この点に関して、直に感じられる、素朴な常識的な経験とはどのようなものでしょうか。わたしたちひとり一人はひとつの身体であり、他の物質などと同じ法則に従っています。身体は、押されれば前に進むでしょうし、引っ張られれば後ずさるでしょう。持ち上げられ、手を離されれば、落ちることになります。けれども、外からの働きかけによって機械的に起るこれらの運動とは別に、内側から起るように思われる別の運動があって、それは、あらかじめ予想が出来ないものであるという点で、先の運動とははっきりと区別されるものです。そうした運動が「意思的なもの」と呼ばれているのです。ではそうした運動の原因は何なのでしょうか。それは、わたしたちがそれぞれ、「わたし」、「自己」という言葉で示しているものです。ではさらに、「自己」とは何でしょうか。真偽はさておき、それは、「自己」が結びついている身体からは遥かにはみ出ているもののように思われます。空間においても、時間においても、「自己」は身体から超え出ているように見えます。まずは空間でしょう。考えてみて下さい。わたしたちの身体は、わたしたちのからだを境界づける確かな輪郭を持っています。ですが、知覚の働きによって、なかでも見るという働きによって、わたしたちは身体のはるか向こうまで見渡すことが出来ます。星を見ることだって出来るわけです。
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次回は、p.22. l. 29 のla vie humaine までとしましょう。
テキストをご覧になりたい方は、
http://classiques.uqac.ca/classiques/bergson_henri/energie_spirituelle/energie_spirituelle.pdf
からダウンロードなさってください。
このブログの使い方ですが、実はぼく自身も試行錯誤です。でも、ちゃんと、いつも正確な Moze さんの訳文も拝見できていますから、とりあえずそれでよいということにしませんか。もし他にお困りの点がありましたら、教室お仲間に尋ねてみて下さい。きっと詳しい方がいることだろうと思います。